大雪、ようやく小康状態。しかし、我々世代近辺以上の人で、忘れられないのが昭和38年(1963年)の豪雪。 前年暮れから降りだした雪は降りやまず、次の年の1月~2月にかけて新潟県から京都府北部の日本海側を襲った記録的豪雪。
長岡市の積雪は318センチを記録。
恐ろしかった、思い出したくもない、雪の恐ろしさが身に滲みた(-_-)。
高校2年であった私、普段は列車通学をしていたが、列車、バス全ての交通手段が止まり、約5キロの道なき道を徒歩で通学。それも、勉強道具はいっさいもたず、スコップひとつをもち。
家でも、屋根の雪下ろしが毎日続き、ついには玄関から雪で階段を作って出入りしていたが、階段が2階の半分くらいの高さに。屋根の雪下ろしが下ろした雪の高さが屋根を超え、雪上げに。
学校でも同じで雪おろし、除雪。しかも、ついには市内の高校生全員が市の大通りの除雪作業に駆り出された。自衛隊とともに。自衛隊は豪雪での支援は初めてだったはず。
当時の状況は、市の広報の写真より
父は、国鉄職員であったので、家には帰ってこれず。母は、我が家が、国鉄の駅に近かったのでその駅に止まって動けなくなった列車の乗客の毎食の炊き出しを。
積雪による被害は 死者 178人 負傷者 288人
家屋の全半壊 1566戸
被害総額 746億円
被害状況は報道機関、時期によりまちまちであった。
一番の被害者は、列車に乗っていた人かも。
1月23日16時5分新潟駅出発上野行き(急行越路)は、長岡駅ひとつ手前の押切駅で動けなくなり、除雪しながらの運転に。
のろのろ運転で、4日がかりで上野到着。遅延の記録であろう112時間24分遅れだった。平均速度2.93K/h。歩く速度より遅い。
国鉄の状況は
http://xyz-kaze.net/arekore/38heavy.htm
当時の写真を持ってないので、次の(ジオテクサービス株式会社)ホームページに長岡の状況が。
http://www.geotechservice.co.jp/800Enterprise/832History/8321HistorySonw/83211Snow38/Snow38.html