本日は「羽黒岩」を御紹介したいと思います。
とはいえ、この巨大な下駄のことじゃありません。これは観光用の単なるオブジェです。
↑実際には農道に面して、下駄は目印になっています。非常に分かりやすい!
↓↓↓「羽黒岩」の説明はこう記されています。これも「遠野物語」の中のお話の舞台です。
坂上田村麻呂は日本初の征夷大将軍で、平安時代、桓武天皇の時代の人です。
武勇に優れ、心やさしく、将兵と苦楽を共にしたので、多くの伝説が残ります。
→詳しくはコチラに。
ここ遠野にまで足を伸ばしたのもそれらの伝説の一つでしょう。
「エゾの宮武」は不明。文脈から察するに、蝦夷側の首領の一人と解されます。
最後の三行は興味深い。山伏の山岳信仰は確かにこのあたりの古い信仰の要になっています。
弓矢は破魔の神事。その矢立ての神事からこのような伝説ができたのでしょう。
山伏の恰好から天狗は想像されたという説もあることですし。
さて、羽黒岩にむかいましょう。鳥居をくぐり、人様の敷地(畑)の間を通るような感じで進みます。
さっきの鳥居のそばに「400m」と書いてあったから、すぐかな~と思いきや…
けっこう、遠いぞ、これは!!!
「続石」のときといい、ちょっと普通の観光地だと思ってなめてると、大変だ。
ようやく、お堂が見えてきた。
これが羽黒権現堂。羽黒山は出羽三山の一つ。遠野はじめ、岩手県ではよく「羽黒山」だの「湯殿山」だのその石碑を見る。
まあ、山形県は近いし。山伏勢力も強いんだろうなあ…。
で、その後方に目指す「羽黒岩」が。
でかい!!
まさに見上げるほどの大きさだ。樹と背比べしたくなるのもうなずける。昔の人は随分ユーモラスなものの考え方をするもんだなあ…。
↓↓↓で、すぐ隣にあった石碑がこれ。気合い入れれば読めるかも知んないけど、面倒臭かった。だれが読むのよ、こんなもん。
かなり石本体には亀裂が走っている。こういうは岩は「花崗岩」と言うのだそうだ。
この「羽黒岩」の圧倒的な大きさと迫力は写真で伝えきれないのがおしい。(ウデがない)
以上、羽黒岩からお伝えしました。
【撮影日:2011/9/9】
↓↓↓【羽黒岩の場所】↓↓↓地図上では「出羽神社」とされています。
→「羽黒岩」ではこんなサイトもどうぞ
とはいえ、この巨大な下駄のことじゃありません。これは観光用の単なるオブジェです。
↑実際には農道に面して、下駄は目印になっています。非常に分かりやすい!
↓↓↓「羽黒岩」の説明はこう記されています。これも「遠野物語」の中のお話の舞台です。
坂上田村麻呂は日本初の征夷大将軍で、平安時代、桓武天皇の時代の人です。
武勇に優れ、心やさしく、将兵と苦楽を共にしたので、多くの伝説が残ります。
→詳しくはコチラに。
ここ遠野にまで足を伸ばしたのもそれらの伝説の一つでしょう。
「エゾの宮武」は不明。文脈から察するに、蝦夷側の首領の一人と解されます。
最後の三行は興味深い。山伏の山岳信仰は確かにこのあたりの古い信仰の要になっています。
弓矢は破魔の神事。その矢立ての神事からこのような伝説ができたのでしょう。
山伏の恰好から天狗は想像されたという説もあることですし。
さて、羽黒岩にむかいましょう。鳥居をくぐり、人様の敷地(畑)の間を通るような感じで進みます。
さっきの鳥居のそばに「400m」と書いてあったから、すぐかな~と思いきや…
けっこう、遠いぞ、これは!!!
「続石」のときといい、ちょっと普通の観光地だと思ってなめてると、大変だ。
ようやく、お堂が見えてきた。
これが羽黒権現堂。羽黒山は出羽三山の一つ。遠野はじめ、岩手県ではよく「羽黒山」だの「湯殿山」だのその石碑を見る。
まあ、山形県は近いし。山伏勢力も強いんだろうなあ…。
で、その後方に目指す「羽黒岩」が。
でかい!!
まさに見上げるほどの大きさだ。樹と背比べしたくなるのもうなずける。昔の人は随分ユーモラスなものの考え方をするもんだなあ…。
↓↓↓で、すぐ隣にあった石碑がこれ。気合い入れれば読めるかも知んないけど、面倒臭かった。だれが読むのよ、こんなもん。
かなり石本体には亀裂が走っている。こういうは岩は「花崗岩」と言うのだそうだ。
この「羽黒岩」の圧倒的な大きさと迫力は写真で伝えきれないのがおしい。(ウデがない)
以上、羽黒岩からお伝えしました。
【撮影日:2011/9/9】
↓↓↓【羽黒岩の場所】↓↓↓地図上では「出羽神社」とされています。
→「羽黒岩」ではこんなサイトもどうぞ
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