毛越寺の由来は白い鹿が自分の毛を落として、偉いお坊さんを案内したことから名づけられました。
開山は890年ごろ。その後、奥州藤原氏三代によって整備され、頼朝の侵攻後、だんだんさびれていきます。
江戸時代、伊達藩はここの価値を認め、保存するように命じました。
そのおかげで、歴史的な景観が保たれているそうです。
↑パンフより。今回は池を右回りで回って写真を撮っています。
入口から
入場料は大人500円。やや高めです。
入ると、いきなり広い道にでます。きもちがいい。
右手には松林があります。
そこには芭蕉の句碑が。
説明板です。
これが真筆の石碑。その価値が分かるほど書道はやってきていなのが残念。
往時の毛越寺伽藍想像図。
門から正面に進むと現れる金堂。
最近の建物。
やはり見どころは庭園。
池泉回遊式の平安時代の庭園遺構は日本唯一なのである。
しかも、この規模はすんごい。
今は水も張られているし、より往時の姿に近くなっているのだろう。
東側にある開山堂。毛越寺開山の慈覚大師を祀っている。
あやめ園。もっと暖かくなるころにはさらに花も楽しめるはず。
そこかしこに残る溝。これもおそらく発掘の跡。当時の排水溝かなんかなんでしょう。
寺域の端は普通の里山のよう。自然との一体感がそこにはある。
池の周りにはたくさんの僧坊や寺院建築の跡がある。
建物がなくなっても、礎石は残る。
これらの礎石の上に柱を立てていたはず。
昔の建物は柱を土の湿気から守るために、石の上に柱を立てそれを基礎とした。そんな建物が床を水平に揃えるのだから
大したものだと普通に思う。
何しろ、遺構を見るたびに心痛む。これだけの広大な遺跡が敷地内で残っているのは奇跡だけど、建物が一つも
残されなかったのは残念。
この名高かったという金堂でさえ、どのようなものか分かっていないらしい。
そんななか、心慰められる気がするのは、この鑓水。
この遺構は日本唯一。
春には曲水の宴が開かれる。
いわゆる歌詠みの会。皿を流し、自分のところに流れてくるまでに参加者は和歌を詠むというもの。
この鑓水も長いこと発見されず、ようやく見つけられたのは昭和50年のころだという。
こうして往時の姿をよみがえらせた鑓水は趣きが深い。
なんでも、川の一生を表わしているらしい。
そそぐ先の池はつまり「海」ということなのだろう。
水はとてもきれい。
「上流」の岩の具合もとてもいい。
こちらは江戸時代の建物。
先に述べたけど、江戸時代の平泉は伊達領。その保護を受けていた時代の建物ということのようです。
もう、池は東側。半周してきました。
洲です。砂浜のイメージだそうです。
南岸の方に戻ると「荒磯」
これが、毛越寺庭園のイメージとしてよく利用される石ですね。
鯉。
今年の冬はとても寒く、サクラどころか、この時期、梅が満開でした。
それでは、毛越寺からお伝えしました。
【撮影日:2012年4月22日】
われわれのときは、萩まつりをしていました。