卯子酉神社から、愛宕神社への参道を登る。
ここには石碑がとても多く、自然に目を引く。
階段はとても急である。遠野の観光はちょっと強い足腰が必要になる。
↓遠野に多い愛宕神社の説明。塞の神であるという説明は、道祖神と同様である。要するに、厄除けをはじめ、なんでもありということだ。また、先ほどの数々の石碑は遠野の各所で見られる。「それこれの場所に行ってきましたよ」という記念の石碑らしい。その霊験を祀るという意味も当然あるだろう。
立派な鳥居が、信仰心を感じさせる。
石段は長い歳月を思わせる。かなりの年代物である。
参道の並木もとても大きい。
この参道の趣き、何処かに似ていると思ったら…
「月見坂」。この名を冠するとは洒落ている。中尊寺にもこのような名前の参道がある。
歩くこと約5分にしてようやく建物が見える。
なかなか丁寧な作りの建物である。
脇の社は何の分社か不明。老朽化が激しい。
愛宕神社の左手を山側の方へ歩いていく。
5分も歩かないうちにすぐに五百羅漢の場に着く。
飢饉による犠牲者を弔うための石仏作りを発念したのは大慈寺の儀山和尚。わざわざ市内から山中に足を運んだのだろう。
そこから山中に分け入る。
ここからの山の中で、花崗岩の自然石がごろごろしている。この自然石を利用しようと和尚は考えたのだろう。
それでは、以下、数々の石仏をご覧あれ。
実際にはこれだけ見つけるのは結構大変。磨滅がはげしく、よ~~く見ないと分からない。
ちなみに、多分、実際には500もない。「五百羅漢」というのは、数が多いことの形容であろうと思う。
実際に五百の羅漢(お坊さんのことね)を見たければ、盛岡市の報恩寺にでも行くしかない。
以上、見つかった限りを掲載しました。
【撮影日:2011/11/16】
↓↓↓五百羅漢の場所はここ!↓↓↓
ここには石碑がとても多く、自然に目を引く。
階段はとても急である。遠野の観光はちょっと強い足腰が必要になる。
↓遠野に多い愛宕神社の説明。塞の神であるという説明は、道祖神と同様である。要するに、厄除けをはじめ、なんでもありということだ。また、先ほどの数々の石碑は遠野の各所で見られる。「それこれの場所に行ってきましたよ」という記念の石碑らしい。その霊験を祀るという意味も当然あるだろう。
立派な鳥居が、信仰心を感じさせる。
石段は長い歳月を思わせる。かなりの年代物である。
参道の並木もとても大きい。
この参道の趣き、何処かに似ていると思ったら…
「月見坂」。この名を冠するとは洒落ている。中尊寺にもこのような名前の参道がある。
歩くこと約5分にしてようやく建物が見える。
なかなか丁寧な作りの建物である。
脇の社は何の分社か不明。老朽化が激しい。
愛宕神社の左手を山側の方へ歩いていく。
5分も歩かないうちにすぐに五百羅漢の場に着く。
飢饉による犠牲者を弔うための石仏作りを発念したのは大慈寺の儀山和尚。わざわざ市内から山中に足を運んだのだろう。
そこから山中に分け入る。
ここからの山の中で、花崗岩の自然石がごろごろしている。この自然石を利用しようと和尚は考えたのだろう。
それでは、以下、数々の石仏をご覧あれ。
実際にはこれだけ見つけるのは結構大変。磨滅がはげしく、よ~~く見ないと分からない。
ちなみに、多分、実際には500もない。「五百羅漢」というのは、数が多いことの形容であろうと思う。
実際に五百の羅漢(お坊さんのことね)を見たければ、盛岡市の報恩寺にでも行くしかない。
以上、見つかった限りを掲載しました。
【撮影日:2011/11/16】
↓↓↓五百羅漢の場所はここ!↓↓↓
私が訪れた時は日が暮れ時だったせいもあり、
一つしか見つけられませんでした。
もっと明るいときに、時間をかけて探せばよかったようですね。
羅漢像といえば、関西では京都・愛宕念仏寺の羅漢像が有名です。
関西へお越しの際は、是非。
この五百羅漢の場所は花巻―釜石間の高速道路が通る予定地になっていますので、この自然な景観も壊されてしまうのかもしれません。その意味で、頑張って撮ったこのページは我ながら貴重なものだと思っています。