金田一温泉は盛岡から車で二時間ほどの距離。
電車でも最寄り駅がある。
駅にはそれとわかる大きな看板。
国道4号から、出入り口が分かりやすい。カシオペア型のオブジェがある。
金田一温泉は有名だが、実は宿数は少ない。
パンフにもあったが、
何より、メインの「座敷わらしの出る宿」である『緑風荘』が、
このありさまなのだ。
新聞で見た。以前、火災により焼失してしまったと。
至極、無念な話である。
以前は、皇族でさえ来たものの…
超、有名な国語学者「金田一京助」は盛岡市の出身だが、名前としては、一緒。
敷地の一角に、神社があった。
早速お参りしてみる。
大木が境内を覆うようにしてあり、木陰がとても涼しい。
これが、「亀麿神社」。座敷わらしを祀った神社であるらしい。
それにしても、「座敷わらし」という妖怪の一種に名前が付いている例は珍しい。鬼や天狗なら、名前の付いているものは多いが、座敷わらしで名前が付いているのは、ここだけではないか。
かつて遠野で、さまざまな座敷わらしの伝承を調べたが、名前の付いているものは一つとしてなかったように思う。
そんなことを考えていると、一人の老女に声をかけられた。
「今日は涼しいですね。」
6月にしては確かに風がさわやかだ。少し肌寒いくらいの風が吹いている。
これが二戸という山奥の地だからか。
「そうですね。今日はとてもさわやかですね。」
「どこから、おいでになりました?」
「盛岡からです。噂に名高い金田一温泉の座敷わらしを調べに来ました。」
聞けば、老女はこの緑風荘のものだという。しかも経営していた家の。じゃあ、女将じゃん。
そこで、いろいろ話を聞けた。
・一族はもともと室町時代、南朝に仕えた藤原氏の一族であったということ。
・それが東国へ落ち延びるときに、東京の「五日市」に一時身を隠したことで、姓を「五日市」にしたこと。
・座敷わらしの「亀麿」はその当時二人いた嫡子のうち、旅の途中で命を落とした兄の方であること。
→どおりで名前があるわけだ。
・現在の当主は27代目であること。
・こちらに落ち延びてきたときに、領主からこの地に領土やあてがい扶持も与えられたが、それを後の世になって返上し、帰農したこと。
・焼失した建物は築300年は経過した宮大工の作った立派な建物であったこと。
→見たかった!!!本当に見たかった。なんて残念な遺物を失ってしまったんだ!!!
・火災の原因は漏電であるらしいこと。
→古い建物だったから、仕方ないのか…。部分的にでも適切なリフォームをすればよかったのに…。
・火災のとき、従業員(つまり一族)はお客様を逃がすので精一杯で、代々受け継がれてきたものはすべて燃えさってしまったとのこと
→かなりのお宝が失われたと思われる…。文化に対する大きな損失。
・火災のとき、裏手にある一族の墓地に火の玉が移動する目撃例があった。多分一族の魂はそこへ避難したと思う。
また、亀麿神社の方にも火の玉が移って行った。座敷わらしもそこに避難したと思う。
→神秘的なハナシだなあ。でも、そうであると信じたい。
そういえば建物が全焼する火事でありながら、すぐ近くの神社はまったく焼けていない…。
これも不思議なことだ…。
座敷わらしの部屋は「えんじゅの間」といった。
「えんじゅ」とは木の名前だが、どんな木かお客さんに知ってもらうためにその部屋の前に植えた、「えんじゅの木」である。
その木にも、焼け跡が生々しく付いている…。
建物はすべて焼け去ってしまった。
6年前の火災だというのに、まだ木炭が残っている…。
その再建を願わずにはいられなかった。
再建は来年の春ごろになるという。
せめてお湯を味わってほしいと緑風荘一家の好意で設置された足湯。
少々ぬるいが、気持ちがいい。ここが金田一温泉の昔からの唯一の湯らしいのだ。
他はすべて近年、ボーリングで掘り当てたものらしい。
建物の壁には、さまざまな張り紙が…
これって、「ジャンプ」の漫画であったような…。こんなものまで…。
それにしても、天気がよく、眺めもいい。
目の前には観光用ブルーベリー園。
↓↓↓みなさんも、再建に一口どうぞ。↓↓↓
【撮影日:2015/6/7】
電車でも最寄り駅がある。
駅にはそれとわかる大きな看板。
国道4号から、出入り口が分かりやすい。カシオペア型のオブジェがある。
金田一温泉は有名だが、実は宿数は少ない。
パンフにもあったが、
何より、メインの「座敷わらしの出る宿」である『緑風荘』が、
このありさまなのだ。
新聞で見た。以前、火災により焼失してしまったと。
至極、無念な話である。
以前は、皇族でさえ来たものの…
超、有名な国語学者「金田一京助」は盛岡市の出身だが、名前としては、一緒。
敷地の一角に、神社があった。
早速お参りしてみる。
大木が境内を覆うようにしてあり、木陰がとても涼しい。
これが、「亀麿神社」。座敷わらしを祀った神社であるらしい。
それにしても、「座敷わらし」という妖怪の一種に名前が付いている例は珍しい。鬼や天狗なら、名前の付いているものは多いが、座敷わらしで名前が付いているのは、ここだけではないか。
かつて遠野で、さまざまな座敷わらしの伝承を調べたが、名前の付いているものは一つとしてなかったように思う。
そんなことを考えていると、一人の老女に声をかけられた。
「今日は涼しいですね。」
6月にしては確かに風がさわやかだ。少し肌寒いくらいの風が吹いている。
これが二戸という山奥の地だからか。
「そうですね。今日はとてもさわやかですね。」
「どこから、おいでになりました?」
「盛岡からです。噂に名高い金田一温泉の座敷わらしを調べに来ました。」
聞けば、老女はこの緑風荘のものだという。しかも経営していた家の。じゃあ、女将じゃん。
そこで、いろいろ話を聞けた。
・一族はもともと室町時代、南朝に仕えた藤原氏の一族であったということ。
・それが東国へ落ち延びるときに、東京の「五日市」に一時身を隠したことで、姓を「五日市」にしたこと。
・座敷わらしの「亀麿」はその当時二人いた嫡子のうち、旅の途中で命を落とした兄の方であること。
→どおりで名前があるわけだ。
・現在の当主は27代目であること。
・こちらに落ち延びてきたときに、領主からこの地に領土やあてがい扶持も与えられたが、それを後の世になって返上し、帰農したこと。
・焼失した建物は築300年は経過した宮大工の作った立派な建物であったこと。
→見たかった!!!本当に見たかった。なんて残念な遺物を失ってしまったんだ!!!
・火災の原因は漏電であるらしいこと。
→古い建物だったから、仕方ないのか…。部分的にでも適切なリフォームをすればよかったのに…。
・火災のとき、従業員(つまり一族)はお客様を逃がすので精一杯で、代々受け継がれてきたものはすべて燃えさってしまったとのこと
→かなりのお宝が失われたと思われる…。文化に対する大きな損失。
・火災のとき、裏手にある一族の墓地に火の玉が移動する目撃例があった。多分一族の魂はそこへ避難したと思う。
また、亀麿神社の方にも火の玉が移って行った。座敷わらしもそこに避難したと思う。
→神秘的なハナシだなあ。でも、そうであると信じたい。
そういえば建物が全焼する火事でありながら、すぐ近くの神社はまったく焼けていない…。
これも不思議なことだ…。
座敷わらしの部屋は「えんじゅの間」といった。
「えんじゅ」とは木の名前だが、どんな木かお客さんに知ってもらうためにその部屋の前に植えた、「えんじゅの木」である。
その木にも、焼け跡が生々しく付いている…。
建物はすべて焼け去ってしまった。
6年前の火災だというのに、まだ木炭が残っている…。
その再建を願わずにはいられなかった。
再建は来年の春ごろになるという。
せめてお湯を味わってほしいと緑風荘一家の好意で設置された足湯。
少々ぬるいが、気持ちがいい。ここが金田一温泉の昔からの唯一の湯らしいのだ。
他はすべて近年、ボーリングで掘り当てたものらしい。
建物の壁には、さまざまな張り紙が…
これって、「ジャンプ」の漫画であったような…。こんなものまで…。
それにしても、天気がよく、眺めもいい。
目の前には観光用ブルーベリー園。
↓↓↓みなさんも、再建に一口どうぞ。↓↓↓
【撮影日:2015/6/7】
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