
考えるという意味を調べてみます。
いくつかの辞書を調べると次のように載っています。
・実情を調べただす あれこれと思量し、ことを明らかにする。
・ある物事や事柄についてあれこれと頭を働かせる。
・筋道を立てて問題や疑問を解決しようとする。
・いくつかの物事をひきくらべて調べる。
・物ごとを、筋道たてて思いはかる。
・経験や知識を基にして、未知の事柄を解決(予測)しようとして、頭を働かせる。
インターネットでも調べてみると
・何かを変える手段とか方法を頭の中で考えること。
・「思う」ことに知識は不要だが、「考える」には知識が必要。
・言語を用いて、意識的に、論理的・合理的プロセスを踏んで行われる操作。
などがヒットしました。
つまり
これらを合わせてみると、考えるということは、
①既習の事項を組み合わせて、いくつかの方法を予想する。(例えばAとBとC)
②そして、Aだろうか?Bがいいのだろうか、それともCだろうかと比べてみる。
③Aを選択すると多分こうなるだろう。Bを選んだらこんないいことと悪いことがあるだろう、Cにはこんなメリットとデメリットがあるだろう、と推論・論証する。
④その結果、ここではBが一番いいだろうと結論づける。
そんな営みを合わせて、「考える」という意味になるなのだと思います。
すると、子どもに「考える」という行為を成立させるためは、
①考える基になる既習事項が身についている。
②AとBとCかと言ったような、およその答えの見当が見える力がある。
③AとBとCかと言ったような見当を論証する手だてをもっている。
などの条件が必要となります。これらが、あるかないかを見取らず、教師の思いこみで授業を進めると、その時間は無駄な時間になります。
また、見とれているのなら、予想される障害に見合った支援策をもって授業に臨まなければならないと考えます。
ところで、国語の教材「スイミー」で、スイミーがうんと、考えた場面があります。
このときスイミーは、このまま岩陰に隠れていたらみんなじり貧になり死んじゃう。でも、みんなは大きな魚に食べられることを怖がって出てこない。確かにこのまま岩陰からでたら、みんな食べられるだろう。じゃあ、岩陰から出ることと、食べられないことを両立する方法は無いものかと、考え始めます。
おそらく、ABCDE....いくつかの方法を思いついては論証していきます。Aの考えは、成功すればうまくいくけれど、練習の途中で食べられるからだめ。Bの方法は、レベルが高すぎで3割ぐらいしか助けられない。全員助けられないからだめ。Cのやりかたは、話してもイメージしてもらえないから受け入れてくれないようなプランはだめ。Dのみんなで大きな魚の振りをするのはどうだろう?まてよ、これなら、こんな風に練習して、それでこんなふうに隠れて........
そして、成功する姿が見えたのです。それが、「そうだ!」の瞬間です。
<これらが、あるかないかを見取らず、教師の思いこみで授業を進めると、その時間は無駄な時間になります。>
その通りだと思います。こうして子どもの理解の段階に敏感になることは教えていく上でとても大事ですね。totoro先生がひとりひとりの資質を丁寧に把握しておられることがよくわかります。今後の特別支援教育のあり方を考える時、普通教室の先生にtotoro先生のような「見極める」力が必要なのだと思います。