
6年理科「体のつくりと働き」
前時に、ここまで学習した。
空気中の酸素より、吐いた息の中の二酸化炭素は多くなりそうだ。それを確かめるために、気体検知管で数値をだして調べている。
問題になっているのは、吐く息の中の二酸化炭素は、空気中の二酸化炭素の濃度より増えるのか減るのか、酸素の増減はあるのかである。
予想を書かせると、ほぼ全員が酸素が減り、二酸化炭素が増えるだろうと考えている。
そこで、すぐにそれを裏付けるための実験に入る。
前時も気体検知管で調べているので、取りかかりも早いし、見ていても手際よい。
結果のでた班から、黒板に数値を記録していく。
そして、それを見ながら算数の得意な子が、およその平均を出してくれる。
この求められた数値を最初の板書に書き込む。
子ども達は、ノートへのまとめ方がうまくなり、短時間で実験の記録をとったり、板書を写したりすることができている。
板書を写すにしても、全く同じにするのでなく、後から見て分かりやすいように、説明を書き足したり、絵や図を入れたりしている子がほとんどである。
さて、ここで実験の総括をしてみる。板書を見ていると
どちらも、3パーセントの増減であることにすぐ気が付く。
二酸化炭素と酸素の増減は、関係があるのか、無いのか。
子ども達の考えは、こうだ。
取り入れた空気の中の酸素が体のどこかで、同量の二酸化炭素に変化してだされる。
ここで、次の疑問が出てくる。その二酸化炭素と酸素の入れ替え?交換?はどこで行われているのだろう??
次回の課題ができあがった。
ところで、理科はこの授業にかかわらず、子ども達はなんだかとても楽しそうに取り組んでいる。ノートにも美しく詳しく意欲的にまとめている。発表もするし、反応も多い。たいした授業ではないのに。なぜだろう。
理科は、なぜ魅力的な教科なのだろう?
・実験があるから
・本当の課題解決学習だから
・今まで知らないことが理解できるようになるから
おそらくそのようなことだとは思う。
しかし、何かもっと根本的なところで、教育の大事なエキスが入っているのでは無いのかなあと思う。それは何だろう?
こんな考えはどうだろう?
それは、教科書が薄いから。
教科書には楽しそうな実験の様子が載っているけれど、それがどうなるのかが載っていない。見ただけでは結果が分からない。
また、内容にゆとりがあるから、実験を何回も行い比べていく時間がある。だからスモールステップで、まずここまで調べよう。次にここが分からなくてはいけないから、ここを調べようと順に思考していける。
テレビと一緒で「続きは次回」となる。予告があると、楽しさは熟成されるのかもしれない?
なぜ理科が楽しいか。それは1時間1時間の授業でも楽しい。そして、単元を通して一つのストーリーがありそれを追い求めるのも楽しい。一粒で二度おいしいわけだと言うことがわかる。
そうなると、理科の指導を行う場合、単元計画を理解し、およその流れを常に考えながら指導することが大切だと言うことが見えてくる。
この学習、教科書では
「二酸化炭素が増えて酸素が減る」という程度で
その増減量には具体的に目を向けさせてないんですよね。でも、私もこの授業と同じように数値にまでこだわってます。
あと、「物の燃え方のときと同じような数字の変化だね」ということを見つける子もいます。まあ、呼吸の回数によって数値は若干変わりますから、ここはあまり追究できませんが。。。。。
疑問が明らかになって行く過程が面白い!
そんな子が増えるとうれしいです。