totoroの小道

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とりとめもなく

2009-02-14 23:13:56 | totoroの一日

今は普通規模の学校に勤務しているが、以前、北遠の極小規模の僻地校に2校勤めた。

それぞれ、山を越えれば信州であったり、奥三河だったりする、遠州の最北端の学校である。各学年数名の児童しかおらず、複式の学校だった。

幸いなことに、この2校の勤務地とは今もってつながりを持っている。

熊小のすぐ近くには、母さんの店・水車の里という施設がある。
地域興しのNPOが運営している、地場産品を販売するお店である。
道の駅にもなっている。
私は、ここのホームページを作成している。

ここのお母さん達と仲良くなり、この施設を使わせていただいて、毎年味噌造りを行っている。
今年も味噌造りの季節となった。
今日は午前中味噌を造りに、母さんの店に行ってきた。

大豆は、前日に煮ておいてくださっていた。
この、煮たままの大豆がとてもおいしい。
柔らかく、つまむとぐにゃっとつぶれるほどだ。

これに、麹をまぜる。

この麹も、母さん達の手作りだ。

大豆と麹を混ぜたものを、ミンチの機械に通してすりつぶす。

このすりつぶしたものに、塩を入れてよくまぜる。

最後に、こぶし大に丸めてよくこねて空気を抜き、樽にたたきつけて入れていく。
あれから数時間たつが、まだ私の掌は大豆のいいにおいがしている。

 

12日(一昨日)は旧暦の、正月18日である。
この日は、国の無形文化財となっている「西浦田楽」が行われる。

三遠南信地域は、冬に夜通し舞いを舞う祭りが伝わっている。
どの村にも自慢の祭りがある。
鬼や天狗の面をつけて舞う。
そのどれもがとてもおもしろい。
なんだか、中世の日本にタイムスリップしたような錯覚をおこすほど、昔ながらの祭りなのだ。

その中でも、この「西浦田楽」は昔の祭りそのままの状態で伝えられている。
それは、代々世襲を保ち、親から子へと受け継がれてきているからである。

西浦小学校の総合の時間に、一人一テーマで研究をさせたときに、この西浦田楽の笛を調べた子がいる。

調べてみると、世襲を守っているので、能衆と呼ばれる17軒以外の人間はこの祭りの舞い手にはなることができない。
しかし、過疎の影響で人がたらず、笛だけは能衆以外に頼んでいる現実があることが分かった。

そこで、その子と私は、それから毎週笛の名人のお宅に出向き、笛を教えていただいた。
そして、その年の田楽には、教え子と共に田楽に出させていただいた。

以来、毎年この祭りに参加させていただいている。
今年も、参加させていただいた。

こうした、昔ながらの日本が残っている場所に、私は惹かれる。
皆、昔から親しくつきあっていたように、気さくに声を掛けてくれる。

きっと昔から長い冬を、こうして過ごしてきたのだ。

お母さん達は、米を蒸し、豆を煮ながら
豆の煮えるまでの時間に、みなが釜を囲み
「あんたんとこは、もうそろそろ、芋を....かね?。」
「うん、あんたんとこは、どうやってやるに?」
「うちは、まず...して、それから....。こうすると....だからいいに!!」
「そうかね。今度うちもそうやってみるかいねえ。」
なんて、家事のこと、家族のことなど屈託もなく話すのだ。

長い寒い夜に、温かいたき火の周りに集まって酒を飲みながら
「この頃の家に使われる柱は、ありゃあだめだ。」
「もっとな、天日でしっかり半年ほして、しぜんかんそうさせなくちゃあ。」
「機械で乾燥させたら、気が死ぬで!」
「50年生きた木は、50年いかしてやらにゃあ。」

なんて、話したのだろう。

そうそう、先日NHKテレビで水窪の特集をやっていて、その中で、兵庫や横浜から水窪に移り住んできた人を紹介していた。
知り合いのうちに上がり込んだら、偶然その人達も皆来ていて、楽しい話も聞くことができた。

今週も、目が回るぐらい忙しい一週間だったが、こうした人とのつながりがあるおかげで、気分転換が上手にできているのだと思う。

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