
新城の会に参加した。
この会には、優れた先生が数多く参加され、そのコメントをお聞きするだけで勉強になるし、啓発される。また、ともに教材研究することで、今まで見えなかったものが見えてくる。
しかし、ただ参加するだけでは見入りは少ない。何か実践を持って参加しないと。
今回、私は、卒業式の様子のビデオを作成してあるのでそれを持っていくつもりでいた。私たちの卒業式を、他の先生方がどう評価してくれ、どうアドバイスしてくれるか楽しみだった。
しかし、出がけになってもそれがどこにあるか見つからない。おまけにビデオが壊れていてテープに録画できない。仕方が無いので、先週の新採研のことについてまとめ、それを実践として持っていくことにした。印刷に手間取り、1時間ほど遅れて参加となった。
ゆきの先生・後藤は、本当にすごい先生だ。勉強熱心で何でも知っている。そして、それを惜しげもなく私たちに開いて見せてくれる。また、どんなつたない実践でも、必ずその中に潜んでいる「希望の芽」をみつけて褒めてくださる。また、こうするともっと良くなるよと、必ず役に立つアドバイスをいただける。いつか、自分も力をつけてこんな先生になれるといいなあと、あこがれる。
この2週間はとても忙しく、本当のところは、家でゆっくりしていたい気持ちであった。でも、参加して良かったと思う。
国語の教材解釈は、きつねのお客様で行った。これは、実は先日の校内研修において模擬授業を行った際、取り上げようかどうか迷った教材である。
ゆきの先生が先生役になり、模擬授業を行った。
①段落をまとまりに分ける。
②まとまりごとにラベリングをする。その際、主語を同じにする。
①きつねがヒヨコと出会い食べようとした。
②きつねがヒヨコとアヒルを太らせて食べようとした。
③きつねが、ヒヨコとアヒルとウサギを太らせて食べようとした。
④きつねが、オオカミと戦って死んだ。
⑤きつねが、お墓を作ってもらった。
③おかしな場面を選ぶ
私以外全員④。私は①を選んだ。他の場面では、「うっとり」や「ぼうっと」なったが、①はその結果つまずいている。「お兄ちゃん」と言われるより、「親切」「神様」の方が嬉しい言葉のはずなのに、「お兄ちゃん「と言われたときが一番ぼうっとしているわけである。これはおかしなことだと思う。それも、ちょっとぼうっとしただけなのに、つまずいている。これもおかしなことだと思った。
④④の場面のおかしな点を出し合った。
⑤おかしな点を分類した。
・「きつねがいるぞ。」と言うこと。
・飛び出したこと。
・勇気がりんりんとわいたこと。
この際、「きつねがいるぞ。」は誰の言葉かが、話題に出た。一瞬オオカミとも思える言葉だからである。
⑥大問題を「なぜ命を賭けて3匹を救おうとしたか。」にした。飛び出したことが、おかしいからだ。よほどの理由があるはずだ。命を失うのだから。
・これは、2つの考え方ができる。
①自分のえさを守るため。
②大事な仲間を守るため。
飛び出すということは、「予想もしないものだ出る。」であるので、狐は自分でも予想していない言葉が出て行動をしたことになる。その後で「守らなくては」と勇気がわいたのだと思う。では、本人は気づいていないが、どこからか3匹はエサでは無くなっているはずだ。
⑦新しい問題が生じた。「どこで、えさで無くなったか。」だ。
私は、これが⑧の段落の切り株につまずくあたりだと思うのだが......
協議は、このあたりで終わった。ゆきの先生から、正解をお聞きしておくべきだった。
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