
1月の浜松授業研究の会 1月17日 浜北文化センター
今回は、準備しておいた「追求方式の授業の基本スタイル」にそって、わらぐつの中の神様の教材解釈を行いました。
Ⅰ、追求前の作業
・新出漢字の読みと書き順覚え
・朗読(個人、グループ、全体)(指名読み・・一文読み、段落読みなど)
・登場人物の確認(個人→全体)
・全体のイメージ作り(個人→全体)(あらすじをつかむ。誰がいつ、どうしたかなど)
・意味調べ
・場面の出来事をつかむ・中心人物を見つける(行動が激変した人)(個人→全体)
・心をひかれた文、段落に◎をつける。できたら欄外に理由を簡単にメモする。
当たり前のことですが、それぞれがまず教材をすらすら読めるようになる必要があります。
登場人物やあらすじ、それぞれの場面の出来事や順序などが分からなければ、同じ土俵上で話し合うことができません。
特に、このお話では、文章の構成が大事になります。
現在→過去→現在となっています。
主題をより印象づけるために、「山田みつ」さんが、おみつさんとして登場するのです。
意味調べは、この先も大事な言葉がでるたびに、随時行います。
この段階では、物語の概要をつかむために、知らない言葉を調べておきます。
例えば、「スキーぐつ」だとか「気立て」だとか「げた」とか「むしろ」とかのように。
※この先、追求過程では、知っている言葉をもっと詳しく知るために調べていきます。
ここで、問題になったのは、主人公についてです。
現在の部分は、「マサエ」です。
過去の部分は、「大工さん」「おみつさん」のどちらかです。
どっちだろう?
おみつさんは、徹頭徹尾、純情で一途で、馬鹿正直で変化がないように感じます。
大工さんは、わらぐつの価値を見いだしたり、おみつさんの人柄を理解して恋をして変化成長していきます。
こうした自分物の変容からすると、大工さんが主人公のようにも思えます。
しかし、大工さんはあまりたくさんは登場しません。
おみつさんのお話の合間に登場するぐらいです。
ここで、河島先生が、
「主人公を特定することはそれほど大事なの?」
「どちらが主人公であっても、どちらかを学べばもう一人のことを学ばなければならなくなるでしょ。」
「あえて、一人のことだけを学ぶ方向で絞らなくてもいいと思うよ。」
とおっしゃいました。
この先、大問題を考えていけば、自ずと大事な登場人物が浮かび上がってきます。
ここでは、河島先生のおっしゃるように、二人の気持ちの絡みを読み取っていくことになりました。
内山先生から、大問題に迫っていくために、この段階でもう少し教材理解をするための「問題作り」が必要だと提案がありました。
「内容を理解しておかないと、大問題がピント外れになるから。」
「題名から問題を作らせるといいのです。」と内山先生がおっしゃいます。
「わらぐつ/の/中/の/神様」と切ってみると、問題ができると思うよ。」
「子どもたちに問題を作らせるのです。」
そこで、メンバーで問題作りを行います。
わらぐつからの問題
・わらぐつって何。
・だれが作ったの。
・いつ作ったの
・どんなわらぐつなの。
・どうやって作ったの。
・何のために作ったの。
・わらぐつはどこに置いたの
・わらぐつは誰が買ったの。
・大工さんはどうしてわらぐつを買ったの。
.....確かに、これだけでほぼ物語のあらすじが分かってしまいます。
「わらぐつも大事だけど、やはり神様が大事だと思うよ。」
という意見がだされ、「神様で問題を作る」ことになりました。
すると「神様って何?」という問題につきあたります。
国語辞典を引いてみると
神様=絶対的な超能力を持ち、自然界・人間界を左右するものと考えられた創造主。
と載っています。
「この場合、文中では「神様」ってどんな意味で使われているのだろう?」
と調べることになりました。
文章中にはこう書いてあります。
使う人の身になって、心を込めて作った物には、神様が入っているのと同じこんだ。
「入っている」=「作った物」だから
神様=「人の身になって、心を込めること」となることが分かりました。
でもすると辞書の神様と意味が違います。
同じという言葉が、気になります。
同じを辞書で調べると
①本当に同一=等しい
②ある性質が等しい
の2種類の意味があることが分かりました。
どちらだろうと考えます。
②なのですが、辞書内容や例文から、5年生がそれを理解するのは少し難しいと感じます。
それなら、②の証拠が文中にないか探してみました。
神様が出てくる件は3カ所です。
・神様が入っているのと同じこんだ
・それを作った人も、神様と同じだ。
・おまんが来てくれたら、神様みたいに大事にするつもりだ。
前の2つの分には同じが入っていますが、3文めには入っていません。
そのかわり、同じのかわりに「みたい」が使われています。
つまり、ここでの同じは「みたい」と同じ意味で使われていることが分かります。
わらぐつの中に創造主としての神がいるのではなく、
わらぐつの中に「人の身になって心を込める」という神さまの慈悲の心が入っているのです。
こんな学びで、「1、追求前の作業」を終えました。
50回 | 2月14日 | 土 | 9:00 | 15:00 | 浜北文化センター | 第1会議室 |
51回 | 4月11日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
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