
6年生の理科でジャガイモを植えました。後の単元で、日光と養分の勉強の際に使うのです。
外に出てしまうと指示が徹底できないので、教室で作業の手順は指示しておきます。ですから、外に出てからは、「先ほどの指示をよく思い出して、一人一人がよく考えて行動しなさい。」と話してすぐに作業に入りました。作業が始まってすぐに雨が降り始めました。傘をさし、やみ間をみながら続けることにしました。
しかし、女の子達は作業その1に取りかかることができません。作業その1は「もったいないけれど、花壇の花を抜きましょう。」です。
「こんなにきれいな花を抜いちゃうなんて、できないよ。」「かわいそうだよね。せっかく咲いたのに。」「ここまで、世話をしてくれた大桑さんにも申し訳ないよね。」「でも、ここにジャガイモを植えないと、理科の実験ができないんだよ。」「どうしよう.........」彼女たちは、話し合いを続けます。そして出した答えは.............
「先生、このお花を花瓶にさしたいんですが、いいですか?」でした。顔も可愛いし、姿も素敵ですが、それ以上に美しい彼女たちの内面を見ることができ、本当に嬉しく思いました。「いいことを考えたね。すごいね。是非お願いします。こんなにたくさんお花があるから、全校の教室に飾ることができるかもしれないね。」と答えました。
彼女たちは、まず男子と協力して丁寧に花を抜きました。
その後、耕すこと、肥料をやりジャガイモを植えること、作業に使った道具を洗ってしまうことを男子に任せ、お花に専念します。
抜いた花を台の上に移して、一本一本よく見て使えるかどうか吟味します。「ここで切るといいよね。」そんなことを話しながら、大切にはさみで切って、そろえていきます。この頃になると、少し雨が強くなりましたが、ぬれることなんかお構いなしです。もう、お花に夢中です。
「○○さんたちは、このままお花を切っててね。私たちで、抜いたときに付いた泥を洗ってくるからね。」仕事の分担が始まります。「はい、これだけ切れたよ。」と水道まで運んでくる子どももいます。切る係、運ぶ係、洗う係、そろえる係、それぞれが協力し合って、たくさんのお花が手際よく花瓶に挿す花へと変身していきます。
時間になったことと、さすがに雨が強くなったことで、「ここで理科は終わります。このお花の続きは、昼休みにやりましょう。」と声をかけ、理科の時間は終わります。
雨が降っていますから、ここにこうしてお花を置いておいてもしおれることはないと思っていました。しかし、彼女たちは花が心配でなりません。「先生、このお花を昇降口にしまっておきたいのです。新聞紙をもらってきて、昇降口に移してもいいですか?」「もちろん。でも、雨に濡れちゃうよ。」「大丈夫で~す。さあ、新聞もらってこよう!!」走っていきます。
昼休み、三々五々誘い合わせて彼女たちが集まります。新聞に花瓶に入るぐらいずつ分けて包みます。「ねえ、じゃあさあ、包んだお花を分けてくる人と、お花を包む人に別れよう!!」と誰ともなく声を掛け合います。「じゃあ、私は2年生に行ってくるね。」「私は4年生に行くよ。」それぞれ、分ける教室を決め、楽しそうにお花を抱えます。
子どもの内面を見る、そして育てる。内面なんて言う言葉を今の教師はどれだけ大切にしているだろうか。時々思うことがある。