
たまたま通りかかった、平野先生の国語を一部見させていただきました。
「新しい友達」に取り組んでいます。さらっと通り一遍に読めば、へ~そうなんだあ、で終わりです。でも、こだわって読んでみると「あれっ、知らなかったあ。よかったなあ、このことに気づくことができて!!」と子ども達の気持ちが変わります。すると、「授業って参加すると、気づきがいっぱいあっておもしろいな。」と思うようになり、体ごと引き込まれています。
平野先生が子ども達にこの日、教えようと考えたのは「助詞の大切さ」です。この場面に、助詞は山のようにありますが、その中のどこを使ったら、「へえ~、助詞ってすごいんだ。」と思ってもらえるんだろう、と平野先生は考え、あらかじめ「変じゃないってば。」の「てば」(ば)を扱おうと決めてあります。そして、納得させるために、準備も整えて授業にのぞんでいます。
「変じゃないってば。」が、なんだかおかしいことに子ども達が気づきます。主人公がこだわって、今までと声の調子が変わっているからです。
そこで、「分からないときは?」と聞きます。「切る!!」と子ども達が答えます。「へんじゃないってば。」を切っていきます。「変」「じゃない」「てば」と切ります。子ども達は、最初は「変」ということにこだわり、「変じゃない」と打ち消していることに気づきます。が、そのうちに、じゃあ「でば」は何だ?おかしいぞと、もぞもぞしてきます。
「変じゃない。」で意味は通じるのに、さらに「てば」が付いているのは、なんだか怪しいと思い始めます。
そこで、それぞれ辞書を引きます。が、助詞という言葉までは行き着きますが、助詞についての辞書の説明は子ども達に分かりにくいものです。そこで、平野先生は次のような紙を取り出し掲示します。
「先生があらかじめ調べておいたんだけど、「てば」には2つの意味があるの。どっちだと思う?」と聞きます。①はおかしいから、この場合は②だという子が多く、多数決を取ってみると、ほぼ全員が②を選びました。
そうかあ、「変じゃない。」だと意味だけだけど、「てば」がつくと、分かってもらえないいらただしい気持ちや、それでも分かってもらおうと努力している様子が分かってくるんだ、と子ども達が納得します。
そこで、黒板にこう書きます。
「助詞=言葉に意味を持たせる魔法の言葉」
この頃になると、子ども達は身を乗り出して先生の話を聞いています。一字一句聞き逃さないぞという気持ちで聞いています。よく分からないけれど、なんだかとても大事なことを、今先生が教えてくれているんだと感じているからです。
さらに、先生が続けます。「これは辞書の意味だからわかりにくいよね。もっと、本文と関係づけて、分かりやすい文にしてみようよ。」
「こちらってなに?」
「ひろ」
「相手って?」
「坂本君」
「じゃあ、通して読んでみようよ。」
「ひろは、自分の気持ちが分かってもらえないいらだちをこめながらも、坂本君を納得させようとしている。」
これを「変じゃない」という言葉に加えてみると、こうなります。「それまでは「何か変な気持ちがする。」という感覚だったのに、「なんか変だぞ。」と坂本君に言われたことで、改めて自分でも迷っている気持ちがあることに気づいた。そして、自分でも自分の気持ちが分からない、いいらだちを込めながらも、坂本君を納得させようとしている。」
この後「ここまで分かってくると、ここから何か問題ができそうだね。」と先生は子ども達に問います。
「私はね...。」あちこちで、話したくてたまらなくなった子ども達が、互いに話し合いを進めていきます。
ところで私は3つの学校に入っていますが、授業もそうですが、子供たちの朝の運動、挨拶、歌声、話の聴き方、その内容どれをとっても光明小は改めてすごいと感じているこの頃です。ぜひ、自信を持ってやってください。
先輩達が築いてきたこのよい伝統を、なくさないように守っていこうと思います。そのためには、手を変え品を変え絶えず子ども達に揺さぶりをかけていこうと思います。
平野先生は、やっぱりすごいです。4月の頭から、もう勝負をかけています。