
2年生書写。たかが書写。2年生は、ひたすら鉛筆で文字を書く。普通に考えたらそんなに楽しい時間とは思えない。
しかし、内山学級の子どもたちは、担任に鍛えられて「追求型人間」に進化してしまっている。ともかく教室に入っていくと、もう全員背中をピンとのばして、瞳を見開いて待っている、空気が澄んでいる。今日はどんな楽しい授業になるか、わくわくして待っている。
たかが書写といえども、手を抜いた指導では許してくれないすごさがある。
だから、書写のある日は朝から大変である。書写ワークのこのページをどのように取り組ませるかが気になって仕方ない。
ただ「書きなさい。」と言っても、彼らは喜んで黙々と取り組むだろう。しかし、せっかく期待してくれているのである。なにかしら、満足させてあげたい。
最初は、体全体を使って書き順の練習をしたり、どの子にも丁寧に花丸をつけて回ったり、「ぱく、くるりん」で鉛筆の持ち方を身につけたりと、表面的な楽しさや励みで満足してくれていた。が、要求はどんどん高くなる。
(ぱく、くるりんの指導の様子=
http://blog.goo.ne.jp/totoro822/e/91e38788ff5673978aa472c239f92f94
(つの 角大作戦の様子=
http://blog.goo.ne.jp/totoro822/e/b1f6196360e5668acce605a517e9ddf4
「先生、ぼくもっと字が上手になりたいんだけど、どうしたら上手くなるの?」
「どうしてもはらいが上手く書けないんだけど、どう書けばいいの?」
そんな具体的な要求を感じるようになった。
今回用意したお手本は、「船に乗って外国へ行く夢をみた。青い青い海の.................」という言葉に、赤でこんな模様を書き込んだものを用意した。少し拡大してみる。
目当ては
「大きな卵をかこう。」
とした。
子どもたちは、字を上手に書きたいと思っている。手本があれば、それと同じように書こうと努力している。しかし、書けないからだんだんきらいになる。
なぜ、やろうと思うのにできないのか?
それは、イメージできないからだ。
例えば「の」を書くとき、右の半円と、左の半円は、等しい大きさではない。しかし、お手本を見たときに、子どもたちはそうしたバランスについては意外と見ていない。どこから始筆が始まっているか、どこで一度鉛筆が止まっているかなども見ていない。
こう書いてそれからこっちへ曲がって.................と、書き順と方向だけを見ている。
これを意識させるには、いちいち指示していたのでは一問一答の授業なる。
そこで、空間にしめる文字のバランスのイメージを、ぱっと見てつかませる支援がほしくなる。
黒い文字に中の、赤い卵。目立つのである。ぱっと目に入る。ここに、このぐらいの卵がある。そう認識してから、書き始める。
こうして並べてみると、多少極端ではあるが、空間を意識して書き、結果として大きく読みやすい字になっている様子は見て取れる。
また、字を丁寧に書くことはとてもシビアな取り組みであるが、こうして大きな卵を書くことでちょっと遊び心も生まれ、気持ちの集中と開放のバランスも取れる。
だから、一生懸命に書いたという充実感を感じる。自分の作品を、友だちにも見てほしくなる。
「この字、ほらこのお手本と比べてみると、卵の形がちがうよ。」
「私の方が、全体に大きな卵がおおいよね。」
「A君って、本当にきれいな字を書くんだね。すごいね。」
あっちでも、こっちでも、自然と交流が始まる。
こうした、自然発生的に話し合うときの子ども顔は、心を開きとても素直な顔になる。こうした顔が大好きである。