
今年も、校長室は「試す場所」になっています。
休み時間になると、「校長先生、いる?」「歌を聴いてくれますか?」「柔軟を見てほしいです。」などと、子ども達が集まってきます。それぞれの得意なことを、校長室という緊張する空間の中でもいつも通りにできるかどうかを試しに来ます。
この日も、校長室からたどたどしい鍵盤ハーモニカの音が聞こえてきます。そっとのぞいてみると、口をとがらせて、息を何度も吸いながら、目は鍵盤を一生懸命に見ながら、低学年の子ども達が演奏をしています。校長先生は、じっとしずかにほほえみながら聞いています。
今度は、「一人一人聞いてね。」と個人の演奏になります。「いいよ。聞いていてあげるから、頑張ってね。」とまた校長先生は静かにその様子を眺めています。
不思議なことに、最初たどたどしいと感じた鍵盤ハーモニカの音が、次第に透き通った、きれいで、スムーズな音に変わっていきます。私の耳が、鍵盤ハーモニカの音に慣れてきたのか、それとも、一生懸命に演奏する数分間のうちに彼女たちのレベルが上がったのか.......
全員が個々に演奏し終わると、やっと、校長室にほっとした空気が流れます。「やった。うまくできた。練習通りだ。」そんな心のつぶやきが聞こえてきます。そして、嬉しそうに「校長先生、サインちょうだ~い!!」
そのサインをとっても大事そうにしまいます。「失礼しました。」と元気なあいさつの声とともに校長室を飛び出して行きます。
きっと、早く教室に戻って、友達や先生に「あのね、校長先生にサインもらったよ。今度の校長先生のサインはね、こんなサインなんだよ。」と見せたいんだろうなあと、その姿を見送ります。
今度は6年生の女子が、「校長先生、柔軟を見てください。」とやってきます。そのメンバーを見て、おやっと思います。昨年までは、おとなしくて進んで校長室で演技するように見えないメンバーだったからです。
演技の様子や、校長先生とのやりとりの様子を見ながら、私も「○○○さん、すごいね。また来てね。」と声を掛けます。○○○さんと呼ばれた子が、ちょっとほほえみます。(彼女はとってもおとなしい子です。表情も、あまり変わりません。だから授業でも彼女の言葉を引き出したり、ノートで表現させたりしたいと考えています。)その○○○さんが、最近私が語りかけると、いつも同じように少しほほえむのです。
そのときです、○○○さんの傍らにいたAさんが「先生、ちょっとお話があります。」と私のところに近寄ってきます。Aさんも、とってもおとなしくて恥ずかしがり屋の女の子です。その女の子が毅然とした態度で話しかけてきたので思わずびっくりします。
「なあに?」と聞いてみると、「先生はいつも、Bさんのことを○○○さんって呼んでいるんだけど、彼女の名前はBさんです。」と話してくれます。
そうかあ、Bさんがいつもちょっとほほえむのは、困っているんだなあとやっと分かりました。
Aさんの顔は、真っ赤です。校長室で、それも今まで一度も個人的に会話したことのない私に、日頃思っている『直してあげた方がいいこと』を言ったのですから。
「ごめんなさい。そうかあ、悪いことしちゃったなあ。教えてくれてありがとう。」そう言いながらAさんを見ます。Aさんも、まっすぐに私を見ています。Aさんを見ながら思います。今まで気がつかなかったけれど、Aさん、美しくなったなあって。そういえば、登校の時にいつも1年生の世話をよく見ているよなあ、掃除の時は「ここは、こうして拭いてね。」ときちんと指示していたよななどと、最近の彼女の言動が頭に浮かびます。
校長室を出て行く彼女たちに、「また来てね、Bさん、まってるよ~。」と声をかけます。扉の向こうから「聞いた?今、ちゃんとBさんって呼んでくれたよね!!。」Aさんの、楽しそうな声がします。
そのとき、ふと何度も聞かされた「輪郭のはっきりした子供」という言葉を思い浮かべます。こうして何かに挑戦する子、今までの殻を破って新しい姿を求めている子、自分の考えを持っていてそれを伝えようとする子、それが輪郭のはっきりした子なのだろうと感じたのでした。
子どもたちの授業での発言や校長室での歌声や器楽の演奏、柔軟体操などが聞こえてくるようです。見えてくるようです。
校長先生の笑顔が素敵ですね。