私の日本の春は桜度
所用があって自分が卒業した小学校近くに出かけた。
行くまでは「行くのめんどくさー///。」と思いかけていたのだけど、
やっぱ行くかとハイブリッド(生意気にも新車)を運転して行った。
そしたらば・・・小学校の桜が満開だった。
学校の中でも人生で最初に門をくぐる小学校のことは年端がいかない頃の割りにけっこう覚えているものだけど
時々母校が統廃合で無くなったとか、遠くへ引越しして長く帰れていないとか聞くし
地震国日本に生まれた時から誰もが可能性あることを今度の大震災と大津波で改めて感じたのだけど
自分の学校、あるいはかつての学校が壊滅的な影響を受けることだってある。
そんな中6年間通った小学校が今もちゃんとあって、たまたまだけど桜の季節にドンピシャの時に訪問して
図画の時間に写生した桜が今も残っていて変らずに花を咲かせていて、それがまさに今満開なのを見られた。
小さいことかもしれないけれど立派な奇跡だと感じた。
絵を描くのは好きなのだけど才能に恵まれなかった。
桜をじっと見つめているとピンク色なのだけどピンクだけではなくて
表には出ていないけれど黒と灰色が色彩構成比の何%かを占めていることに気が付いて
桜を描くのは本当にむずかしいことに思い至って。
やっぱ私もまんま日本人DNAなのだと思う。桜が好き。
ピンクだけでなく黒と灰色が色彩構成比の何%かを占めていること=表と裏。人生の歓喜と悲哀にも思えて。
好きな花はほかにもいろいろとあるのだけれど、日本そのものだと思える花だなー。
軍国主義でもなんでもありませんけどね、本居宣長の「花は桜木人は武士」・・・
私も散り際の潔さも好きですよ。
私はそんな風な潔い人生もかっこいい散り方も出来ないかもですが。
花なら桜。人である武士なら桜の花のように散る時も潔くありたい。と言う意味で歌われたのかと思っています。
当然ですが、なかなか思った通り潔くなーんて出来ないのが人間。
あくまで理想だろうぐらい解釈でいいのだとも思っています。
人が他の人に対して潔く散ることを強制する世の中は不幸なのだとも感じますね。
英語で、桜の木は「Japanese cherry」。
「日本を象徴する鳥」学名Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)のトキと同じく大切に思って良いと思いますね。
私は自由が好き。だから、自由に物が言え、人に迷惑さえかけなかったら好きなことが出来る今の日本を何より尊いと思っています。
だけど、私が生まれついてから初めての出来事に遭遇していて。
放射能を不当にまきちらしたと諸外国から非難され信用の出来ない国だと言われかけていて。
本当悲しいなぁー。技術力で他国より尊敬され、貧しい国々を助けてあげる、例えるとアトムのような国だと
自国、日本を誇りに思っていたのだと今になって思っています。
今年はね、桜の木「Japanese cherry」も例年に無く開花遅かった。
それって桜の木も大震災で亡くなられた方に黙祷を捧げてから花開いた?って。
時間はかかるでしょうけれど、日本に復興して欲しいって自分が卒業した小学校の桜を見ながら強く願いました。
←参加しています。@小春ガンバ~1くりっくいただければうれしいデス☆
きのう04月12日の閲覧数:919PV ご訪問者数:304IP
順位:1,566,345ブログ中 3,135位でした。
いつもご訪問いただきお読みくださる方、初めてお立ち寄りくださった方、ありがとうございます。