ウォーキングと旅行でのひとり言

因幡街道 宿場町 平福 その1

昼頃に、智頭駅に戻り、昼食をとってから「平福」へ行きます。





この電車に乗ります。出発まで10分ぐらいあります。





今日は、1日フリー切符を使いました。上郡と智頭間なら1日なんどでも自由に乗り降りできて1200円です。この時は、土曜、日曜、祝日しか発行されませんでした。



電車に乗って、平福を目指します。


この電車の乗客はわずか数える程でした。


私の前に、小さな子供を2人連れた若い母親が乗っていました。声をかけました。


「どこへ行かれるのですか。」 「2つ先の駅まで行きます。今は、智頭で暮らしているのですが、この子らを電車に乗せたくて。」


なんとも、ほほえましい話だと感じました。旦那さんが自動車でその駅に迎えにきてくれるそうです。


私のすぐ隣の席ではオヤジさんが、美味しそうにワンカップを飲んでいました。




平福に40分ぐらいで着きました。






平福駅。近畿の駅の百選に選ばれました。






黄色の線に沿ってウォーキングします。




駅のすぐ近くに、城の石垣に使われた石の展示がありました。





平成24年の佐用川の河川改修の時、利神城跡の一部が発掘調査されました。

大手門となる南石塁の西端部では埋もれていた石垣と堀が検出され、堀幅約13m、現在上部が失われている石垣も約6mの高さと推定されるそうです。

写真は、石を割る時に使った楔の跡(矢穴)が残っている石です。


黄色の線に沿って歩きます。





この辺りは、武士が住む「御殿屋敷」が建ち並んでいたそうです。





城は、「利神山山頂」に築いたことにはじまるそうです。


関ヶ原の戦いの後、「池田輝政」の甥の「池田出羽守由之」が2万2千石で領主となります。











昔の、城主屋敷や、武家屋敷を空想しながら歩きました。(空想するのが好きです。)


しばらく歩いて、佐用川にかけられた「宮橋」を渡り、商人の町に入ってきました。


「一国一城令」により、利神城の廃城後、ここは、因幡街道有数の宿場町として発展しました。















江戸時代初期の創業である「たつ乃醤油」がありました。













「教岸寺」へ行ってみました。





本堂が平福小学校として使われたのをきっかけに、この地の学校教育がスタートしたそうです。






「旧田住邸」がありました。田住家は代々大庄屋を務め、18世紀には、旗本松平氏の代官として陣屋での政務を任されていた家です。


ここには、元禄期に作られたと思われる池泉鑑賞式庭園が今も残っているそうです。


「宮本武蔵(7歳)」が、父の平田無仁斉の死後、母を慕い、ここ平福にきたようです。


その後、彼は縁者の「道林坊」と「田住正久(母が後妻になった人)」により学識をさずかりました。



現在は、「農村カフェ」になっています。表に、上品なご婦人が出てこられたので、話しかけました。

「ここは、コーヒーが飲めるのですか。」「はい、中に庭園があってそれを見ながら、ゆっくりと休んでください。」

中に入らせてもらいました。





玄関に私の好きな“ミニュチアの着物”がありました。














ゆったりとした気分で、アイスコーヒーをいただきました。羊羹も美味しかったです。

今日、私が、智頭を歩いてきた話や、古い町並みが好きで、写真をとってはそれで絵を描いている話もしました。

なんか、この家に遊びにきた雰囲気になり、楽しい時間を過ごしました。


帰り際に、貴重なものを見せてもらいました。

















気持ちがリフレッシュして、ここをあとにしました。


ブログが長くなりました。この続きは次回に

コメント一覧

tokimekigirl
素敵ですね。
読者登録ありがとうございます。
とっても素敵なイラストですね。色彩も柔らかくてほっこりします。またお邪魔させていただきます。(#^.^#)
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