地図のV地点の道路を挟んで反対側です。
ここから、河原町商家群を見ながら歩きたいと考えています。
ちょうどV地点に、”鉾山の保管庫”がありました。
京都の祇園祭を思わせるような9基の鉾山が、宮入りするそうです。
下河原町の鉾山が”鳳凰山”と言います。(河原町は”三笠山”、上立町の”孔雀山”、下立町の”高砂山”、…………。)
1716年から35年には、今ある9基の鉾山が揃ったそうです。
この通りを東へゆっくり歩きました。
早速、右手に「西坂家住宅」がありました。
屋号を「綿屋」と言います。
元は綿花栽培、醤油屋を営んでいました。
主屋は中二階建てで、入母屋造妻入です。
間口は9間あり、篠山伝建地区ではもっとも広い規模を持っていました。
篠山城築城後の1620年につくられた、この河原町妻入商家群では、5mから8mほどの狭い間口と奥行きが非常に深いのが特徴です。
”妻入”というのは、屋根の三角形の部分が道に向かって建っている形を言います。
道の左側の風景です。”妻入”が並んでいました。
西坂家のすぐ東隣の「川端家住宅」
川端家は間口が9間半の入母屋造平入りの町屋。
(”平入”は、屋根の三角の部分でない方が道に向かっている形です。)
間口が広いことは隣の西坂家に次ぎます。
道の反対側の妻入
ちょっと、別世界にきたような”江戸時代”を想わせる建物が並んでいました。
ゆっくり楽しみながら歩こうと思います。
右側の「栄亀堂」は、町屋カフェです。
江戸時代から和菓子屋さんを営んでいたそうでした。
古い店が並んでいました。
すぐ先に「丹波古陶館」が見えてきました。
古陶館の正面に来ます。
この建物は、江戸時代そのままの姿です。
館内には、丹波焼の創成期から江戸時代末期に至るまでの約700年間に作られた代表的な品々を展示していました。
このすぐ東に「能楽資料館」があります。
藩政時代からの篠山地方に伝わる資料が展示されています。
さらに、中世から近世にかけての能面、装束、楽器などが展示されているとのことでした。
能楽資料館の前に木の椅子があったので、ここに座って休憩しながら町の雰囲気を味わいたいと思います。
コメント一覧
ネコシバ
最新の画像もっと見る
最近の「旅行」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事