電車は1両です。この時は、車内は意外に混んでいました。私と同じくらいの年代の人が多かった印象です。多分、青春18切符の使用期限の最後だったとの理由を推測しました。
隣に並んで立っていた、同年代の人から、「どこへ行かれるのですか。」と聞かれました。
「すぐ次の関です。」 「何があるのですか。」 「東海道53次の宿場で、古い建物が沢山残っています。」
電車はすぐに関へ着きました。関駅から、次の地図の黄色の線に沿って行動しました。
駅から歩いて街道筋に入り、東の端(東の追分)近くまで最初に行きました。
その近くの風景です。
庇の下に取り付けられた「幕板」は、店先を風雨から守るための霧除けでした。
座敷の前にある出格子窓は、明治時代以降に取り付けられました。
この辺りで、西の方を見渡した風景です。
左手手前に、「花林」が見えます。手づくりの小物、和雑貨、古布の店です。
手前が「開運楼」、その隣の遊快亭と看板にあるのが「松鶴楼」で、関を代表する二軒の芸妓置店でした。
手前の建物を見ると、表の竪繁格子、弁柄塗りの鴨居や柱、二階はこった意匠の手摺り、格子窓等に、その面影が匂います。
付近の風景です。
関は古い昔から、交通の要衝で、古代三関のうちの「鈴鹿関」が置かれていた場所で、関の名もここからきています。
江戸時代には、東海道の江戸から数えて47番目の宿場としてにぎわいました。
これだけ古い建物が残っているのは稀有です。
関宿の範囲は、東西追分(東西の端)の間の約1.8キロメートル、
江戸時代から明治時代にかけて建てられた200軒あまりの古い町屋が残っています。
百五銀行。町並みに配慮してこのような意匠になったそうです。
関駅からの道と交差するところまで帰ってきました。
「山石」です。喫茶、食事処でしょうね。
英国紅茶の店「アールグレイ」。おいしい紅茶と手づくりのケーキがうりみたいです。
ここから、西の先の方を見た景色。
「鶴屋」です。玉屋、会津屋と並んで、関を代表する旅籠屋。
江戸時代の終わりには、脇本陣をつとめました。
座敷の前についた千鳥破風が格式を表しています。
百六里庭(眺関亭)です。関宿が江戸からこの距離にあることから名付けられました。中に小公園があります。高い場所から、関宿の家並みが一望できます。
さらに西へ少し行くと、反対側に「橋爪家」があります。
江戸時代の初めから両替商を営み、豪商でした。江戸にも出店があります。
街道に面して三角形の屋根が珍しいそうです。
松井電気、「伊藤本陣跡」です。
左端の建物が「玉屋」です。関宿を代表する大旅籠の一つで、今、修復中みたいでした。
二階の壁に個性を感じました。「漆喰の 細工玉屋の 宝珠窓」 関宿かるたより引用。
すぐ、隣に高札場があります。
少し西へ行くと、反対側に前田屋製菓「志ら玉」がありました。
関宿には、古い町屋が沢山残っていますが、多くが実際に使われていると感じました。
ここから、西の先の方へ目をやりますと、遠くに地蔵院が見られます。
「地蔵院」は、近郷の人々に加え、街道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの参拝客で賑わっているそうです。
地蔵院のすぐ近くまで来ました。
「会津屋」です。関宿を代表する旅籠の一つ。
地蔵院門前の風景です。会津屋の隣の「洋館屋」二階に洋風意匠の窓があります。米をつく水車の音から名のついた「川音」、伝統ある鍛冶屋などの町屋が並んでいます。
これで、西の端付近まで来ました。
予定した電車の時刻が迫ってきたので、駅へ引き返すことにしました。
先の方に駅があります。
関駅から柘植駅まで乗った電車。
関駅から柘植駅で乗り換え、さらに草津で乗り換えて、播州赤穂に帰りました。約4時間かかりました。
柘植駅から草津駅まで乗った電車。
今回の旅行も、満足した1泊2日でした。
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さざんか
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