JR岡崎駅から特別快速大垣行きに乗り、名古屋で関西本線四日市行きに乗り換えました。
関西本線の四日市行きの電車です。
名古屋から35分かかって桑名に着きました。朝、9時ぐらいです。駅前で観光案内所にいきましたが、閉まっていました。今日は、携帯のナビが活躍しそうです。
私の旅の仕方ですが、その土地に行ってウォーキングすることを目的としています。目的の観光する場所をいくつか設定して、それらを「オリエンテーリングのチェックポイント」に見たてるのです。
主に、黄色の線に沿って行動しました。
ナビを使って、まず「専正寺」を目指します。桑名は初めてきました。約30分ぐらい歩いて最初の目的地に着きました。
専正寺です。この辺りは、江戸初期には漁村で、蛤の貝殻で厚く地面は覆われていたそうです。
何か蛤の痕跡が地面に残っていないか探して見ましたが、当然、発見はできません。
蛤に対する感謝の気持ちから、蛤墳が建てられ供養されました。
次に、「海蔵寺」に行こうと、きた道を少し戻ると、目の前に素敵な和菓子らしき店を発見しました。
よっぽど土産として和菓子を購入しようと思いましたが、嫁の怖い顔が浮かんでやめました。(私は糖尿があります。)
約10分ぐらい、ぶらぶら歩いていると次のチェックポイントの「海蔵寺」に着きました。
1753年、薩摩藩は幕府から、揖斐、長良、木曽川の河川工事を命ぜられます。このときの工事で多くの犠牲者を出し、巨額の経費がかさんだことで、工事総奉行の「平田靭負」は自刃しました。ここには彼の他21名の墓石が現存しています。
次の目的地に向かいます。「寺町通り」を通って「桑名別院 本統寺」へ。
ナビを使っていると、商店街で「寺町通り」と出ます。イメージが違ったので、通りがかった僧侶に思わず「ここが寺町通りですか。」と聞いてしまいました。
昨日が「三八市」がたった日だったということがわかりました。今日は4月9日なので、当然ですね。
桑名別院に着きました。
ここは、徳川家茂や明治天皇が泊まられた由緒ある寺です。
境内には松尾芭蕉が野ざらし紀行の時に詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」の句碑があります。松尾芭蕉はたしかこの近くの伊賀上野の人だったですね。
近くの風景です。
次の目的地の「京町見附」を目指します。ゆっくりぶらぶら歩きます。知らない土地を楽しみながら、周りをキョロキョロしました。その土地の匂いを嗅ぎながら。
しばらくして、ナビが「到着しましたここが目的地です。お疲れ様。」と出ました。公園です。
周りを見ますが、それらしき建物を発見できません。ここ桑名は東海道42番目の宿場で、番所があって旅人を看視していた場所が京町見附です。また、郷方役所もあったそうです。
地元の人らしき男性にお会いしたので尋ねました。
「京町見附はどこですか。」
話をしてわかったのですが、「京町公園」のところにあったそうで、ナビはあっていました。番所があり、旧東海道はここで枡形道路になっていたそうです。現在は、何も残っていません。
その方と少し話をし、名刺もいただきました。私と同じようにブログをされているそうです。旅先で地元の人と話をできるのも旅の楽しみの一つです。
この先の観光場所のことも教えていただき別れました。
少し歩くと、大正ロマンを感じさせる建物に遭遇しました。
昭和2年に、銀行として建設されました。現在は「石取会館」として、石取り祭りを紹介している施設として使われているみたいです。ちなみに石取り祭りは、「日本一やかましい祭り」だそうで、どんな祭りか興味があります。
桑名城跡に行く途中に「歴史を語る公園」がありました。
桑名は東海道の宿場。桑名藩の城下町。木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)と伊勢湾の海上交通の港町。
江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道をモチーフにして造られているそうです。
道中をイメージする道標や案内板。
次は、桑名城跡を目指します。
ゆっくり散策しながら進みます。堀があり、公園がいくつもあるように思いました。行ったり来たりもしながら、やっと、桑名城跡にたどり着きました。初めから建物はないとわかっていたので、戸惑いはありません。
「桑名城跡」とありました。
「神戸櫓跡」です。
この付近をうろうろしていると立派な神社に出会いました。
松平定綱(鎮国公)、松平定信(守国公)を祀っています。それで、ここを「鎮国守国神社」と呼ぶのがわかりました。
ここは、戦災を免れたので、拝殿、社務所などが戦前の姿を残しています。
ここから、次のチェックポイントの「七里の渡し」を目指します。
途中の風景です。
熱田宮の渡しから、七里の海上を船に乗り、着いたのが桑名の「七里の渡し」と呼ばれています。
ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることより、「伊勢国一の鳥居」と称されます。
ここから地図の黄色の線に沿ってさらに進むと、「蟠龍櫓」がありました。
浮世絵で有名な歌川広重が、海上の名城と謳われる桑名を表すためにこの櫓を描いているそうです。
蟠龍とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。
きた道を戻ります。
ここからさらに、次の目的地「六華苑」を目指します。ゆっくり歩いていると、素晴らしい建物に会いました。
「船津屋」 東海道桑名宿・大塚本陣跡です。
ここからゆっくりウォーキングしました。約10分ぐらいくらいかかって、「旧諸戸清六邸」に着きました。
六華苑は、二代目諸戸清六の邸宅として、大正2年にできました。
鹿鳴館の設計で有名である英国建築家の「ジョサイア コンドル」の設計による洋館が見れます。
閉まっていて、中に入れないのが残念でした。月曜日はダメですね。
六華苑のそばの通りの景色です。蔵が見えます。
ここから、桑名駅に戻ることにしました。ゆっくり歩いていきます。お腹が空いてることに気がつきました。夢中で観光してきて、それを感じません。私は旅行しているとよくあります。
ちょうど、蕎麦を食べさせる店がありました。普通の住宅だったので、なお興味がありましたが、ここも閉まっていました。「川喜多東京」という名であることが、後にわかりました。
駅に着く前に、佃煮の店があったので、あさりの佃煮と、シシャモとヒジキを使った佃煮を土産として購入しました。美味しかったです。
駅に着き、駅近くの蕎麦店で昼食をとり、次の観光する場所の「関宿」を目指します。また、次のブログで書きます。
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traveler51
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