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ウォーキングと旅行でのひとり言

兵庫県丹波篠山 城下町散策 その8

これから、”鳳鳴酒造 ほろ酔い城下蔵”の店内に入ります。














創業寛政九年(1797年)です。


どのお酒を購入しようか迷いましたが、店の名前の”鳳鳴”の辛口にしました。

この篠山市には、”鳳鳴”の文字がいろいろ使われていると感じていました。

(ちなみに、高等学校の名は”篠山鳳鳴高校”です。)

鳳鳴の意味を調べてみると、中国の隋末唐初に、梁政権を樹立し自立した蕭銑(しょうせん 群雄)が建てた私年号とあります。

「鳳」は、徳の高い天子が現れた時に出現するとされる中国の伝説上の鳥らしいです。

ところで、篠山市は、最近に”丹波篠山市”に市の名称が変更されました。

話がとんでもない方向にいってしまいました。



酒蔵が見学できるそうです。

蔵見学コース入り口








釜場








酒米を蒸していた大きな釜、木製のこしき、踏み桶、にない桶等々…………。





商品紹介








この辺りに来ると、クラシック音楽が流れているのに気づきました。

(そういえば、モーツアルトを聞かせてお酒をつくる話を、聞いたことがあるのを思い出しました。)





麹室がありました。





中を覗くと、











”清酒鳳鳴の出来るまで”








酒蔵を出て、店に戻る途中に、





句碑がありました。

”鶯の来るや きのうの いま時分  七十翁 武陵”

西尾武陵は明和三年(1766年)丹波国大山村に生まれ、代々家業として伝わる酒造業に携わりながら好きな俳諧の道を極めました。

ここは、西尾家というのだそうですが、武陵の時代に分家し篠山城下町で、酒造業をはじめ現在に至っているとのことです。


店から外へ出ました。





この”ほろ酔い城下蔵”の表玄関は、築200年以上前の西尾邸で、江戸期の建物そのままの雰囲気だそうです。


好きなお酒を買って、ウキウキしながら、店の前の通りを、東へ歩き始めました。(14番が鳳鳴酒造)





少し歩いたところの左手にあった料理旅館の「玉川楼」





この建物の前にきた時、忘れ物に気づきます。


篠山城跡を抜かして、観光コースを歩いてしまいました。

大幅に時間のロスになりますが、篠山城に戻ることにしました。


焦りながら、急ぎ足で戻ります。


”うお茂(鯖寿司)”(地図のT地点)で、左に曲がって、市役所の東側を歩きます。





市役所の南側の道に入りました。





もうすぐ、篠山城に着きます。





北外濠











鉄門跡(くろがねもんあと)のところまで来ました。





向こうに見えているのが、復元された大書院(おおしょいん)です。
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