ウォーキングと旅行でのひとり言

長崎街道 木屋瀬宿

2泊3日の博多旅行の最終日の朝、博多からJRで直方に向かった。知らない土地で、初めて乗る鉄道は、なんとも良いものである。直方で20分ぐらい歩いて、筑豊電鉄に乗り換え、木屋瀬に向かう。初めて行く場所は、不安と期待が入り混じる。木屋瀬につき、観光案内所でパンフレットを貰おうと思ったが、朝早すぎたのか、手に入らなかった。だいたいの方向を定め、ヤマカンで宿場町をさがした。長崎街道の起点である小倉から2番目の宿場が木屋瀬宿である。街道と遠賀川の水運で栄えた宿場は旧街道沿いに、当時の街並みが残っているそうである。しばらく歩いていると、偶然に、「みちの郷土史料館」の前に出た。のちにわかったことだが、ここは宿場の丁度中央あたりにあたる。



タイミングよく、掃除をされていたご婦人がおられたので、聞いてみた。「宿場町を見るのであれば、どこどこを観たら良いでしょうか。」「この辺りも、古いものが沢山残っていますが、あっちのほうにもあります。旧高崎家というのがありますので、是非行ってください。」知らないことは、なんでも聞くのが良い。土地の人と話すのも、楽しみである。ゆっくり歩いて、話の方向へ行った。旧高崎家があった。


(絵は高崎家住宅)
中に入ると、観光客が私だけで、そこの職員の方が親切に案内してくれた。ここは市の施設だそうだ。高崎家は商人の家で庄屋も務めた由緒ある家だそうだ。伊馬春部の生家である。春部は、作家、劇作家で、ユーモア小説やラジオドラマで活躍し、歌人としても知られている。N H K ラジオ連続ドラマ「向う三軒両隣」は有名である。職員の方は、私より2、3歳上で、ちょうど、話がよくあった。後まで記憶に残った話が、高崎家の雨戸の話だった。戸袋を端にだけに限るために、雨戸が、直角に曲がったところで、その直角のところを移動して、通り抜けることができる。これは、面白かった。当時の技術の高さがわかった。この町でこういうところを見て帰りなさいと教えられ、高崎家を後にした。宿場は1100m の長さもあり、ちょうど、私が、最初に出た「みちの郷土史料館」の所が、宿場がくの字に曲がった中間部で、代官所、本陣、脇本陣、郡屋等がある。それらとともに、14、5軒の旅籠があったそうだ。木屋瀬宿には、有名なシーボルト、ケッペル、伊能忠敬も宿泊した記録が残っているそうである。もし、タイムマシンで、時代を遡ることができれば、そういう人たちがいた場所に立っているのである。この町は、今でもよく整備されていて、まるで、映画を見ているようでもある。



旧い街並みを、沢山見れてよかった。さあ、これで、我が家へ帰ろうと、宿場町を後にした。
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