呉線の可愛い電車です。
この電車で竹原まで行きます。途中でこの辺ではびっくりするほどの人数の人が下車しました。忠海駅でした。うさぎの島の大久野島へ行く人たちです。この後しばらくして、竹原に着きました。播州赤穂から約4時間の道程です。
竹原駅から上の地図に沿って、ウォーキングを始めました。3月の中旬にしては、うららかな日和で、気持ちよく歩き始めました。日本橋という橋を渡り、小さな川に沿って歩くと、賴山陽の銅像がある場所につきました。あの川中島の「弁生 粛々 夜川を 渡る」の漢詩を作った人です。
社会科の教科書に出てくるので有名です。この竹原にゆかりの人物で、日本外史の著者です。日本外史は、武家の時代史で、わかりやすい叙述と、情熱的な文章でよく愛読されたと思われます。
ここから、右に曲がり、しばらく行くと、まるで昔に戻ったような情緒あふれる街並みに遭遇しました。
上の写真のすぐ右側の旧笠井邸に入りました。笠井邸は塩田経営者の家で、明治5年に建てられたものです。2階に上がってびっくりしました。素晴らしい梁です。立派です。
2階から、この竹原町並み保存地区の中心となる「本町通り」を見下ろせました。
お雛様を楽しませてもらって、ここを後にしました。ここから長生寺に向かいます。
長生寺です。1587年、小早川軍に負けて、竹原に逃れてきていた伊予の河野通直が、ここで病没したのを、小早川隆景がいたんでこの寺を建立したのだそうです。
当時の、武将同士の関係が想像できるし、小早川隆景を好きになる話だと思います。
ここから、本町通りに戻りました。
本町通りをしばらく歩くと、右手に竹鶴酒造がありました。
竹原では「小笹屋」で知られ、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝の生家になります。このテレビ小説でニッカウィスキーがよく売れたそうです。もちろん私も買いました。
反対側の左手には、松阪邸があり、中に入りました。
唐破風の屋根や庇と出格子など、特徴があって、印象的な建物です。江戸時代の末期に建てられ、明治12年に改築されたそうです。往時には、製塩業や醸造業で商いをし、とても繁栄していたようです。
松阪邸を出て、しばらく行き、右に曲がると、西方寺があります。
見事なしだれ梅でした。
この寺の本堂横から高台に上がると、「普明閣」がありました。
京都の清水寺を模して建てられたと聞きます。
あの清水の舞台が想われました。私も、ここの舞台に上がりました。竹原の町が一望できます。
市のどこからも見ることができるので、竹原市の景観の中心となる建築になっています。
ここから元の本町通りに戻ると、すぐ右手に上吉井邸(旧郵便局)があります。
ここのポストは、明治4年の郵便事業創業当時に使用していたものと同じ型だそうです。実際にこのポストを使用して郵便物を出せるようです。
ここから、本町通りを、ずっと先の胡堂(えびすどう)まで見通した絵です。
少し、長くなりましたので、ここから先は、次の回のブログに譲ることにします。
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traveler51
和三郎
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