ウォーキングと旅行でのひとり言

奈良 城下町大和郡山を歩く その4

今、永慶寺から出てきて、山門の前にいます。





この山門が、郡山城の残った唯一の遺構とは、なにか特別の思いがします。


ここから次の観光ポイントの「郡山城」を目指します。


次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩きました。





(今は⑦の永慶寺にいます。)


約5分ぐらい北へ歩くと、城跡の入り口に来ました。


右側の鷺池(中堀?)





左側の城址公園(西公園)





ここから城址の中に入って行きました。











次の堀は内堀と思います。





さらに、石垣に囲まれて歩きます。





右側には、白壁が続きます。(白壁のむこうは、県立郡山高校と思います。)





地図の「仕切り屏」の記載のところに来ました。





永慶寺から約15分かかっています。


「柳澤神社」に行く前に、「文学碑」に寄り道することにします。


郡山城のすごい石垣を堪能してください。














道の左側の石垣を見てきましたが、右側は郡山高校です。






竹林橋のところに来ました。

ここをまっすぐに行くと、「柳沢神社」、「天守台」に行けます。





通り過ぎて、少し歩くと、郡山高校の方に「文学碑」がありました。





森口武男の「金魚とねこ」の童謡詩碑です。


地図に載っている場所を尋ねながら、郡山城跡にむかいます。


竹林橋のところまで戻って、そこを右にまがりました。





標識(案内板)がありました。(これで道に迷っていないことがわかります。)








郡山城跡の石碑があります。





ここから、すぐに柳沢神社に着きました。





ここは、天守台のすぐ南に位置する本丸跡です。

柳澤藩の開祖柳沢吉保を祀る神社でした。

5代将軍綱吉の側用人として仕え、柳沢家中興の祖とも称えられています。

今では、ここは金魚品評会などで賑わう神社として知られています。






柳沢神社の横を通って、天守台に向かいました。








途中にあった「御厩向櫓趾」





そこから下を見た石垣








これが天守台です。






郡山城は、天正8年(1580)に、筒井順慶が入城して、大和国唯一の城郭として築城を開始します。

同13年には、豊臣秀長によって本格的に整備されました。

その後、1595年に入部した増田長盛による外堀普請で完成した城郭の形状は、現在までその姿を保っています。





天守台に上がる前に「埋門址」がありました。





ここから下を見た風景








天守台への石段を上がります。











天守台に来ました。






台の上から、周囲を見た風景





前方の遠くに小さく見える建物は、市民会館で、その右側に郡山城の追手門があります。






ここで、周りの景色を見ながら少し休憩します。


永慶寺を出てから、約1時間経過しました。


(今回は、妻からお茶をよく飲むようにひつこく言われました。熱中症が怖いですから。)
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