この山門が、郡山城の残った唯一の遺構とは、なにか特別の思いがします。
ここから次の観光ポイントの「郡山城」を目指します。
次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩きました。
(今は⑦の永慶寺にいます。)
約5分ぐらい北へ歩くと、城跡の入り口に来ました。
右側の鷺池(中堀?)
左側の城址公園(西公園)
ここから城址の中に入って行きました。
次の堀は内堀と思います。
さらに、石垣に囲まれて歩きます。
右側には、白壁が続きます。(白壁のむこうは、県立郡山高校と思います。)
地図の「仕切り屏」の記載のところに来ました。
永慶寺から約15分かかっています。
「柳澤神社」に行く前に、「文学碑」に寄り道することにします。
郡山城のすごい石垣を堪能してください。
道の左側の石垣を見てきましたが、右側は郡山高校です。
竹林橋のところに来ました。
ここをまっすぐに行くと、「柳沢神社」、「天守台」に行けます。
通り過ぎて、少し歩くと、郡山高校の方に「文学碑」がありました。
森口武男の「金魚とねこ」の童謡詩碑です。
地図に載っている場所を尋ねながら、郡山城跡にむかいます。
竹林橋のところまで戻って、そこを右にまがりました。
標識(案内板)がありました。(これで道に迷っていないことがわかります。)
郡山城跡の石碑があります。
ここから、すぐに柳沢神社に着きました。
ここは、天守台のすぐ南に位置する本丸跡です。
柳澤藩の開祖柳沢吉保を祀る神社でした。
5代将軍綱吉の側用人として仕え、柳沢家中興の祖とも称えられています。
今では、ここは金魚品評会などで賑わう神社として知られています。
柳沢神社の横を通って、天守台に向かいました。
途中にあった「御厩向櫓趾」
そこから下を見た石垣
これが天守台です。
郡山城は、天正8年(1580)に、筒井順慶が入城して、大和国唯一の城郭として築城を開始します。
同13年には、豊臣秀長によって本格的に整備されました。
その後、1595年に入部した増田長盛による外堀普請で完成した城郭の形状は、現在までその姿を保っています。
天守台に上がる前に「埋門址」がありました。
ここから下を見た風景
天守台への石段を上がります。
天守台に来ました。
台の上から、周囲を見た風景
前方の遠くに小さく見える建物は、市民会館で、その右側に郡山城の追手門があります。
ここで、周りの景色を見ながら少し休憩します。
永慶寺を出てから、約1時間経過しました。
(今回は、妻からお茶をよく飲むようにひつこく言われました。熱中症が怖いですから。)
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