ウォーキングと旅行でのひとり言

上州沼田 天空の城下町 真田の里 その3




沼田城本丸堀跡からブログを続けます。

真田昌幸、信之、幸村を有名にしたのは徳川家康との戦いでした。

大軍で押し寄せた徳川軍を、わずかな軍勢でしりぞけました。

その戦い方の見事さが、真田人気の始まりでしょう。


ここから、下の地図の黄色の線に沿って歩きます。





この沼田に来る前に、インターネットで、ここの観光地図をプリントアウトしていました。

ここから、天桂寺への道に、少し不安があったので、携帯のナビを利用することにしました。

順調に進んでいたのですが、しばらくしてから何かおかしくなりました。

寺の外回りをまわってなかなか入り口に行き着きません。

あげくのはてに、寺の裏に案内されてしまいました。


長い距離の遠回りをして、やっと寺の入り口に到着しました。








大きな寺です。





いろんなところに「六文銭」の印があります。

ここには、信之と小松姫の長男である、2代沼田城主信吉の墓があります。





お墓の方へ行きます。少し離れていたのですが、案内板のおかげで、見つけることができました。









ここから次に「天狗プラザ」を目指します。

今度は携帯のナビを使わないで、地図を見ながら、慎重に進みました。





途中の風景です。





あっちこっち、迷いながら、なんとか天狗プラザにやってきたようです。








顔の丈4.3m、幅2.3m、鼻の高さ2.9mの「観光大天狗面」があります。

毎年8月3日から5日に行われる沼田祭りで女性に担ぎ出されます。


ここから「正覚寺」を目指しました。再び、慎重に地図を見ながら歩いていると、地元の人にお会いしたので、道を確かめました。

なんとかあっているみたいです。

その方は、「旧沼田貯蓄銀行」と関わりのある人だったみたいで、銀行の見学を誘われました。





この建物は明治40年に建てられました。金融史を物語る貴重な文化財みたいです。

中に入らせてもらいました。









ここから、ちょっと行くと、ブラタモリで見た風景を思い出す場所に来ました。

「博文堂」と「桑原呉服店」。





「武者隠し」と言います。斜めの道を利用し、武者の隠れる場所を作ったのです。

ブラタモリで紹介したのは桑原呉服店の前でした。


ここから正覚寺を目指します。

迷いながらも、やっと、正覚寺の山門に着きました。





1860年の建造と言われています。欅の素木造り。

いろんな部分に見事な彫刻が施されています。

江戸時代後期の特徴をよくとどめているらしいです。





ここには、小松姫の墓があります。

ちょうど寺の関係の人がおられたので、場所を聞いて向かいました。





お骨を納めている堂です。








小松姫は、徳川四天王のひとりの本多忠勝の娘です。

家康は徳川家の養女として、真田信之に嫁がせました。

真田家が、敵味方に分かれて、関ヶ原の戦いに挑むことになります。

上田城に帰る真田昌幸、幸村が孫に会いたいと沼田城に立ち寄った時のことです。

鎧に身を固め大手門に姿を見せた小松姫は、「たとえ父や弟でも今は敵⋯⋯⋯」と気丈に振る舞ったそうです。

その一方で、父、弟のために、この正覚寺に宿を用意し、食事や酒でもてなし、孫に会わせたそうです。

その話から姫の勇猛さと優しさと、しっかりした女性であったことが想われます。





このお堂は、観音堂らしいです。








本堂です。


ここの人に再びお会いしたので、沼田駅への道を聞いたら、近道を教えてもらいました。





また急な坂を、今度は下ります。(この滝坂は来るときはたいへんでした。)

遠く下の方に、利根川と上越線がみれるそうですが、わかりません。








坂を下り、やっと駅に到着しました。

駅の近くの土産物店でここの名物の「味噌饅頭」を食べました。美味しかったです。


今日一日、くたびれました。

ここから上越線で桐生に行き、駅の近くのホテルに泊まります。


次のブログで桐生の町を歩きます。
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