播州赤穂から大阪、京都を経由し、湖西線で比叡山坂本駅に着きました。
湖西線の緑色の綺麗な電車です。
下の地図の黄色の線に沿って歩きます。
「阿波羅屋地蔵尊」にやってきました。沢山の野仏様が集めてあります。
ここの地蔵尊は坂本六地蔵のひとつで、最澄の作品と言われているそうです。
そして、阿波羅屋(あわらや)の意味は、仏が人々の親しみやすい姿に変身して幸せをもたらすという意味です。
ここから、地図に沿って、西教寺を目指します。
のんびりと歩ける道です。
途中に、このような地蔵尊がおられます。
のんびりと歩いていると、この辺りで、どうも、道に迷ったみたいです。
こんな時は、携帯のナビを使います。
携帯を頼りに、しばらく歩くと、地元の人に会ったので、念のために道を聞くと、ナビはあっているみたいです。
そうこうしているうちに、この場所に来ました。
西教寺の塔頭のひとつの「安養院」です。
中を見せてもらいました。
奥の方に入っていくと、「弁天堂」があります。
「安養の池」の風景です。むこうに本堂が見えます。
本堂の前に戻って来ました。
ここを出て、すぐそばの、西教寺の総門までやってきました。
この門は、坂本城の移築門と言われています。ご存知のように、坂本城は明智光秀の城です。
中に入っていきます。
道の両側に、塔頭が並んでいました。
先の道を左に入り、石段を上がると「宗祖大師殿」があります。
中に入りました。
ここには、「真盛上人」の木像がおまつりしてあります。
戦国時代に、西教寺を再興した高僧です。あの紀貫之の末裔らしいです。
ここから琵琶湖が見えます。
再び、入ってきた門を通って外へ出ました。門の鳩、上から見た鳩です。
ここからさらに奥に進み、西教寺の本堂を目指します。
今回も石段が多いです。(高齢の私には、腰にきます。)
やっと、西教寺の本堂のある場所に来ました。最初の総門から、そうとうに奥にありました。
1571年に、織田信長によって比叡山は焼き討ちされました。
この時、西教寺も焼けましたが、3年後にすぐに復興します。
現存する本堂は1739年に改築されたものだそうです。
ここは、明智光秀の菩提寺で、一族の墓もあります。
明智光秀公の辞世句
少し、歩き疲れました。
ここで、休憩します。地元の人も石のベンチに座り、ひなたぼっこをしていました。
この続きは次のブログで。
コメント一覧
ゆり
最新の画像もっと見る
最近の「旅行」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事