智頭急行線は、兵庫県上郡町の上郡駅から鳥取県智頭町の智頭駅までの路線です。
自宅から上郡駅まで、自動車で嫁に送ってもらい、この電車に乗って智頭を目指します。
この線は全線が高架です。
トンネルが多いと感じました。しかも長いです。
途中の駅に、ピンク色の駅がありました。
「恋山形駅」です。恋のつく駅が全国に4つあります。
JR北海道の「母恋駅」、三陸鉄道の「恋し浜駅」、西武鉄道の「恋ヶ窪駅」。
恋山形駅は幸せを感じる駅というキャチフレーズ。
上郡から1時間20分ほどで、智頭に着きました。
駅の近くの「智頭町総合案内所」で、いろいろとパンフレットやマップを貰いました。
ここでは、細い道や坂道でもスイスイ進む、2人乗り「電気自動車」を借りることができます。
カップルには最高かもしれませんね。
私は、ウォーキングをします。黄色の線に沿って歩きました。
地図の「郵便局」を通り過ぎたあたりです。53号線との交差したあたりですね。
のんびりと楽しみながら歩きました。智頭は初めてきた所なので、周りをキョロキョロしながら。
「錦橋」の近くまでやってきました。つぎの信号を右に曲がります。
曲がって、最初の筋(新町通り)を少し右の方へ行ってみました。
私の好きな風景がありました。
元のところまで戻って、右へ曲がり、智頭往来の通りと交差するところまで進みました。
きた道と智頭往来が交差する場所です。「智頭往来(因幡街道)」は参勤交代の大名が通った道です。
そこの近くに、木の彫刻がありました。
「諏訪酒造」のところまで来ました。ここを右の方へ入って行きました。
すぐのところにステキなものを見つけました。
なんだと思いますか。子供が喜びそうな「蒸気機関車」です。
しかも、ピザを焼く釜になっているそうです。
そこのお父さんと思われる人が、嬉しそうにそのことを私に話してくれました。
さらに進むと、
「ふくろう」でしょうか。
ここから、智頭往来の筋までもどって、諏訪酒造に行きました。
左のほうに見える蔵は、大吟醸“鵬(おおとり)“で漫画「夏子の酒」に登場した蔵です。
中に入りました。
ここは、試飲ができるそうです。
うまかった。もちろん、土産に酒を購入しました。
百年余り、森に育まれた伏流水を使っているそうです。
外へ出て、ここからすぐのところに、「下町公民館」がありました。
当初は町役場として建築されたそうですが。大正時代の地方の洋風庁舎建築です。
ここから、「光専寺」へ行きました。
元の智頭往来に戻り、「米原家」を目指します。
米原家の近くまで行くと、明治時代の道しるべがありました。
後ろの方に見える石柱に注目。わかりにくいですね。
「西南東北」という文字が彫られたこの石柱は、明治12年に、因幡街道と備前街道の交わる場所に立てられました。ノミひとつで高度な技術で彫られたみたいです。
ここを、備前街道の方へ入って行きました。
「塩屋出店」です。明治30年ごろの和風建築。
「西河克己映画記念館」がこの中にあるそうです。中に入りました。「塩屋出店」の裏に出ます。
「塩屋出店」のガラス張りの縁側が見えます。この中の座敷から庭が眺められるようになっているのです。
映画記念館がありました。
西河克己は、智頭町出身で日活の映画監督です。吉永小百合ものの映画をたくさん撮影しています。
「若い人」、「青い山脈」、「伊豆の踊り子」、「帰郷」等。
記念館の中に入ると、懐かしいポスターがいっぱい貼ってありました。
私も中学、高校時代は、よく映画を見に行きました。1日で4本立ての安価な映画館がありまして。
舟木一夫が出ていた「絶唱」などは、見に行った記憶が今でも残っています。(50年ほど前ですが)
係りの人がいなかったので、写真撮影の許可が取れず、残念です。(ポスターを撮影したかったです)
ここを外へ出て、「米原家」を目指しました。
明治時代後期の建物。智頭産の巨木を使い最高の技術でつくられました。
ブログが長くなりました。この続きは次回で。
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和三郎
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