ウォーキングと旅行でのひとり言

高知県 安芸市にて

3月の終わりに、2泊3日の高知への旅行に旅立ちました。播州赤穂から赤穂線で岡山に向かいます。赤穂線沿いも桜が綺麗に咲いており、これから先も期待ができそうです。1時間と少しで岡山に着きました。春休みに行楽時期が重なって人が多いです。ここで乗り換えて「南風3号中村行き」に乗ります。





南風3号です。小さな子供達にとっては飛びあがって喜びそうな電車で、私も旅の初めにあたってウキウキしてきました。


特急列車は気持ちよく走り、すぐに瀬戸大橋を渡り、四国に入りました。多度津から高知へ向かいます。約2時間半で後免駅に着きました。ここで、「ごめんなはり線」に乗り換えます。

後免(ごめん)駅は珍しい呼び方です。江戸時代初期、土佐藩執政の野中兼山が開いた商業町で、諸役免除の特権が与えられたことにより、この名称があるそうです。

ごめんなはり線は初めてなのでウキウキします。数人の人が電車の写真を撮っていました。




駅のホームで見かけました。「アンパンマン」の生みの親で高知県出身。



ここから約40分で安芸駅に着きます。赤穂から5時間かかりました。はるばる遠くへきたもんだ。

駅を出るとすぐ右手に「ぢばさん市場」がありました。はじめはここに観光案内所があると思って入ったのですが、どうも違っていたみたいで、ついでに昼食の鯖寿司を手に入れ、観光案内所の場所を聞いて、歩いて下の①に向かいました。




地図の黄色のラインに沿って番号順に行動しました。


「安芸観光情報センター」でいろんな「町の地図」やパンフレットを貰いました。
ウォーキングで行きたい場所をぐるっと回る時間を尋ねると、ほぼ予定した時間に収まりそうなので行こうとしたら、

「レンタサイクルがありますよ。」「でも、ウォーキングしようとおもっていたので、頑張ります。」
こう言って一旦外へ出たのですが、なんかふと気持ちが変わって、
「やっぱり借ります。電動はありますか。」「ありますよ。」

これが、後で本当に良かったと思い知らされます。なんと距離が長かったこと。しかも行ったり来たり迷ったこと。
レンタル料は無料で、それに重いリュックまで預かってくれました。最高。

地図の黄色の線に沿って、のんびり自転車を走らせました。やがて、地図の②の位置で、好きな風景に出会いました。




武家屋敷と思われます。








さらに自転車を走らせ、土居小学校の横を過ぎて、右に曲がると、③の位置でまた武家屋敷に出会いました。





次は、安芸城跡に行こうと思います。自転車を走らせていると、天神坊橋に出ました。ここで、どうも変な方向にきてしまったと感じました。携帯を取り出しナビを使って城跡に向かうことに。

なんとか着きました。④番の安芸城跡です。





城の大手門で、桝形の石組みが残っています。


中に入って行くと、大きな屋敷があり、案内の人が中に導き入れてくれました。
「どこから来たのですか。」「播州赤穂からです。」「それははるばるようこそ。」
「でも、貴方は運がいいですね。」「普通は、土・日しかお会いできなかったのです。」「今日は木曜日ですが、今は春休みですので大丈夫だったのです。」「しかも3月中しかだめで、4月に入っていたら………」


この後、非常に細々と丁寧に説明してくれました。五藤家の話から、山内一豊の話まで、いろんなことに及びましたが、私も好きな話だったので楽しんで聞かせてもらいました。





写真の正面の屋根の下にある梁は、一本の長い材木で、まっすぐで、20メートル以上もあると思われました。








この松は、主君の山内一豊から貰ったもので、絶対に枯らすわけにいかないので、大切に扱われたそうです。

五藤家は、一豊が土佐に入国以来、ここ安芸を任され、信任の熱い重臣でした。度々奉行職に就任し、幕末まで藩の中枢に位置します。土佐藩も江戸幕府のある間ずっと続いた藩で、外様大名にしてはめずらしいはからいです。

案内の人に、安芸城跡のことを聞き、登ってみたいと訊ねると、「まむし」がいると脅かされましたが、せっかくここまで来たのだから、勇気をふりしぼって登ることにしました。











一番上の段から、周辺の景色が見れました。


降りて来たら、また先の案内の人に出会い、唯一公開されている武家屋敷の「野村家」に行っていないことがわかりました。そこに先に行ってから、今回一番行きたかった「野良時計」に行くことにしました。





⑤番の野村家です。五藤氏が入国後に新たに召抱えられた家で、五藤家の財政や人事などの仕事をしたそうです。

安芸城跡を中心とするこの辺りは「土居廓中」と呼ばれ、五藤氏によってつくられました。武家屋敷が並び、江戸末期の武家の住宅の形式を残しています。




ここから⑥番の「野良時計」に向かいました。





明治の中頃、家ごとに時計がありませんでした。土地の旧家であり地主であった畠中源馬氏が驚くことをします。当時、氏の家の台所にかかっていた八角形の米国製の掛け時計を何回も分解し組み立て、構造を学んで、時計の組み立ての技術を習得しました。独力で歯車から分銅まで作り上げたそうです。

観光シーズンやイベント時には、今でも時計が動くそうです。


ニュースで見たことがあって、コスモスの花が咲き乱れる風景の先に時計の見える様子が記憶にあります。


ここから、最後に⑦番の岩崎弥太郎の生家に向かいました。








岩崎弥太郎の生家です。茅葺きの母屋や土蔵が見れました。





世界でも有名な現在の三菱グループの礎をつくった人物です。

昼食を取る機会がなかったので、ここで桜を見ながら持ってきた鯖寿司を食べ、飲み物は、横の売店で牛乳を買って飲みました。実は、日本酒を購入していたのですが、自転車を運転するということで諦めました。


これで、充分安芸を楽しめましたので、急いで観光情報センターに戻らなければなりません。今日の宿泊地の奈半利へ、「ごめんなはり線」で向かいます。

でも最後に迷ってしまって、行ったり来たり、予定の電車に乗り遅れそうになりました。本当に電動自転車を借りていてラッキーでした。




安芸駅のホーム。





タイガース電車です。





ごめんなはり線の東の終着駅の奈半利駅です。

こらから先、明日のことは、順次ブログに書いて行きます。では、また。

コメント一覧

traveler51
鈴木さんへ
ブログを見てくださってありがとう。励みになります。安芸は素晴らしい城下町でした。五藤家が立派で、松は見事ですよ。人も皆親切で感激しました。
鈴木
ランダムより
https://blog.goo.ne.jp/sden66k1800/e/dfddb33163d92aaa8ef0b5daff802ecf
おはようございます
はじめまして~
ブログ拝見してます
武家屋敷は興味あります
まして幕末時期の土佐ですね

traveler51
奈半利にて 和三郎さんへ
私もビールは麒麟です。昔からうまいと感じていたので。土佐のその言葉は気がつきませんでした。奈半利はごめんなはり線の終着駅なので、なんか、はるばる来たなあと思いました。
和三郎
売店
http://blog.goo.ne.jp/wasaburo-1969
売店には、「たっすいビールは、いかんぜよ」
という幟が立ってなかったですか?
たっすいアサヒは、住友系の会社で
たっすくないキリンは、三菱系の会社です
ここは路地に入り込むと迷います
私も迷った
奈半利川の橋の上で三脚をセットして
アンパンマン列車を待ったことがあります
この辺りから室戸までは
高知の酒どころです
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