ウォーキングと旅行でのひとり言

富山県高岡にて

北陸旅行の2日目、城端の観光を終えて昼に高岡に帰ってきた。まだ、しとしとと雨が降っている。この時は、本当に雨男と思って沈んでいる。高岡を観光するのだが、時間も半日ぐらいしかないし、雨も降っているし、事前に調べていた2カ所に絞って観光することにした。金屋町と山町筋である。私は、古い伝統的な建築物が好きで、この2つだと思った。高岡駅から、バスに乗って金屋町の目的の場所に近いところで降りた。途中、高岡大仏のすぐ近くをバスが通ったが、残念ながら、スルーした。バスを降り、ゆっくり歩いて散策した。このあたりは鋳物の製造が盛んで、小さな工場とおぼしきものがあった。しばらく行くと、目的の通りが現れた。

高岡は富山市に次ぐ富山県第2の都市で、歴史的には、前田利長の築いた高岡城の城下町として発展した。前田利長は、前田利家の長男で、秀吉の死後から江戸幕府成立に至る時期の難局を、苦渋の決断をもって乗り越え、加賀藩の礎を築いた大恩人だと思う。高岡城の廃城後は、商工業都市として発展する。
高岡鋳物発祥の土地として、金屋町には400年の鋳物産業の歴史があり、由緒ある古文書や、初期の鋳造技術を知ることが出来る鋳物製品、多種多様な造型、鋳造道具等、数多くの資料が現存しているらしい。
今は外国人も多いし、若い人もたくさん来るので、彼らに合わせたおもてなしが始まっていると感じた。洒落た製品があり、カフェなどを併設した店や、鋳物の製作や、錫アクセサリー作りの体験のプログラムもあるみたいだ。絵は、大寺幸八郎商店で、創業は万延元年の歴史を持つ店である。


高岡は400年の歴史を持ち、戦禍を免れ、金屋町は今も、江戸時代の風情を残している。

次に、山町筋に向かった。歩いて雨の中、とぼとぼと歩く。少し道に迷いながら、それらしい場所についた。古い土蔵づくりの家々が散在するところである。


ここは1609年の高岡の町が開けてからの商人町で、高岡の経済を牽引してきたらしい。明治33年の大火から、黒瓦ぶき屋根、漆喰の外壁、2階窓の耐火扉等、防火を考えた優れた土蔵造りの建物が軒を連ねた。この建物を見ていると、高岡商人の繁栄ぶりが想像される。
絵は山町茶屋、雰囲気のあるくつろげるカフェのように思った。入らなかったのだが。

写真は高岡信用金庫本店である。建物自体は新しいと感じたが、この通りにマッチした立派な建物と思う。


さらに、うろうろと歩いていると、この辺りでは異色の建物に出会った。富山銀行本店で、県内唯一の本格的な西洋建築だそうだ。東京駅の設計にあたった、あの辰野金吾が監修したものでる。(絵参考)

雨もまだ止まず、そろそろホテルに戻ろうと、山町筋を後にして、バス乗り場に向かった。

コメント一覧

ひろさん
旅枕
http://www5.airnet.ne.jp/~hiromi/
全国を飛び回っていますね。
うらやましい限りです。
traveler51
Re:高岡
高岡市でも、富山市でも観光し残した所が沢山あって、もう一度この辺りに、来てみようと思っています。
和三郎
高岡
http://blog.goo.ne.jp/wasaburo-1969
我家の自在鉤は、高岡銅器です
錫の片口もそうだったはず
高岡は、富山と違いお酒も美味しい
好みの問題もあるでしょうが
富山だと新潟杜氏の味になってしまう
高岡は、能登杜氏だったり、金沢酵母だったりして美味い
勝駒や三笑楽を好みます
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