笠島の町並みを、黄色の線に沿って歩きました。
保存センターから出てきてすぐの十字路です。これを右に行くと、「東小路」に入ります。
この十字路は、東小路と「マッチョ通り」の交差したところです。
すぐ右に見えるのが「吾亦紅」という喫茶店兼ギャラリーです。お茶をしたかったのですが、閉まっていました。(最近はこれが多いです。苦笑。)
笠島の集落は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けてます。
江戸後期から戦前にかけて建てられた100棟あまりの建物が残されていました。
通りに面して、正面に千本格子の窓をあしらい、本瓦葺きで土塀を厚く塗った町屋形式の住宅がいっぱいあり、それらが、総合した美しさを奏でます。どの家も心憎い工夫が見られます。
東小路の美しいまち並み。この通りを先に歩きました。
東小路の端近くまで来て、もときた道を振り返った風景。左に見える「やかた船」は、古民家の旅館です。あとで、ブログを書くときに調べてわかったのですが、ここには是非、宿泊したいと思いました。
(最近これが多いです。帰ってから気がついて、残念がるのです。苦笑。)
やかた船の別館です。
東小路を元の十字路へ戻っていきます。
十字路を通過して、マッチョ通りへ入りました。少し歩くと、すぐ左側に「吉田邸」があります。
なんでも鑑定団 驚きの高額。「伊藤若冲の鶏の図」とあります。ところが、ここも閉まっています。興味津々。
この通りを先に進みました。
その辺りの風景です。
先に、笠島港が見られます。
「尾上神社」まで来ました。
周辺に配置された神社です。
笠島は、またの名を「城根」と呼ばれ、塩飽水軍の根拠地であり、集落の東山に、土塁、堀切、見晴台跡が残されていました。
神社から、戻って来たところです。マッチョ通りを通って自転車を置いた駐車場に戻ります。
もうすぐ、あの十字路です。
駐車場に戻り、自転車で、次の「専称寺」を目指しました。
黄色の線に沿って自転車を走らせます。
法然上人が、75歳の時、流罪を受けて逗留されたのがこの本島の「専称寺」です。
より広い地域で「浄土宗」を広めることになります。
さらに、黄色の線に沿って、「東光寺」に行きました。
「東光寺」です。「甲生」の地が、昔、あの藤原氏の荘園で、領主の藤原(九條)氏の力添えで建てられた寺だそうです。(地元の小学生の研究記録から引用。苦笑。)
寺の建て方から、鎌倉時代のものと推定されています。
また、黄色の線に沿って、もとの入って来た道に戻って、あと見残しったところがないかと考え、映画のロケ地「機関車先生」が残っていると思いましたが、ここから遠いし、次の船の時間もあるし、悩んで立ち止まっていたら、自動車の上品な婦人から声をかけられました。
「どこかお探しですか。」 「機関車先生のロケ地へ行きたいのですが。あまり時間がないのです。遠いですか。」 「ここからは反対側ですよ。」
この言葉でロケ地は諦めることに。
「笠島の町は行かれましたか。」 「はい、行ってきました。素晴らしかったです。」
「吉田邸はしまっていたでしょ。団体さんの一人が迷子になられて、それを解決するために出かけなければならず、閉めていたのです。」 「今から戻って、開きますが、見られますか。」
何という縁か。戻って見せてもらうことにしました。こんな時も、電動自転車は素晴らしい。スイスイと進みます。
吉田邸に戻り、中に入りました。
有田焼の便器が見れます。便所は使用していないそうです。
長いまっすぐな節のない杉です。杉は節の多い木で有名で、この長さでは、相当の高額になるそうです。
美しいガラス風景。
廊下をはった板の継ぎ目に注目。
美しいです。(うっとり)
「塵落とし」といって、障子の上部が下斜め方向にせり出す形で作られています。写真の写りが悪くて、わからないですね。
刀の鍔を埋め込んだ欄間です。ひとつだけ忍者の鍔があるそうです。
おばあちゃんが持ってきたタンス。岡山のベンガラが見れます。
大正ガラス。
仏さんがあったそうです。
このあたりに来たとき、婦人から問いかけられました。
「二階に上がる階段があるのですが、どこにあるかわかりますか。」 「わかりません。」
「これを開くと現れます。」
隠し階段です。
隠し扉もありました。
下の方に鍵穴があるでしょう。昔、時代劇に出てくる大きな鉄のエル字形の鍵を差し込んで開けるのです。
伊藤若冲の掛け軸も見せて貰ったのですが、写真を撮ることが出来ず、ここにありません。
見事なものでした。私には価値がわからず、ドギマギしてしまいました。
「なんでも鑑定団に鑑定してもらいました。本物でした。」
「あの箱には何が入っていたと思いますか。」「…………… 。」
「提灯です。」
あまりにも、いろんなことに圧倒されて、頭が働いていないみたいです。
この家は、島を治めていた「人名」の家で、古くから海運業を営み、お金持ちで、お宝がゴロゴロあるみたいです。映画やドラマでも撮影で使われるそうです。
日本人は座る文化で、下の方に目がいきます。さりげなく竹が。
この家は、船大工で有名な塩飽の大工の技術がふんだんに生かされ、築100年でも、襖や扉に全くのくるいがないそうです。釘を1本も使っていないというのも驚きです。
ずいぶんと長居をしました。丁寧に説明してくださった婦人に礼を言って、ここを後にしました。
フェリー乗り場の待合所に帰ってくると、まだ、少し時間があったので、「木烏神社」「千歳座」に向かいました。
正面の左手に見える建物が「千歳座」です。1862年に建てられた芝居小屋です。
回り舞台もあり、建物から突き出してくる舞台もあるそうです。
ここから、さらに先へ進むと、「来迎寺」がありました。
一見、城をイメージする寺です。寺は修理中でした。寺から海を見た風景。
船の時間が近づいたので、急いで、乗り場に戻ります。
途中の泊の海岸の海水浴場。ずっと先の方に小さく瀬戸大橋が見えます。
充分に、この島を堪能して、丸亀港に戻りました。続きは、次回のブログで。
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