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ウォーキングと旅行でのひとり言

兵庫県 但馬の小京都出石 散策 その5

びっ蔵の椅子に座って、楽しんでいるところです。





次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩いています。





(地図のBのところにいます。)


ここから城の前の通り(内町通り)を、少し東へ歩き、左に曲がって大手前通りを北へ歩きました。


やがて右手に辰鼓楼が見えて来ます。

辰鼓楼の前にきました。





廃城になった出石城の三ノ丸大手門石垣を使って、明治4年に建設されました。

”辰鼓楼”の名称の意味は、「辰」は時刻を表す言葉であり、「鼓楼」は太鼓を叩く櫓を指します。

高さが約13mあり、4階建の構造でした。


かって城下町の人々は、寺院の鐘で時刻を知りましたが、明治時代に入りこれに替わります。


最初は、最上階から太鼓を鳴らして時刻を知らせていましたが、明治14年に、この城下町で開院していた”医師の池口忠恕”が大時計を寄附して時計台となりました。


現在の時計台は電気式です。

(札幌時計台と並んで、日本最古の時計台として親しまれ、出石のシンボルとなっています。)


この前の通りを北へ歩き、次のよつ角を右に曲がりました。


八木通りにきました。

”鶴屋”さん……、蕎麦屋さんです。





隣にも、”登城”さん……、またまた蕎麦屋さんでした。






八木通りを東へ歩き、「出石明治館」に向かって歩いています。


すごいお家が右に見えて来ました。











”格子”が美しいですね。

(窓ガラスの木の模様、2階の虫籠窓、うだつ、全体がうつくしいです。こういうのを見ていると、あきないですね。)


写真を撮りながら、古い建物を楽しみながら歩きました。





少し歩いて、「出石明治館」に来ました。





(びっ蔵から約25分かかっています。)





中に入って見学します。





最初の部屋は、”出石の歴史”が展示されていました。


出石に関係する人のサインですかね?……………。





「出石永楽館」の写真





明治34年に開館した近畿最古の芝居小屋です。









別の部屋では、”歴史を彩った出石の人物”が、展示されていました。
































出石は、たくさんのすごい人を出していました。

一人一人の説明文をゆっくり読んで見学したので、時間がかかります。


休憩する場所があったので、少し休みます。
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