(念仏堂は④番です。)
山門をくぐって、ここから本格的な登りの石段になります。
決められた90分以内で、上まで登って帰ってこなければいけないので、少し不安でした。
1000段以上の石段という数にも少し不安です。
一緒に登っている人と話しながら、石段を上って行きました。
途中に、たくさんの石の地蔵さんがおられます。
ひたすら、登りました。
私たちと同じツアーのメンバーが前後で歩いています。
登る前に、ガイドさんが高齢者のグループということで、くれぐれも無理をしないように心配されていました。
石段を上がりながらも、すごく新鮮な空気を感じました。
パワースポットというのでしょうか?…………。
石の仏様も数多く見られます。
ちなみに、前のおじさんの二人も我々のグループの人たちでした。
木の間から、すごい絶壁の岩肌が見えます。
「せみ塚」に来ました。
松尾芭蕉は、江戸から東北の各地を旅して「奥の細道」の紀行文をだします。
ここの立石寺には来る予定はなかったそうですが、人々の勧めに応じて尾花沢からとって返し急遽訪れました。
麓の坊に宿を借りて、山上の堂に登ったそうです。
(今、私が登っているのは朝が早いですが、芭蕉の場合は夕暮れの前だったと想像されます。)
芭蕉と同じ石段を登っていると思うと、なにか不思議な想いがします。
”岩に厳(いわほ)を重ねて山とし、松柏年旧(しょうはくとしふ)り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。”
”岸を巡り、岩を這いて、仏閣を拝し、佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心澄みゆくのみおぼゆ。” (奥の細道より)
「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」
芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚をたてたもので、「せみ塚」と言われています。
この近くの岩肌も絶壁でした。
教科書で勉強した芭蕉に触れて、さらに上を目指しました。
私と同じぐらいの高齢者も頑張っておられるので、負けられません。
いたるところに、仏様がおられます。
「仁王門」が遠くに見えてきました。
この門は1848年に再建されました。
けやき材の優美な門で、仁王尊像が左右に安置され、それらの像は運慶の弟子たちの作と伝えられています。
この仁王門をくぐって、さらに上の「性相院」を目指します。
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