神戸市の甲南医療センターに勤務する内科専攻医が自死した。報道では、「自殺する前の1カ月間の時間外労働は国の精神障害の労災認定基準(160時間)を大幅に超える207時間に及び、休日は約3カ月間なかった。」とのことである。西宮労働基準監督署は自殺の原因が過重労働と認めて労災に認定した。26歳の若々しい青年の遺影とその夭折を嘆く母親の姿は、痛恨と言う言葉だけでは語れない。
時間外勤務が月207時間(一日約7時間)とは、一日の勤務が約15時間になる。自己研鑽を加えれば毎日ほとんど病院にいたのだろう。これが数か月続いていた。精神状態がおかしくならない訳がない。院長(具英成医師:元神戸大学肝胆膵外科教授)は、「彼は完璧主義であった」「周囲の者は彼に嘱望して鍛えていた」などと説明したらしい。何があろうと何を言おうと、当事者責任を免れることはできない。
亡くなったのは消化器内科(重症者も多く忙しい診療科の一つ)の専攻医である。専攻医とは、2年間の初期研修を終え、更に専門医を目指して3年間の専門研修中の身である。未熟である故に業務に時間がかかるし、指導者たる先輩から頼まれた仕事は断りにくい。専門分野の勉強や学会発表の準備もある。「専門医になるためにここで頑張らなくては・・」と自己を追い詰めたのだろうか。
若くて能力があり専門医になりたい医師が、自分の時間が搾取されることを拒絶できない状況で犠牲になった。これは、一見関係なさそうだが、時を同じくして表面化したジャニー喜多川の事件とも類似点がある。若くて容姿端麗でスターになりたい男の子が、自分の性が搾取されることを拒絶できない状況で犠牲になった。最上位の管理者(院長や社長)こそ、物言えぬ弱き者を守らなくてはならないのだが・・。
こうした過重労働をなくすとして、医師の働き方改革が進行中である。しかしこの改革は、医師のプロ意識を無碍にした上に、医師の業務を診療に限ることで勤務時間の辻褄合わせを行うだけとなりそうである。医師に必須の最新医学の学習や技術見学、学会発表等をすべて自己研鑽とし、勤務時間から除外するのである。今回の事例も、自己研鑽だから勤務でないとした時間が相当量あったと推定される。
とはいえ、勉強と称し漫然と病院に居て時間外手当を得るのは公正でない。一つの解決策は、医師が勤務医とならず個々に病院と業務委託契約を結ぶことだろう(医師は労働者でなく個人事業主となる)。弁護士や会計士、建築士では一般的なことである。この場合、医師の立場や権利を守る職能団体が必要となる。その団体としては、意外にも、旧態依然だと批判を浴びている大学の医局が適任である。
医療は専門化が進み、専門医の育成や生涯教育を担う専門家集団が必要である。医局はそれに相当し、加えて互助組合の機能も果たしている。今回の事例でも、専修医が医局に属していれば、その関係者が相談に応じ、必要ならば病院に申し入れる等の支援ができたかもしれない。学会や医師会ではそこまで面倒を見られない。研修医制度や専門医制度をうまく医局制度と嚙合わせることが、過重労働や医師偏在の解決につながる途となろう。