前2回のブログの趣旨は、「ヒトが地球に君臨できたのは、進化した脳が生んだ技術と文明の発展のお蔭である。この発展には共同体の形成が必須であり、共同体が地球規模に巨大化したのも、進化の方向にかなっている。その経過での衝突は進化の選択過程に当たり、この先も脳を駆使して文明化を進めることになる。これは、ヒトの進化の必然(つまり宿命)である。」となる。この宿命を生き抜くのには共同体が必須であり、共同体の有り様(政体)の力が鍵となる。
共同体の始原は十人単位の血縁ある一族で、長老などが族長を務めていたであろう。やがて腕力や気魄をもつ人物が複数の一族を組織化し、武力も備えて一定の領土を支配する「国」を作った。国内の規範は王や宗祖が定め、その血統を崇め従うことで民は身の安全を得られた(王家制)。独裁制・専制もこれと似るが、血統とは別の権威を用いる。しかし、王の子が必ずしも優秀とは限らないし、独裁者はどこかで過ちを犯す。それでも神格性を保とうとすれば、暴政を振るうことになる。
王家制でも独裁制でも、民がその生活に満足していれば(満足だと思うように仕向けられていれば)、国は安泰である。民は統率者を求める(決断したがらない、支配されたがる)のであり、統率者を神格化することは自己愛にもかなう。しかし、天災や他国からの侵略で生活が困窮する事態となれば、民は離反し支配者は凋落する。近世になり、個人の意思や自由を重視する啓蒙思想が生まれ、産業革命により技術革新が急速に進んでからは、これらの政体の弱点が露呈した。
民主制では、個々の民の意思が尊重され、多数者の支持・賛同が政権の正統性である。民は政治参加の権利を有し、選挙等の活動で意思を表明できる。民の間に当事者意識(国の運営に責任をもち、支配者任せにしない意識)が共有されることで、国は強靭となる。一方、民の思想や行動の自由度が高いので、統制的な施策は抵抗を受ける。多数者の賛意を正しいとする構造から、民におもねる主張が支配的となることもある。多数派が拮抗すると、政権が不安定となり施策が迷走する。
共同体の規模や特性で適切な政体は異なる。小さな共同体では、政体はあまり問題でない。現代の国家では、やはり民主制が適した政体と思われる。約二百の国家からなる国際社会も、恐らくそうであろう。しかし、2度の世界大戦にも懲りず、国家間の紛争の解決は未だ軍事力頼みである。国家が統合して世界共同体が形成され、暴力が警察権力に限定されるまでには、まだ百年単位の時間がかかる。当面は、運命を共にする共同体は国とし、国益を優先するのが適切な生存戦略となる。
世界の民主化が遅れると、人工知能(AI)が支配する政体(AI制)が先行するかもしれない。政治とは、多因子が複雑に絡む事象に対して最適解を与える仕事である。この類の仕事はAIの得意技であり、人々の望みに関する顕在的・潜在的な情報と、歴史から導かれる教訓を踏まえて、最大多数者が賛同する施策の提案が可能である。選挙などの迂遠な手法は不要で、人の介入がないので人為性も排除される。脳の進化の極致がAIならば、AI制が人類に最適な政体と言えよう。