近頃、つばさのカリカリ補充間隔が100時間近くになったため、おやつを制限しました。朝昼晩にウインナーをひとつだけにしました。このやり方自体は、なかなかに冴えたやり方のひとつで、実際、カリカリ補充間隔は平常時の50時間程度に戻りつつあります。あ、御存じない方のために改めてご説明しておきます。ウチではつばさに朝夕、カリカリを出すやり方はとっていません。完全自由食べです。夜中にゴソゴソと食べている事も多いです。こんなえさのやり方をすると、太りすぎるのではないかとご懸念の飼い主さんもおられるでしょうが、つばさの場合は合っているようです。事実、カリカリを食べずに困っていたくらいですから。体重増加も止まっています。私の顔の上に座れるくらいです。恐らくですが、その猫の性格によるのだと思います。つばさはいつでもカリカリがある環境に順応しつつありまして、二、三泊程度の長期不在時にも不安がありません。水も井戸水バケツから飲みます。トイレは三個あります。
さて、お気づきの方はいないような気もしますが、この記事ではつばさのおやつネタにかこつけて、一人の作家とひとつの作品を紹介したいと思います。
作品名は「たったひとつの冴えたやり方」です。筆者は「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」です。作品の知名度は、一部のアート界隈では非常に高く、この冴えた邦題をオマージュした作品がたくさんの分野に存在します。号泣したい気分の時にお読みになることを強くお勧めします。早川から文庫が出ているはずです。私はSFマガジンに掲載された時に読み、衝撃と感動の雨あられでした。好きすぎて買った単行本は私の他の宝物と同じ運命を辿りました。要は、親に無断で捨てられました。当時、私はこのSFマガジンという高価な月刊誌を愛読していました。めくるめくようなアメイジングワールドに連れていってくれる、大切な雑誌でした。光瀬龍氏を知ったのもこの雑誌ですし、百億の昼と千億の夜の原作小説を買おうと思ったのもこの雑誌の影響です。後年、光瀬氏の同書改訂前後におけるあとがきの変化をおいつつ、光瀬氏の心境を研究した解説論文がSFマガジンに載ったそうです。実に手に入れたいです。当然のことながら、大量にあったSFマガジンのバックナンバーも親に捨てられました。邦訳の文体はキャッチーでライトノベルか、と思えるくらいです。挿絵も完全に少女漫画です。しかしその内容は・・・。ここでは書けません。ぜひ、ご自身でお手に取って読まれることを強くお勧めします。お勧め度合いとしては、長編化されるまえの短編の、非常にキレのあった「アルジャーノンに花束を」を超えます。いえ、アルジャーノンも物凄いのです。しかし、「たったひとつの冴えたやり方」は格がちがうのです。(私の中では、です)
さて、私がSFマガジンを愛読していた時に、雑誌にひとつの訃報が掲載されました。ティプトリーが猟銃自殺を図ったそうです。その前に、夫を射殺していました。詳報は来月に、と記載されていたので、ここに書く内容はおそらく、混同された私の記憶だと思います。彼女が、というか、ティプトリーが女性だという事を、訃報で知りました。というか、SFマガジン編集部の方々もそうだったのではないでしょうか。この点、事実誤認があるかもしれません。あえて検索しませんので真実を知りたい方は検索してください。とにかく「ジェイムズ」は女性であることを隠すペンネームだったのです。ティプトリーの真の顔を知る者は担当編集者と編集長(アメリカです)とあと一人くらいだった、との記述も覚えています。
これ以上の衝撃はないほどでした。誌面を見つめ呆然としていました。あの時のことは今でもはっきりと覚えています。家族に言っても誰も何も理解してくれませんでした。おたく道は誰からも理解されない厳しさがあるのだとこの時に知りました。ティプトリーは若いころ、CIAかDIAに勤めていたそうです。もちろんフロントではなくバックです。この時の様々な経験がペンネームに男性名を使う決心をさせたのでしょう。そして創作の元となる得難い経験をしたのでしょう。ベッドに寝た切りの夫をなぜ射殺し、その後自ら命を絶ったのか、完全に予断ですが、想像はできます。もしかしたら、夫も同意していたのかもしれません。していなかったのかもしれません。あえて書きませんが、みなさんも同じ想像は出来ると思いますし、実際、今この瞬間も同じような苦労をしている方もおいでかもしれません。ティプトリーの作品は「接続された女」(ご予想の通り、サイバーパンクです。つまりは草薙少佐です、はい。)をはじめ、商業的な成功を収めたものも多いです。経済的に苦労していたとは思えません。つまり、世の中にはお金では買えないものがある、ということなのではないでしょうか。
お金で解決できることはあっさりとしてしまったらいいと思います。私がいま、かつての宝物を再び取り戻そうとしているように、です。しかし、あの日に感じた感動、感情はもう取り戻すことができません。近いものは感じ取れますが同じではありません。悔いなく生き、そして死ぬためには、どのように日々を過ごして行ったらいいのでしょうか。たぶん、生きている内にこれを悟ることは出来なさそうです。