つばさ日記0329夜「きまぐれキャット、タイトルに偽りありのような、ないような」
とりあえず、前回、お風呂の時に使う袋の事に少し触れた。ウチでは風呂へ向かう時に袋に物を色々入れたり、手に持って行く。体重計、パック飲み物、アマゾンミュージック用のタブレット、タバコ2~3本、ライター、メイン部屋から持ち出す洗濯物、冬はゆたんぽ、今は持てるだけの衣類(ヨガ・コレクション部屋から衣類を徐々に移動させている。)、これくらいだろうか。ちょっとしたお出かけである。長湯は完全に習慣になっている。体が必要としているストレッチを自動的にするようになっている。
29日朝、中神社へ。参道を進む際は、段差の奥行が微妙なため、意識して右から登ったら次は左、と足を変えながらである。鳥居についているしめ縄の一端が外れている。風が強い日があった。天日干し中の猫砂容器が丸ごとひっくり返ったことも二度あった。同じ風の仕業だろう。参道に山から水が降りてきている。いつの雨の分なのか、判らない。山の保水力を感じる。拝殿へ。鳥の鳴く声しか聞こえない。俗から切り離されているかのよう。この日二度目の天地礼拝の基本形を行う。もちろん、一日の幸運を祈りながらである。我ながら殊勝な心掛けである。礼拝を終えると、左の樹木から幼鳥の声が聞こえた。まだ巣立っていなかった。ただ、声が大きく、野太くなっている。姿は見えないが成長している。天敵も多いだろうから、成鳥になれるか少し心配する。余計なお世話である。人間はまず人間を大事にすべきだ、というのが私の持論でもある。帰りにご近所さんとヨガの話をした。
左手の甲小指と薬指の付け根の骨の部分にあざが出来た。素人なのにサンドバッグを叩いたせいだ。揺れるサンドバッグを殴るのは結構難しい。一方、蹴りは左右とも意外に上手い。自分で言うのも変だが。軸がぶれず、振り足が鞭のようにしなり、サンドバッグがいい音を鳴らす。ちゃんと準備体操をしたら、顔の高さ位には足が上がるだろう。この件について、詳報が書ければいいのだが。現在、審議中である。サンドバッグを支える人はかなり重要だと身に染みて判った。
井戸水の汲み上げ時に重石が落ち、以前から破損していたタッパー容器が全損、完全に機能を失った。それにしても、見事に重石が命中したものである。大バケツの中に藻が増えてきた。夏の日中は電圧が余裕なのでバケツ内丸洗いを実施予定である。
今気づいたが、まったくつばさ日記になっていない。今に始まった事ではないが。つばさは極度に水を飲まなくなった。トイレ小の量も明らかに減っていて大の湿り気も少ない。何かのサンプルで貰った保水用餌を使う。舐めてみたが、薄めたちゅ~るだった。自分でも作れそうである。水で薄め過ぎないようにしないといけない。ジャンプの回数が減っている。つばさ特別区から出ようとしない。寒いのか、鼻水が再び出て来た。気温変化に弱いようだ。春は不安定である。体温も低い。三日ほど前のある晩は私の顔右にくっついて寝た。しかし、それっきりである。意味がわからない。臆病な気まぐれキャットである。曇りでも猫砂が乾くスピードが速い。一方、藁草履はなかなか乾かない。
藁草履の作り方を教えてくれる方との接触に成功。練習に行ったならばここで報告したい。とあるネットで購入した物は長距離の高速歩行ができないが、こちらはそれが可能である。一足800円であるから、都市の感覚だと一時間で三足は作れないと労賃にもならない。片足分を10分で・・・。それはさすがに無理だろう。まずは見学、そして藁の触り方から始めることになるだろう。ただし、雨の日だけである。ロストテクノロジーにしないためにも、継承したい所だが、正直言って、全く自信がない。手先が器用かどうかを聞かれたが、それも全く自信がない。始める前から挫折する予感しかしない。
午前の散歩の前に、竹輪半分を椅子下に置いた。だが、つばさは気付かず。やや干からびて、風味が落ちたちくわは、つばさの気を引く事ができなかった。苦労して食べてもらった。そして最後には「もっとくれ」と言わんがばかリのご様子だった。草テチかちゅ~はペロリと平らげた。
その散歩では、顔見知りの近所の方と少し話をした。滅多に人を見ないので、見かけたら話をする、というのが習慣になっているようだ。小神社でも大神社でも順調に天地礼拝を行った。今回は信心深さの欠片もない礼拝だった。完全にストレッチであった。天地礼拝を誰かに見られたら怪訝な顔をされるだろう。少し迷っている。だが、効果は絶大である。心身のリラックス効果が物凄い。自然な流れで行うのがいいのだろう。また、それが可能な造りに神社はできているように思う。
洗濯物を干すのを忘れていた。間違いなく毎回忘れる。干すのはいつも夕方か夜である。干しに行く前に投稿する。