猫と共に余生を穏やかに過ごす

猫との生活記録が主です。
サブでヘルニア闘病記事も有りますが、徐々に趣味の記事へと移っていきます。

地域の戦没者慰霊祭

2022-03-20 11:07:41 | 日記

つばさ日記0320午前「地域の戦没者慰霊祭」

20日朝、中神社へ向かう。小さな事件が発生。途中のあぜ道で例の野良猫を発見、撮影。五倍望遠で撮ったものである。

更に近づきたいが、真っすぐ進むと逃げる。斜めに近寄ろうと雨で倒れた危険の少なそうな草むらに登る。そこで恐らく柚子の棘が左足裏に刺さる。サンダルを突き抜けた。反射的に重心を右足に移し、深手は負わず。道に降りようとしたが安全に降りられる場所は5m先。そこまで慎重に進み、道に戻る。道の上で足の裏確認。血が滲んでいる。スリッパ確認。棘は残っていない。大きな枝に付いた棘だったのだろう。念のため、一度部屋に戻る。消毒だけする。

これの出番である。タイからの帰りのスワンナプーム国際空港のファミマ(2019927日に閉店。ググって判明。)で、再両替できない小銭で買ったものだ。それでも残った小銭はmy土産にした。足の裏確認。刺さった場所が解らない。適当に消毒する。すると血の跡が極僅かに見える。処置としてはこれで十分だろう。裸足+スリッパでは入ってはいけない場所があることを痛感した。少し鈍痛がする。その内、収まるだろう。懲りずにもう一度、中神社へ。せっかくなのでトイレにも行っておく。転んでもただでは起きるつもりはない。ラジオの電池が完全に切れた。交換は中神社の後にする。しつこいがおやつの最後の一粒をキャットタワー上のつばさの目の前に置く。食べた。意味が判らない。まあ、いいか。投稿記事の校正をしつつミニトマトとバナナだけ先に食べる。再び中神社へ向かう。例の野良猫はビビらせて追い払った方がいいだろう。猫砂を守らねばならない。

八時丁度に、再び中神社へ。随分と遅くなった。雨が上がって相当な時間が経っているが、山から流れ落ちる溝の水は相変わらず激しい。地下水脈の井戸への流入はもっと時間的に遅くなるはずだ。水源探索は、タイトルで察せられる通り後回しである。先ほどよりも霧が薄くなった。風が弱まる霧が濃い場所なのである。いつものように参道中央やや右を鳥居に向かって進む。踊り場で振り返り、遠くに同じ野良猫を再び発見、追跡を開始する。鳥居は後回しである。百二十メートルは距離がある。しかし、足音を忍ばせ接近する。姿を消した方向を見るが、当然姿はもうない。どこかに隠れたか。ウチの敷地内を含め、方々を探し回る。結局見つからなかった。見つけたら驚かせるべきだと再び思った。可愛いのだが、猫砂を守るため、やむを得ない。

三度目に神社へ向かう。何かが聞こえる。静かな地域なので音がするとすぐに判る。鳥居の真下で振り向くと、礼装をした十数名の人たちが集まっているのが見える。はっとした。地域の戦没者慰霊祭だ。来週だと思っていたが、今日だったのか。複雑な気持ちになりながら鳥居を見る。頭の上には額があるが読めそうにない。と思ったが、PCで見てみると完全に読める。この写真は出せない。鳥居の柱の裏に文字が彫ってあった。比較的新しい物である。車道と参道はいつ整備されたのだろうか。恐らく鳥居の建立の方が少しは古いはずである。

慰霊祭がどうしても気になる。私はここに移住してきたが、ここに骨を埋めるつもりだ。無関係だとは思えない。地域の人から「お前は無関係だ」と言われても仕方がないのは判る。だが、やはり無関係とは思えない。今回はコロナの影響で役員とご遺族だけの参列となっていると聞いた。早く立ち去るべきだったのだろうが、立ち去れない。付近で、よく見える場所を探しそこに立ちすくむ。手に持ったままの消えたタバコを包装に戻しポケットにしまう。合掌と礼拝は合わせて行った。ご遺族の一部の方に気付かれた。約百mほどの距離はあるだろうか。私から見えるので、先方から見えて当然である。私は地域の方々に顔を余り知られていない。かなり不審に思われたのは明らかである。が、立ち去らず、そのまま合掌と礼拝を続けた。

この地域でも数は書けないがかなりの戦死者が先の大戦で出た。私の口から「英霊」などという言葉は出せない。指導部の誤った方針に基づき行われた十五年戦争により、若くして散っていった二つとない命である。山本五十六氏も対米開戦反対派だった。望んで戦場に出た者、望まされた者、望まなかった者と色々である。ネットの従軍記はほぼ全て読みつくした。とある膨大な資料を載せているサイトを除いてだが。多くの従軍記では、意気揚高として故郷を離れ、程なくして現実に直面し、戦病死や自死した戦友の形見を預かり、命からがら生き延びた、という形のものが多かった。

私は自由と人権を擁護したいと思っているが、それ以上に命を尊重したい。それを否定するのが戦争である。今も行われている。さらに民兵や市民まで加わっている。他人事ではないと感じた。

そもそも戦争を防ぐにはどうすればいいか。簡単に言えば、「機会と極度の危機感」を与えない事である。これは有名な考え方である。それが出来ない国の指導部は戦争に突入しかねない。非武装や極度の軽武装、無警戒は機会を与えかねない。均衡の取れていない不必要な重武装は極度の危機感をもたらす。私もそう考えている。従って、自衛隊には条件付き賛成、改憲には内容次第で賛成、現在の自民党の改憲案には反対なのである。そしてお互いに徐々に軍縮をするのが均衡を保ち、負担を減らす唯一の方法だと考えている。

式が終わった。帰路に就く参列者たちが引くのを待ち、一人で慰霊碑に向き合う。長い戒名と本名が記されている。今回は姿勢矯正ではない。心からの礼拝を行う。仏式だが、宗教と縁のない人でも大丈夫な慰霊碑の造りになっている。何と言えばいいのか、何と思えばいいのか、判らない。ただ明日を待つのみである。

来た道を戻る。日常にも戻る。裏の焚火場を確認し、表に回って野良猫を警戒する。体が冷えた。厚着にはとてもではないが見えない参列者の方々はもっと冷えただろう。朝食の準備を機械的に行う。つばさにはちくわを半分。何故かいつもより小さめに切る。七つに切った。いつものように少しずつ、間隔を開けてあげる。つばさは水道水へ。その後、椅子の足元にある古いPC上を経由して、自分からあぐらの上に乗ってきた。草テチかちゅ~を準備する。ちゅ~るがない。一旦降りてもらう。いつもより椅子に近い場所に置く。今あったことをタイプしているからだ。小皿は綺麗にほぼ食べ切った。ベッドの上で丸くなって、熟睡している。満足したようだ。日常の有難さを感じた。左の足の裏は、もう痛くなくなった。だが、世の中には決して癒えることのない傷もある。



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