まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。

母の思い出

2022-08-16 09:10:11 | 母のこと
私の母は、愛情を上手に表現することが苦手で、そして潔癖症だったので、
当然、赤ちゃんのころは抱いてもらっているが
物心がついたころには、ぎゅっと抱きしめてもらったなんて記憶はない。
口癖は「もぉー汚い」だった(笑)
確かに一日中外で虫を追いかけ泥だらけになって遊ぶ小学生は汚い。
大概、玄関から入れてもらえず裏の勝手口から入りお風呂で
足を洗えと指示されて、家に入ることを許される。

赤ちゃんの頃、ハイハイをしてなんでも舐めて心配だから
畳をクレゾール(逆性石鹸)で拭いていたと言ってた。
でも、クレゾールを舐めてるんじゃ・・・?
微量だったのかしら?かなり薄めていたのかしら?
クレゾールはいたるところに使われ、我が家は大概クレゾール臭かった(笑)
昔はクレゾール一択だったんだろうな。

母は、シーツの糊づけをよくしていた。
合成糊もあっただろうに、残りご飯で糊を作っていた。
晒布で濾して手間がかかったろうに・・・
冬は冷たくシーツが替えてあるとガックリした。
夏はひんやりと気持ちが良かった。
母は、祖母(私の曾祖母)と糊づけしたシーツをよく干していた思い出を話していたが
私は母を手伝った記憶がないことに今気づく。
兎に角働き者だった母。


ぎゅっと抱いてほしかった自分が確かにいる。
そして、母も母親がいないのでぎゅっとしてもらった記憶はなく育った。
そんな親子だったので、最初に介護で母を抱き上げるときは照れ臭かった。
オムツ交換も「あぁこうして育ててもらったんだなぁ」と感慨深く・・・
一番辛かったのは、食べてくれないとき。
食べない=死んでしまう なので、こちらも必死で。その不安は怒りに変わって
酷い言葉を何度も言ってしまった。
子育てのできなかった私は、介護は子育てのような感じだった。
母の介護は親子の時間を取り戻すかのような時間だった。
本当に有難かったなと幸せだったなと、思う今日の盆明け。

コメント (10)
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