母は、お寿司が好きだった。
握りも好きだったけど、ばら寿司が好きで良く作っていた。
私はすし酢を作る(火にかける)匂いが苦手で
「くさーい。くさーい」とよく文句を言った。
アナゴを焼く、付けるタレは甘辛さに拘りがあるようで、自家製。
干しシイタケを甘辛く煮あげる。
少し甘い薄焼き卵を焼き、錦糸卵にする。
きぬさやも色よくゆでる。
シソの葉も細く千切りに。
昆布を入れて炊いたご飯が炊きあがる。
私にうちわを渡して扇げという。
私は面倒くさそうにパタパタする。
母は、手際よく切るようにすし飯を作る。
すし飯が少し温かいうちに煮あがった
ごぼう、レンコン、人参、小エビをすし飯と混ぜる。
そして、彩りよく盛り付ける。完成。
「まーーーー、美味しいねーーーー♪」
母、おおいに自画自賛である(笑)
「もうちょっと食べよ♪」
パクパク食べる。
「よーたべるねー」と私が言うと
「大好きじゃけーねー♡」と母。
私は家を出て、自分の台所を持った。
母は、体調を崩すことが多くなり、なかなか自分でばら寿司を作れない。
よっしゃ、私がつくったる♪
レシピはないので、自分の味覚の記憶だけが頼り。
すし酢は自信がないので市販品。ミツカンさん有難う。
水、減らしたのに、ご飯がちょっと柔らかい^^;
あら?煮物がべちょっとしてる?煮過ぎ?
うわ、薄焼き卵が難しいわー、破れる!きれいに焼けたのは数枚
焼きあなご、まるまってしまうじゃんかー
しいたけは・・・・うん、これは美味しいぞ
お重など、こじゃれたものはない(笑)
タッパーに詰めて実家に。
「どしたん!教えもせんのに、ようできたねー
あんた・・・うちの子じゃね、錦糸卵、きれいなね、丁寧に作ってから・・・」
「美味しいよ、有難うね」
ほんとは、全然上手にできていないのに喜んでくれた。
褒められるような子じゃない、不良娘の私。
母の言葉はとても嬉しく照れ臭かった。
母は自分の母親を知らない。顔も知らない。
だから、もちろん母親が作ってくれた料理を食べたことがないし、
母親の味なども存在しない。
私は、母の味が沢山ある。とても有難いことだと思う。
介護が始まってからの私は、時間に追われて余裕が無かった。
でも、もっと母が、食べられるときに作って食べてもらえばよかったなと思う。
食べものが美味しいと食べることが嬉しい楽しいときに・・・もっと
段々と誤嚥をしてはいけないと、形状が変わり禁止のものも増えていき
食べることが嫌で辛いこととなっていってしまった・・・
本人辛いのに、生きていて欲しいから食べろと無理強いをする。ごめんね・・・
ふと・・・
あぁ、家に帰りたかったよね・・・ごめんね・・・といまだに思う。
入院しても老健に行っても9年間毎日行った。毎日行くことで場所が違うだけで
私とは毎日会えるよと言い訳にした。でも、家が良かったよね・・・
「あんた、帰るよね・・・」「また、明日会えるよ」「待つのは長いんよね・・・」
本当に限界だったのだろうか私は・・・もう少し私は頑張れたのではなかったのか・・・?
と涙が出る・・・
いけん、いけん お母ちゃんが心配する。
雨が降るから涙が出た。
握りも好きだったけど、ばら寿司が好きで良く作っていた。
私はすし酢を作る(火にかける)匂いが苦手で
「くさーい。くさーい」とよく文句を言った。
アナゴを焼く、付けるタレは甘辛さに拘りがあるようで、自家製。
干しシイタケを甘辛く煮あげる。
少し甘い薄焼き卵を焼き、錦糸卵にする。
きぬさやも色よくゆでる。
シソの葉も細く千切りに。
昆布を入れて炊いたご飯が炊きあがる。
私にうちわを渡して扇げという。
私は面倒くさそうにパタパタする。
母は、手際よく切るようにすし飯を作る。
すし飯が少し温かいうちに煮あがった
ごぼう、レンコン、人参、小エビをすし飯と混ぜる。
そして、彩りよく盛り付ける。完成。
「まーーーー、美味しいねーーーー♪」
母、おおいに自画自賛である(笑)
「もうちょっと食べよ♪」
パクパク食べる。
「よーたべるねー」と私が言うと
「大好きじゃけーねー♡」と母。
私は家を出て、自分の台所を持った。
母は、体調を崩すことが多くなり、なかなか自分でばら寿司を作れない。
よっしゃ、私がつくったる♪
レシピはないので、自分の味覚の記憶だけが頼り。
すし酢は自信がないので市販品。ミツカンさん有難う。
水、減らしたのに、ご飯がちょっと柔らかい^^;
あら?煮物がべちょっとしてる?煮過ぎ?
うわ、薄焼き卵が難しいわー、破れる!きれいに焼けたのは数枚
焼きあなご、まるまってしまうじゃんかー
しいたけは・・・・うん、これは美味しいぞ
お重など、こじゃれたものはない(笑)
タッパーに詰めて実家に。
「どしたん!教えもせんのに、ようできたねー
あんた・・・うちの子じゃね、錦糸卵、きれいなね、丁寧に作ってから・・・」
「美味しいよ、有難うね」
ほんとは、全然上手にできていないのに喜んでくれた。
褒められるような子じゃない、不良娘の私。
母の言葉はとても嬉しく照れ臭かった。
母は自分の母親を知らない。顔も知らない。
だから、もちろん母親が作ってくれた料理を食べたことがないし、
母親の味なども存在しない。
私は、母の味が沢山ある。とても有難いことだと思う。
介護が始まってからの私は、時間に追われて余裕が無かった。
でも、もっと母が、食べられるときに作って食べてもらえばよかったなと思う。
食べものが美味しいと食べることが嬉しい楽しいときに・・・もっと
段々と誤嚥をしてはいけないと、形状が変わり禁止のものも増えていき
食べることが嫌で辛いこととなっていってしまった・・・
本人辛いのに、生きていて欲しいから食べろと無理強いをする。ごめんね・・・
ふと・・・
あぁ、家に帰りたかったよね・・・ごめんね・・・といまだに思う。
入院しても老健に行っても9年間毎日行った。毎日行くことで場所が違うだけで
私とは毎日会えるよと言い訳にした。でも、家が良かったよね・・・
「あんた、帰るよね・・・」「また、明日会えるよ」「待つのは長いんよね・・・」
本当に限界だったのだろうか私は・・・もう少し私は頑張れたのではなかったのか・・・?
と涙が出る・・・
いけん、いけん お母ちゃんが心配する。
雨が降るから涙が出た。
お祝いの日にはお寿司ですよね。
私も小さなころは母がちらしを買ってくれたり
ばら寿司を作ってくれたりしました。
手作りには、家庭によって違いがありますよね
ある意味ソウルフードでしょうかね。
今日 女房の誕生日(5月30日なのですが)
を ちらし寿司(市販)ので お祝いしました
家の女房が 手作りする のは 難しいので
羨ましいですね 手作りの お寿司
とっても褒めていただいた、ちらし寿司ですが、もう何年もそれこそ
10年以上作っていませんねぇ・・・
なぜか、これに限っては母の好物だったので、母が食べれないんだったらなー
なんて、どうもヤル気が起きないんですよねー
でも、ブログにも書いたことですし、近いうちに作りましょうかね♪
有難うございます(*^^*)
寧ろ、哀しいことに虐められていました(´Д`)
なので、おばあ様がいらっしゃる方が羨ましいです。
孫は可愛いとよく聞くので、どんな感じなんだろうと。
一人っ子ちゃんの得ですよねー
うちは兄と奪い合いでしたからねー早い者勝ちです。
「カニのちらし寿司」もう聞くだけでヨダレが・・・・(笑)
お母様、喜ばれたでしょうね。
うちは、ずっと母が私にべったりでしたからねー。
マダムさん普通が一番なんですよ♪
広島の方では、ばら寿司は、酢飯に煮た根菜類を混ぜたもの。
ちらし寿司は、酢飯の上に刺身などの海鮮ものがのっかってるものです。
なので、ちらし寿司はお寿司屋さんなど外食で、ばら寿司は家庭作る。
のイメージですかねー。
でも、お刺身の盛り合わせを買ってくれば、ちらし寿司も簡単にできますよねー(笑)
でも、アミさんのお料理上手はお母様譲りなのですね!
多分、こういうのは教えてもらったとかじゃないんですよー
生まれながら持っているお料理好きの遺伝子とでも言いましょうか(笑)
苦手な方はお料理教室に行ってもなかなか大変だと聞きます。
アミさんのお母様にとってはアミさんの存在自体が親孝行なのですよ、きっと。
娘であるこちらとしては、孝行したい思いがいつまでもありますけどね。
母親を好きだと言える私たちは幸せですね♪
酢飯のあの感覚、うちの祖母(父の母)が得意でしたが、あの味はしっかり覚えていても再現は出来ません。
今ではうちはちらし寿司は購入するものになってます(笑)。
都わすれさんの作ったちらし寿司には、素敵な思い出と美味しく食べて欲しい!という気持ちがしっかり入ってますから、
お母様の「美味しい」の言葉はお世辞でも何でもなく本心だと感じます。
都わすれさんも「とても美味しく出来た!」と、お母様のように自画自賛しちゃいましょう~。
お寿司は、今我が家でお雛様の時に作る「カニのちらし寿司」は、母から教えて貰ったもので、これが最後かと入所してから持って行ったことがありました。
都さんとお母様の思い出は、心温まるもので羨ましいわ ホント私の場合はガサツだわねぇ、あまりにも普通の(波風のほぼ無い)生活だったのよ
ばらちらし寿司ですね。
余談ですが、富山には「ばらずし」というお寿司のチェーン店がありまして…最初、その話題だと思いました。
ちらし寿司も家庭によって多少の違いがありますね。…とはいうものの、作るほうではないので詳しくは説明できませんけど。
母も、6歳の時、母を亡くし、思い出は何もなく、私も祖母になる人の話は一回も、聞いたことがありませんでした。
それなのに、母はお料理上手。 不思議ですね~。
何処で覚えたのでしょう…。
私は、してもらうばかりで、母には、親孝行と言ったことは皆無でした。
申し訳なく、今でも、後悔しています。
亡くなる前の1週間。 病院で四六時中、一緒に過ごしました。
最期は、私とお茶を飲んでるとき、「美味しいわね!」が最後の言葉です。
こうして、大好きな母のこと、おしゃべりできること、幸せです🎵