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古の日本から学ぶ(2)

2020年12月25日 17時38分41秒 | 日記

本日は十七条憲法の第七条から第十二条について書いていきます。

例によって金治勇様の「聖徳太子のこころ」から引用します。



第七条

七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、

権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。

よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。

世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、

よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、

適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、

賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。

これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。

だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、

人のために官職をもうけたりはしなかった。



第八条

八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。

公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。

したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、

はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。



第九条

九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。

事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。

官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。

群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。









我が住む街の近くの「白鳥の里」より




























第七条から見ていきましょう。人にはそれぞれの任務があり、権限の乱用を戒めています。

私は「責任のある対応」と言う事を思いました。

昔の日本人は今日と違ってもっと物事に真剣であり教育的であり、祖国を思う心根が強かった

ように思います。

いつからこのような無責任な世の中というものが目立つようになってしまったのでしょう。

しかし、こう思うのは私の偏見でしょうか?

無料の相談所などは話は良く聞いてくれるのですが、ではどうしたらいいのか?

はっきり言って貰えない事も多かった。

ですから、有料で弁護士に相談せざるを得ないこともありました。

この話は私が無料の「困り事相談」に行った時の事です。

官吏と言っているのは厳密には今日の国家公務員の事だと辞書に載っていますが、私は現在

の地方公務員等の職員にまで広義に解釈しても良いと考えましたのでそうします。

もっとその任務に対して責任ある行動をとって頂きたいと考えます。(但し自分の健康には

留意して下さい。)



第八条 公務員の方々は朝早くから遅くまでお疲れ様です。その頑張りが、

ひいては国民の幸福の源泉になると信じます。どうぞ頑張って下さい。

(但しくれぐれも健康が第一です。)



第九条 真心の重要性が書いてあります。人の道の根本は真心だったのですね。
     







休憩しましょう。この映画のポスターは朧気ながら覚えがあります。しかし、

この曲の旋律は聴いた事はなかったと思います。

先達はこのようなタイトルや絵の中に素朴で郷愁を誘う、日本の美を旋律に残して下さいました。

カルメン故郷に帰る(そばの花咲く)






第十条

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、

ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。

人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。

相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、

自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。

自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。

皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、

だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。

それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、

むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。

自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。




第十一条

十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。

近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。

指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、

賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。



第十二条

十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。

国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。

国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。

役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。

どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。








第十条は「思いやりの心を持って人に接する」と言う事でしょうか。

そして、「自分はこれだと思っても、最後にはみんなの意見に従って行動しなさい。」と

ここでも「人の和」を尊重しています。



第十一条では適正な賞罰をおこなうことを定めています。褒賞の厳正さを挙げています。

私個人は褒章と言う物には無縁の存在ですので、ここでは一般の賞状について触れます。

賞状など本日では功績等をコンピューターのプリンターで印刷した物が一般的になってしま

っていますが、賞状そのものが与える方も受け取る方も稀薄になってしまっている感があり

ます。
        
これで思い出すのですが昔の卒業式や入学式の厳粛さを。

世界に誇って良い程のものであったことを。
やはり、この点でも昔に学ぶべきこと大だと思います。



休憩しましょう。
敗戦で故国にかえる舟の中でこの曲が流れたのだそうです。
かえり船 田端義夫.








第十二条 現在では国民から私的な税金を徴収される事はほとんどないでしょう。

ただ気になるのは私たちの税金の使い道です。

ちょっと脇道にそれますがこの税金について思うことがあります。

ある会社では職員が労働時間中に仕事とはいえ、将棋、囲碁、カラオケ等をしながら収入

を得ている会社もあります。

もし、その収入の大半が税金だったら?  いい気持ちはしないですよね。

世の中様々ですが、もし、ある人が何らかの原因で病気したとします。

薬を飲んでいても、社会復帰できる状態にあるのなら、

国はなんらかのセーフティネットを張ってその人の未来を希望のあるものとして

頂きたく思います。特に40、50代はお金がかかる時代です。

この時代を職が無く暮らすのは如何なものかと?

しかも男性だったら?

(勿論、懲罰の適用の無い方です。)


50代になると一般の正社員になるには年齢的に難しいのでアルバイトも考えるでしょう

が、その労働条件や待遇を考えると、どうしてもなにか腑に落ちないものを感じます。

しかし、こういう現状におかれた人物は数少ないでしょう。

運が悪いといえばそうなのですが。
     
しかし、なにかこの現状を打開する政策はないのでしょうか?

人生に生き甲斐や働き甲斐を求めるのは行き過ぎでしょうか?

勿論、人生の目的はお金ではありませんが、お金のない人生もまた悲惨だと感じます。

お金を稼ぐ働き口まで閉ざされてはどうしたらよいのか?

定職に9年も10年もつけないとしたら?

もしあなただったら?  どう思いますか?

40代の方でさえ希望する職につけないと臆する現状を?

でも、もし本人に問題があるのなら、気遣ってあげましょう。教えてあげましょう。

本人が悪い場合もあるのですから。

しかし、本人に問題がないなら、私はこう言う時の為に税金の一部を使うべきだと

思います。

労働力が需要としてあるのですから何らかの仕事を国で与えてさえいれば就職で困ることは

無いと思うのです。(この雇用の求人は当然民間ではなく公務員しか考えられません。)

たとえその労働期間が短かろうがその間に民間に再就職できるシステムが出来ていれば随分

と生き甲斐のあるものになると考えるのであります。

人生の途中で病気やけがで再チャレンジの必要な人に、

公平なチャンスを与え得る社会の実現に期待する事多しです。




これに付随しまして、「再チャレンジ可能な社会」について

以下、安倍前総理の「再チャレンジ可能な社会」ついてより抜粋



わたしたちが進めている改革は、頑張った人、汗を流した人、

一生懸命知恵を出した人が報われる社会をつくることである。

そのためには公平公正、フェアーな競争が行われるように

担保しなければならない。

競争の結果、ときには勝つこともあれば負けることもあるが、

それを負け組、勝ち組として固定化、あるいは階級化してはならない。

誰もが意欲さえあれば、何度でもチャレンジできる社会である。

そういう「再チャレンジ可能な社会」には、

人生の各段階で多様な選択肢が用意されていなければならない、

再チャレンジを可能にする柔軟で多様な社会の仕組みを構築する必要がある。

たとえば、十八歳のとき受験に失敗した人が、

二十七歳のとき、もう一度勉強して人生を変えたいと思い立てば、

働きながら大学や大学院で、社会で役に立つ実践的な講座を受講することができる。

そしてそれは社会から評価され、キャリアアップにもつながる、

そういう社会をつくっていくのである。


 一回の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、

暮らし方が複線化された社会に変えていきたいと思う。

私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。

そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。

この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。

日本人であることを卑下するより、誇りに思い、

未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。

日本の欠点を語ることに生き甲斐を求めるのではなく、

日本の明日のために何をすべきかを語り合おうではないか?

(「美しい国へ」より)



病棟の 朝の光や 雪柳


枯れ葦の 漣寄する 夕陽かな



休憩① 
昭和の頃、小学6年生の頃、グループサウンズが流行りだしました。
ブルー・シャトウ



休憩②
秋に卒業式をする方へのプレゼント
【仰げば尊し】




参考資料 及び出典

 安倍晋三  「美しい国へ」      文春新書 2006年

 金治勇   「聖徳太子のこころ」   大蔵出版 1986年

 櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館  2006年


 


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