月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

思い出を交えて!

徒然なるも未来に希望を託し随筆を嗜む

俳句、音楽を添えて

キリスト教の伝道から育んだ信仰と米国人

2024年09月16日 11時25分50秒 | 日記

この日記は私が幼い頃、とある基督(キリスト)教の団体に所属していた時、その生活や境遇(きょうぐう)を基にその後の心情を描いたものです。めまぐるしく変わる精神状態、気持ちの動揺の中で掴(つか)んだ信仰をどう生かすかが常に問われていました。幼少の頃や少年時代の心に芽生えたものや情熱は明るく朗らかなものでした。が、

伝道者の家族

早いもので今年も9月の中旬、今日は敬老の日です。

今やchatGPTに人気が有るのは解っていますが、

不慣れな自分は活用方法を知らないのでそのままを入力してしまうきらいがあります。


随筆(ずいひつ)なので思うがままに書いてみたいと想います。

私は昭和28年の生まれです。

6、7歳の頃、私はとある基督(キリスト)教の伝道者の家族と一緒に育ちました。

アメリカ人が殆(ほとん)どでいっぱいいたと記憶しています。

5,6世帯の米国人の家族、支那(しな)人の家族が1、2、

他5、6世帯程の日本人の家族だったのではと想うのです。

宗教は基督教。信者はクリスチャンと呼ばれています。

米国のクリスチャンが日本に伝道(でんどう)に来た目的は

イエス・キリストによる布教(ふきょう)により,

日本国民を謂わば三悪道=飢餓道(きがどう)、

畜生(ちくしょう)道、地獄(じごく)道から救うためであった、と。


伝道者の生活

伝道者の生活は国民の模範(もはん)に

ならなければならなかったので質実剛健(しちじつごうけん)、

信仰心を養うために各自、切磋琢磨(せっさたくま)していたのです。

昭和20年代、後半に私が生まれました。

布教は國全体に広がりを見せていたと想うのですが、

日本国民は國の宗教として認める人は殆どいませんでした。

布教で信者になった人々へは聖書に基づく基督の愛の実践(じっせん)がなされた。

やがて戦後の混乱(こんらん)期が落ち着き高度成長期に差し掛かるのですが、

30年代、日本国民は未(ま)だ貧困な生活環境(せいかつかんきょう)の中にいました。

米国の婦人達は信者になったばかりの人に心からの愛情を持って接(せっ)してくれた。

その中に自分もいました。

米国民の家庭生活は一様に日本国民のそれよりも恵まれていたと思います。

しかし、一転して伝道は朝早くから遅くまで、厳(きび)しい規律(きりつ)、

戒律(かいりつ)の中におかれた。

日曜日の食後の集会には讃美歌(さんびか)と

聖書(せいしょ)の朗読(ろうどく)があり御説教(おせっきょう)があった。




子供心(こどもごころ)

私は聖書に精通(せいつう)しようと基礎(きそ)から学んだ。

子供心にも、日本を打ち破(やぶ)った西欧や米国に負けない様に、

しっかりと勉強して見返してやりたいと思うこころが有りました。

高校卒業後も密接な交際がありクリスチャンとして生きる事に何の躊躇(ためら)いもなかった。

私は40歳になった時に、二人の米国人から洗礼(せんれい)を受けた。

基督を信じる信仰心も段々に強くなっていった。·

そう、40歳の前般まで私は基督教一辺倒(きりすときょういっぺんとう)であった。


或(あ)る事件

或る事件があるまでは聖書を拠(よ)り所として生活していて何の不自由も不満も無かった。

その頃は日本のことは殆ど知らなかった。

何故、日本が真珠湾(しんじゅわん)を攻撃(こうげき)して

大東亜戦争を起こしたのか解らなかったし、

その原因を支那(しな)の盧溝橋(ろきょうきょう)事件まで

遡(さかのぼ)って考えなければならない事などまったく無知(むち)でした。

1941年12月8日に日本はアメリカ、イギリス、

オランダに宣戦布告(せんせんふこく)し戦いは始まったが、

当時、支那の蒋介石(しょうかいせき)、イギリスのウィンストン・チャーチル、

ロシアのヨシフ・スターリンも

アメリカのフランクリン・ルーズベルトと懇意(こんい)な関係であった。

彼等は米国が早く日本と交戦してくれるのを待ちわびていたと記(しる)されていました。

しかも米大統領であるルーズベルトは日本に戦いを挑(いど)むことに

賛同(さんどう)していた人物であることも解(わか)って来ました。

当時を偲(しの)び、私は靖国(やすくに)に眠る英霊たちのこと、

あの敵艦(てきかん)めがけ、爆弾抱(ばくだんかか)えて突撃(とつげき)した姿、

その光景(こうけい)、情景(じょうけい)を思い描きますと

涙がこぼれ落ちてくるのをどうしょうもありません。

(休憩)

昔の日本を思い出します。こういう平和な旋律(せんりつ)の歌は

日本の曲以外では見つけるのは難(むずか)しいでしょう。

高原の旅愁 伊藤久男


この歌は映画になっています。

高原の旅愁



全財産

同じ基督信者のなか、比較的に、生活に困っていた人達がいたので

その人たちを助けてあげたいと云う気持ちで、

持っていた私個人の全財産をこの団体に預けてしまったことがありました。

その時から3年後に会社を辞(や)めなくてはならなくなりました。

その当時、鹿島プラント工業に努めていましたが

業績不振(ぎょうせきふしん)と云う事で

関連会社に出向(しゅっこう)を余儀(よぎ)なくされました。

出向先には鹿島技術サービスと鹿島典礼の二つありました。

出向元にて私は鹿島典礼ではなく、鹿島技術サービスへの出向を命じられていました。

ですから仏教で御葬式をする鹿島典礼の仕事は本当ならばしなくても済(す)むはずの事でした。

しかしいざ出向先に転勤になったら、話は異(こと)なり、

仏教での御葬式も手伝うことを指示(しじ)されたのでした。

私は悩みましたがお金を稼ぐと云う事はこう云う事なのだ、としばし思案(しあん)しました。

鹿島技術サービスでの仕事のかたわら、鹿島典礼と云う仏教で御葬式をする会社でも働きました。

何ケ月かを経(へ)て、御葬式の内容を知るにしたがって上司(じょうし)から頼まれた事、

指示されたことがありました。

具体的にあの時、何と言われたのかはっきり覚えていませんが、

基督信者として信仰上とてもできないことなのは明白でした。

基督信者の誇り、矜持(きょうじ)を私も持っていましたので、

「仏教の教えには相手の気持ちを考えてやるという

こころの余裕(よゆう)は無いのだ。」と、想っていました。

それは私が上司に向かって、

「僕は○○次長の指示に従うよりも全知全能の神、その教えに

順(したが)わなければならないのです。」

と云(い)ってしまったのでした。

この事は聖書を本当に正しい書物だと信じている

クリスチャンにとっては至極(しごく)、当たり前の事で、

特に異常(いじょう)な事でもなんでもないことでしたが、聖書を読んだことはなく、

日本の風土に育って来た日本人、しかも会社の上司でしたから心に抱(いだ)いた

不愉快(ふゆかい)な気持ちを隠(かく)し切れなかったのでしょう。

彼は驚(おどろ)いて顔を赤くして「上司の指示に順えないのなら、

一週間の内に3日間だけ会社に出てくれば良い。

後は来なくていい。」と云われてしまいました。

基督を信じるようになると人間関係の付き合いは、ことのほか難しくなります。

それは当たり前の事でした。

聖書の内容など一度も読んだ事の無い人間が

どうして全知全能(ぜんちぜんのう)の神を信じることが出来るでしょう?

日本人にとってはその95%(パーセント)の方々は知らないのが普通でした。

全知全能の神ってどういう神ですか?

それは日本人だったら当たり前の疑問で知らなくて良い事だったのです。

一番恐れていた事

信者だった時、一番恐れていた事それは、

「日本人の95%は永遠の地獄に行く。」と本当に信じていた事です。

僭越(せんえつ)ながら聖書の中に次の言葉(ヨハネ伝3章16節)があります。

皆さんはこれをどのように解釈しますか?

「神はその独(ひと)り子を賜(たまわ)ったほどにこの世を愛された。

それは御子(みこ)を信ずる者が一人も滅びず永遠の命を得るためである。」

私はこの様に受け止めていました。

「神を信じない者は皆地獄に行ってしまう」「それも永遠に!」

国民ひとりひとりが皆、それも日本国民の95%の人は永遠の地獄に行ってしまう。

こう思うと日常が暗くなってしまい、やるせない日々が毎日毎日続いたのです。

私はかつて、地獄の苦しみを実感した時があります。

時間にしてたったの2秒くらいだったと想います。

私は「地獄の苦しみから救わなければならない。」

それができるのはクリスチャンしかいないのだ。何度もこころに刻(きざ)みました

無間地獄(むけんじごく)というものの苦しみがあるならば、きっとこのようなものなんだろう。

と過ぎ去った昔を想います。

これらのことは聖書を真面目(まじめ)に取り組んだ人は皆、思う事では無いでしょうか?

クリスチャンは世の光である・・・当たり前に想っていた事でした。

ここまで昔と今では考えが異なっていたことに気が付くのです。

西洋の基督信者が真の日本人に遭(あ)い日本の歴史、

や伝統、文化を知るのは何と稀(まれ)な事で難しいことでしょう。

また日本人が西洋の文化を理解するのには、

聖書を理解していないと本当には出来ないと想います。

そのくらい聖書は独自性(どくじせい)のある書物で、

何世紀にも渡(わた)って西洋人のこころを虜(とりこ)にして来たのでした。


聖書の解釈(かいしゃく)について

聖書をどのように解釈すべきか?

様々(さまざま)な解釈があるでしょう。


沈黙

私は40年位だったけれど伝道の度(たび)に想ったのは、

私の想いに声をかけてくれない“全知全能者の沈黙(ちんもく)”が

とても虚(むな)しく感じました。

今では新約聖書はナザレのイエスが亡(な)くなっておよそ100年後にできたものと知って、

自分の半生(はんせい)をしみじみ振り返りました。

色々な思いが頭をよぎります。 

・・・ ・・・ ・・・ 列車の中で見ず知らずの親御(おやご)さんに声をかけ、

パンフレットを渡し、「これは本当の神様の言葉です。家に帰ったら読んでください。」

私は恥ずかしさは、とうの昔に、忘れ、

その親子を地獄から救えるのはこの書物だけだと心から思って渡していたのでした。・・・ ・・・ ・・・

伝道は鎌倉(かまくら)市、船橋(ふなばし)市、

鎌ヶ谷(かまがや)市、成田市、水戸市・・・関東だけでなく、

新潟市や佐渡島(さどがしま)にも行った事、

伝道は正直、辛(つら)かった、精神的にも肉体的にも。

・・・ ・・・ ・・・

それらは一体、何のためだったのか?

真実の言葉であったのなら“意味”があった。

でも、それが、ある国のように捏造(ねつぞう)したものや、されたものだとしたら?

私は彼ら、この団体がとったこの一連の行動を鑑(かんが)み、

静かに聖書から身を引(ひ)いたのでした。

基督教を辞(や)めたのでした。

自然と伝道からも遠ざかっていました。


〝和”の文化

聖徳太子(しょうとくたいし)の十七条憲法を読んだことのない日本人でも、

日本に住んでいるだけで、その国民は“和”という文化を肌(はだ)で感じることが出来ます。

習慣や環境(かんきょう)に人間は左右(さゆう)されがちです。

当時はこのように上司(じょうし)に話をして彼の怒(いか)りを買ってしまいました。

その後を考えると、謝(あやま)り、会社に残っていた方がどんなにか幸せだったと想いました。

会社を辞める決断をした時に、最後まで私の将来を考えてくれた、

〇野取締役には申し訳なく想っています。

(「後悔先(こうかいさき)に立たず」・・・無念(むねん)。)

別れの、あの喫茶店(きっさてん)でコーヒーを注文しました、

〇野取締役は将来を案(あん)じてくださって、

辞表を取りやめる事を必死になってかばってくださいました。

そのこと、一生忘れません。

私は週に3回だけ出勤して、一ケ月の給金(きゅうきん)を貰(もら)うことに耐(たえ)られず、

二ケ月目の最初の日に辞表(じひょう)を出して会社を辞めてしまったのでした。

(九年間在職していました。後一年以上、勤務したら円満退職(えんまんたいしょく)で、

壱千万円以上の退職金が貰えることになっていました。)

私は会社を辞めて仕舞(しまい)、丸、一年間必至で正社員の仕事を探しましたが

徒労(とろう)に終わって仕舞いました。


音信不通(おんしんふつう)

事件と云うのは、

仕事が無かったので金銭に事欠(ことか)くようになり預けた全財産のお金の中から

500万円だけ返金してくれる様に手紙を出しました。

数日後「お金は使って仕舞いありません。」の返事を最後に,

音信不通にされてしまった事、そのことなのです。

電話は途中(とちゅう)で切られ、手紙の返事は無く、

メールも遅くしか来ませんでしたから役に立ちませんでした。

それからが毎日、大変な日々が続いたのです。

一文無(いちもんな)しの生活は3日ほどで食べるものもなくなってしまったのです。

その後、どうやって生き延(の)びてこられたのか自分でも不思議に想います。が、

皮肉(ひにく)にも病気になって、障害年金を受けていた事が救いに繋(つな)がったのです。

全財産を失う事は恐(おそ)ろしいことです。

人生の分岐点(ぶんきてん)がいっぱいで

何処(どこ)を行ったらよいのか解(わか)らなくなるからです。

彼等(かれら)からの援助(えんじょ)は全くありませんでした。

お金を預ける時に有限会社3つ作って、出来上がった会社の利益の一部を

月々返済してくれれば良いと云う条件で貸(か)したのでしたが。

先方(せんぽう)ではお金は寄付(きふ)されたもの、

貰ったものとして処理(しょり)したようですが、

私は一介(いっかい)のサラリーマンでしたから寄付をするような身分(みぶん)ではなかった。

その時は頭が真っ白になり解らなかったのですが、彼らは無断でお金を使ったのでした。

持ち主に何の話もなくお金を使う行為など、いままでのクリスチャンとしての信仰から考えると

予想もしない行動に私はしばらく呆然(ぼうぜん)とした期間が有り、

悩みの絶頂(ぜっちょう)にありました。

この事があってから弁護士(べんごし)や警察に相談しましたが、

借用書(しゃくようしょ)を取っておかなかった事を理由に

お金を取り返せなく、今日に至(いた)っています。

(基督教を信じる人にとっては全知全能の神が証人(しょうにん)なので

借用書を取る必要が無い事を言い忘れていました。)


俗(ぞく)っぽい慣習(かんしゅう)

今では西洋風な、いわば俗っぽい慣習も日本に入って来ました。

不倫、セクハラ、パワハラ・・など。

これらのものは戦前、以前の日本人は経験しなかったことだと云ってよいほど、

日本は道徳も治安(ちあん)も良かったのでした。

別に西欧や米国の文化を知らなくても

日本国民は立派(りっぱ)に生きてこられる堂々とした民族でした。

しかし今や西洋の文化が蔓延(まんえん)して日本古来の文化が失われるのではないかと

危惧(きぐ)するするくらい日本人は昔の文化を捨て去って来ました。


(休憩)

「太陽がいっぱい」をピアノ曲で聴いてください。

この曲は高2だった時、宇都宮に居た時に作新学院の学生が下宿先で

そのレコードを聞かせてくれたのが初めてで、

その後の映画も観、度々、聴いた思い出の曲です。

イタリヤやドイツは昔から友好国だったことが偲ばれて来ます。

【太陽がいっぱい ピアノ】#will_iams Plein Soleil /ニーノ・ロータ 1960年



けれど私は脈々(みゃくみゃく)と日本の伝統や文化は伝えられていると想うのです。

マスコミにはがっかりさせられることが多いですが、

政府自民党、書物もそれぞれ最近は有志(ゆうし)ある人材、

希望ある文面を見る機会が多くなり、

祖国日本を想う心根(こころね)のメリハリがついてきたと想います。

SNSは世代にも、媒体(ばいたい)にもよりますが、

おおむね反日(はんにち)は嫌われる傾向(けいこう)にあると感じます。

私は最近、仏教に目覚(めざ)めました。

またマインドフルネス、瞑想(めいそう)や

医学的には東洋医学の和漢薬にも興味が湧(わ)きました。


有難い日

常日頃なんでもないこと、普段(ふだん)見逃していること、

目立たない事の中に実は大事な事がいっぱいあるのに気が付きました。

そうたいしたことでは無いのです。

当たり前のことですが、ふむ、やはり気になった。

大気としての空気、水、風、光や土、生物としての植物、動物など

再確認する必要があると想ったのです。

このことは以前どこかに書いて置いたと想うのですが、

たとえば水、日本では国のどこにいってもただで飲めます。

しかし外国ではそうはいきません。

しかしながら水と云うものは自然界にいっぱいあるし本来無料、ただなのです。

空気、風、光もそうですが人間に絶対必要なものは

ただで提供(ていきょう)されていると云う事実です。

これら生きる為に必須(ひっす)なものは自由に皆さんに満たされています。

私達人間が幸せに生きる為に必要なものは大体、満たされているのがこの地球です。

果てしない宇宙の、この地球の、日本の地に、しかも人間に生まれたこと、

それは不思議と云う他(ほか)ありません。

釈尊(しゃくそん)はその目出度(めでた)さを、

【人身(じんしん)受け難(がた)し、今已(すで)に受く】と教えられたことは有名です。

人間の体の組織を分解して見ると、

たとえばその内、目、これがあるだけでどんな風(ふう)なのか色別できます。

またその構造を理解するだけで立派な眼科医になれます。

ただで親から受け継(つ)いでいます。

目、鼻、口、耳等・・・ ・・・

数え上げたら無数にあります。それぞれに感謝です。有難い存在です。

だから親を敬(うやま)うのは当たり前です。

親子喧嘩(おやこげんか)は出来なくなりますね。

お彼岸(ひがん)にはお墓に行こうと想うのは特別な感情では無いのが判(わか)ります。

私は何でもない事、普通の事の大事さに再度、気が付かされた思いです。

何も無かったと云う日は訃報(ふほう)が無かったと云う意味でも有難い日なのです。

植物や動物も同じ事です。桜は春に散って仕舞いましたが、

花にしても、どんなにか、自分に幸せの種を撒(ま)いてくれた事でしょう。

想い出になってこころに残ってくれています。犬や猫も同じですね。

(休憩)
私事(わたくしごと)で恐縮(きょうしゅく)ですが、
アルバイトの仕事や板前さんにお会いした時、
この演歌を残したい気持ちに駆(か)られました。
私の推薦(すいせん)したい曲は殆ど、昭和時代の曲です。
昔の曲なので笑われてしまうかもしれませんが。

月の法善寺横丁 藤島 桓夫



お金について

満たされていないのはお金です。このお金を得るために

私達は日夜奮闘(にちやふんとう)している訳(わけ)です。

この世で起こる、特に悲哀(ひあい)な物語はおおむねこのお金にまつわる話だと想います。


中国共産党員の金銭問題が浮上(ふじょう)していますが、

1000億円とか何兆円と云うお金を個人で持っている人がいるというのですから、

政治、政策を蔑(ないがし)ろにしたら国民は幸せになれません。

皆平等と云う筈(はず)なのに、国民の信用を裏切る様な、

一党独裁政治は長く続きはしないでしょう。

共産党と云うのは口で言う言葉と、行いが異なる嘘つきと云うレッテルが貼(は)られました。


事実は確かめようがありませんが、

「地球上のおよそ5%の富裕層(ふゆうそう)の人が持っているお金は、

後の95%の主に労働者階級の人の持つお金に匹敵(ひってき)する。」

ということを書いていた人がいました。

私はこの記事を見て自分がこの富裕層の人の中に入っているならば

・・・想像(そうぞう)を膨(ふく)らまして・・・

あくせく汗水たらし働いている人と自分を対比(たいひ)して見ました。

私は何とかこの不公平を糺(ただ)して、

不釣り合いな金銭問題を解決したい想いに駆られました。

どれだけ多くの人、95%の人は何とかして生活を良くしようと毎日、働いているのです。

どれだけの労苦(ろうく)がある事か、日々のニュースを観て見ると、

この金銭問題が原因な事は明白です。

中には飢餓(きが)で苦しんで今日とも明日とも云えない命があります。

だからこの富裕層の方々に質問し云ってやりたい、

「貴方の命はいったい誰のものですか?」、と。


お金と云うもの、この95%の社会を形成している人達の共通の信用、

信頼関係の下に運営されている手段(しゅだん)だと想います。

釈尊は偉大な指導者でしたが王様の子供でしたので金銭的に裕福(ゆうふく)だったためなのか、

金銭的に貧しい人の本当の姿に対しての教えは、

無残(むざん)にも精神的満足に終始(しゅうし)しています。

本当にお金が無くても幸せですか?

お金で買える幸せはいっぱいあります。

というよりもお金では買えない物の方が少ないでしょう。

お金では買えないもの、いや、いっぱいあって良いのです。

しかし「精神的なお金」と云うものがあったら、

その価値で可哀想(かわいそう)な人っていなくなるでしょうね。

生きる希望

お金を持っている人、裕福な人は精神的な何か別のものを持っていると私は想います。

それはお金を持っている人は持っていない人と違ってこころに余裕があるから判るのです。

「お金が無くても幸せは得られる。」と云う言葉は、

お金を有している人、お金持ちからしか聞いたことが有りません。

貧しい人はその言葉は欺瞞(ぎまん)だと云うでしょう。

早くこの不公平を是正(ぜせい)してくれる人が出てくれることを願ってやみません。


しかし私達には他の希望があります。

私達の子供や孫たちを観ていると其(そ)れが解ります。

彼等は今日を明日を未来をも望んで生きています。

登下校(とうげこう)のなにやら、わからぬ話し声を聞いて私はそれを彼らに見るのです。

彼等は“明るい”のです。しかも純真無垢(じゅんしんむく)です。

この明るい希望ある子供たちの明日を担(にな)っているのは私達大人です。

この日本を輝く未来にしてくれるのはこの子供達です。

子供達を元気に、そして生き生きさせてくれるものに感謝の念を持ちましょう!



最後に自衛隊の皆さんへ
 
お疲れ様です。今日も無事だった事、感謝です。
健康には留意ください。お元気に。

この軍歌は時間が有った時に聴いてください。

海の進軍




そうだその意気


ここからは広告の欄になります。明朗会計です。





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忙しい世の中! あなた、大丈夫?

2023年03月09日 20時33分06秒 | 日記
還暦を過ぎてしみじみ人生を考える事が多くなってきた。

若い時、コンピューターのオペレーターをしてた時が有った。

後にプログラミングなどに興味があったのでまずフローチャートを学んだ。

これは面白かった!


ものは上から下に流れて行く。

或る時には右にそして左に、或る時は三つの方向へすなわち、右に、中央に、左に。

或いは上下に進む時もあるだろう。

しかし、ものは何時(いつ)も前進するとばかり限らない。

勿論、元に戻る時もあるし、或る道までしか戻らない時もある。

縦横無尽に流れて行くことができるのがフローである。

フローチャートはそれを図示化したものである。


ではなぜ当たり前のことをわざわざ学ばなければいけないのか?

それは【速さ】が問題なのである。

電子の伝わる速さに関係するからである。

コンピューターの特徴のひとつに計算が速いことがある。

どの位速いのかが問題なのである。

今やパソコンを学ぶ上では必須だろう。

フローチャートの通りに1秒、1ミリの狂いもなく、

実直にコンピューターは動くからだ。





少し休憩しましょう。中島みゆきさんで【糸】をどうぞ!
糸/中島みゆき(歌詞付き)





昔、写真や動画が今の様に満ち溢れてなく、

記憶容量であるメモリーが高価だった頃、

それは、インターネットが未だ普及してなくネット回線が不通で、

電話回線を介して遣って居た頃、今からザ~と30~40年前、

想い出すがPC自体が高価でまだ一般の個人が

購入できなかった時代が有った。

一台、ナショナルのビジコンが当時のお金で、

1000万円以上もしていた頃が有った。

それから10年くらいしてからだと思うが、

ソード株式会社が8インチや5インチのフロッピーを

開発して今の様な小型のパソコンが出始める様になった。

当初は600万円位したパソコンであったが直ぐ、

300万円とか急激に安価になってきた。

でも、一般的には車の次に高価だった。

ましてやインターネットなどは出来なかったのである。

Windows95が出来てからだと想うけれど、

日本でも電話回線ではなくグラスファイバーで出来た回線、

ネット回線が普及してきた。

いまや24時間いつでも、可能であるが、

初めの頃は一か月に4時間位しか使えなかった事を思い出す。

それでも、インターネットは魅力に溢れていた。

見慣れない情報で満ちた世界であったからである。

メモリーの記憶媒体がK(キロ)=1000、M(メガ)=1,000,000、

G(ギガ)=1,000,000,000、T(テラ)=1,000,000,000,000と容量が

飛躍的に拡大してきた。

バイトとは情報量の単位で1バイト=1B=8bit=8ビット、

の事であると学んできたが最近は定義が難しくなって来たそうだ。

昔の人間だから1メガビット=1,000,000ビット=125KB=125キロバイト。

(125×8=1000)だからと教えて貰ったのだが。



兎に角、忙しい時代になって来た。

私達の周りは速い事が当たり前になって来ている。

新幹線は光、200キロ/時だったが、”のぞみ”になると300キロ/時、

リニアーモーターになると500キロ/時だそうだ。

何を言いたいのかと云うと

人はこの速さの為に一々、逐次、時間を取って、

ものを考える余裕がなくなって来ている、

と云う事である。



また、本や雑誌などに広告がいっぱいあって、

私達は日常的に広告に対しては飽和状態になって見飽きている。

1秒や2秒と云う時間に私達は非常に多くの情報量に晒(さら)される。

感覚的にその情報に対しては満ち足りているので記事などが

びっちり書いてある書物は読むのに抵抗が有る様になって来ています。

抵抗と云うよりも読む気が起きないと言ったほうがよいかもしれません。

だから一度で解る写真や時間的に動きのある動画が馴染みになって来ています。

人がものをじっくりと考えることがなくなって来ているのは確かな事です。

そのことは私達にとって良い事ばかりではありません。



どのくらい今日の私達が情報を受け取っているのか?

奈良や平安の昔と比べるとその当時の人たちが一年間で得る情報量を

私達は確か1日で消費するというのを聞いたことが有りました。

この様に時代が時間的に密になって来ているので、

その結果、私達は他人様の思いなどに気を配っている心の余裕が

なくなってしまったのです。

交通機関が発達するとそうなればなるほど

私達の身辺は多忙を極めるのは皮肉ですが、現在の実情ですね。



休憩しましょう。レーモン・ルフェーブルで【シバの女王】をどうぞ。
シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba  Raymond Lefevre





詩人の谷川俊太郎さんの詩、「急ぐ」ですが、次の様に
書かれています。



こんなに急いでいいのだろうか

田植えする人々の上を

時速二百キロで通りすぎ

私には彼らの手が見えない

心を思いやる暇がない

(だから手にも心にも形容詞がつかない)

この速度は速すぎて間が抜けている

苦しみも怒りも不公平も絶望も

すべて流れてゆく風景

こんなに急いでいいのだろうか

私の体は速達小包

私の心は消印された切手

しかもなお間にあわない

急いでも急いでも間にあわない



この詩で描かれている通り私達は周囲の人たちの

悲しみや喜びや苦しみ等を考えてあげるひまが無いのです。

【無関心】・・・現代人の特徴なのかもしれないのですが、

時代がその様になって来ている事を自覚したいものです。

こんなにも「速い事が良い事と歓迎される」と「間」が

なくなって急ぎすぎるとついには車と車との距離、

間が無くなり事故を起しやすくなります。



人と人の間もギスギスしてトラブル起こしやすくなりますし、

また一人一人はイライラしてくるのです。

この詩のように、

一生を多忙のうちに終わってしまうのは何と言っても

残念で惜しいものだと想いました。

だから、この【多忙のなせる技】から身を守り、

大切なこころを取り戻す必要があると想いました。

続く・・・。



コロナ過に 一喜一憂  時の声

鶯(うぐいす)や 若草萌える 城の址



皆さん達は青春の真っただ中にいる人が多いと想います。道がどんなものか解らなくてもいいのです。でも、この歌のように幼い頃の思い出を大切にして行ける人は幸せな人だと思います。
三田明 「美しい十代」( 歌詞入り)







最期に、私はこの國の将来を想う日本人の一人です。聖徳太子が大好きな人に教えて上げたい講座が有ります。
真面目な人が好きな人、志を持っている人に伝えたいです。
こういう講座がある事を。
興味がありましたらクリックしてください。⇒ https://realin.org/l/m/Bs3LeUF5EdFDj8



ご清聴ありがとう御座いました。




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古の日本から学ぶ(3)

2021年06月19日 10時25分54秒 | 日記
本日は十七条憲法の第十三条から最後の第十七条、最後までです。

例によって金治勇様の「聖徳太子のこころ」より引用します。


第十三条

十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、

前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。

病気や出張などで職務にいない場合もあろう。

しかし政務をとれるときにはなじんで、

前々より熟知していたかのようにしなさい。

前のことなどは自分は知らないといって、

公務を停滞させてはならない。



第十四条

十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。

自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。

嫉妬の憂いははてしない。

それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、

才能がまさっていると思えば嫉妬する。

それでは500年たっても賢者にあうことはできず、

1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。

聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。



第十五条

十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。

およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。

恨みがあれば、かならず不和が生じる。

不和になれば私心で公務をとることとなり、

結果としては公務の妨げをなす。

恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。

第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、

こういう心情からである。




休憩しましょう。

今から7年前、伊達氏六十二万石の城下町、仙台市の中心地を歩いていた時、偶然に、あの

土井晩翠先生の出身校と書かれた看板を見ました。

それで土井晩翠先生の作詞、荒城の月を思い出しました。

先生がこの仙台市出身とは夢にも思いませんでした。

同じようにこの曲は作曲者の滝廉太郎先生が1901年(明治三十四年)に発表した曲だ

ったとは考えてもいませんでした。

古く、平安、奈良以前の昔からある曲だと思っていました。

作詞といい作曲もですが、遠い、いにしえからの桜散る城址にお月様が

煌々としている情景が浮かびます。



李 香蘭さん、そしてタロー(?)さんの歌を聞き比べて見ましょう。
荒城の月 李 香蘭










荒城の月,  日本の歌 ,TaRO







第十三条から見ていきましょう。

公務に就くとは実に大変なことですね。

前任者と同じように職掌を熟知しているにはその道の専門家でなくてはならないでしょう。

私のように広く浅くと考える者ではなくその道のプロと成りなさいと言う事でしょうか。

そして前任者の事など知らないと言って公務を停滞させてはならないと教えています。

自分は考えを改めなくてはならないような気持ちになりました。





第十四条 嫉妬とはやきもちやねたみということでしょう。

嫉妬の憂いははてしない、とあります。

謙虚に、直く、嫉妬心を抱かないようにしましょう。

聖人・賢者と言われる方は孤独で孤高な精神の持ち主のように感じます。

悩みや苦しみも敏感に感じる方だと思います。

私は聖人・賢者とはいかないまでも優しい方にお会いしたら何かをして

上げたい気持ちになりました。

聖人・賢者と呼ばれる方をこの日本から多く輩出出来たら嬉しいですね。





第十五条では「私心をすてて公務にむかうのは臣たるものの道である。」と明言しています。

ここでは私心=利己心だと感じます。 

利己心を抱いていては相手は不愉快になり恨みが生じ、不和になりますね。

一方、人を恨む気持ちから制度や法律をやぶる者が出てくると有ります。

ですので私心が行きつく果ては公務の妨げとなる、と言うことですね。

自分だけの利益を考えないで相手の利益、その他の人の利益にもなる事を心がけましょう。

ひいてはそのことが国益になります。

国益になることは間接的ではありますが自分の利益となるのですから。
























第十六条

十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。

だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。

春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。

人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。

養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。





第十七条

十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。

かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、

かならずしもみんなで論議しなくてもよい。

ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。

そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

この最初の文言は名文です。次に示します。

【それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)う

べし】
















幼い頃からテレビで聴いていた曲に、この旅の夜風があります。

歌詞の意味など考えずにいました。花も嵐も 踏み越えて~

旋律もいいですね。

月の比叡を独り行く・・・この言葉はなかなか浮かびません。

では旅の夜風をどうぞ。

旅の夜風









第十六条では人民を使役させるのは冬が良いと書かれています。

人民の忙しい農繁期には使役させないと言う配慮ですね。


このことに付随して私は福利厚生と言うことを考えました。

私の青年時代には職と言えばアルバイトやパートを除く社員は正社員が当然でした。

今の派遣というものはありませんでした。

会社には寮があり、大きな会社には家族寮があった事や保養所が箱根などにあった事など、

それはごく普通の日常の事でした。

バブル崩壊後、徐々に保養所や寮が無くなって来てしまったように感じます。

現在では寮のある会社や保養所のある会社は稀になっています。

いまの若い人達はその意味では不幸せなのかもしれません。

流石に50代になりますと正社員の道は縁遠く感じます。が、

是非、近い将来再チャレンジ可能な社会になる様に期待しています。

最近は福利厚生が充実した会社も見受けられるようになりました。嬉しい事です。




第十七条では重要な事柄は自分一人で決めるなと教えています。

国事行為ですから当然と言えばそうですが、個人的にも意味のある条文です。

私はこの文面を知っていたなら大きな間違いはしなかったに違い有りません。

昔は重要なことも自分一人で決心し行動してきました。

それが大きな失敗として今も心に残っています。

皆さんはこの第十七条の条文を思い出して複数の人と話し合って事を決めましょう。

検討して決めれば道理にかなう結論を得られるでしょう。

この事は重要な事です!!

最後になりますが。

私は日本人であり日本に住んでいる者です。

正直にこういう事はこうあって欲しいという願望があります。

それは日本が好きだからです。もっと良くなって欲しいからです。

決して欠点を暴こうなどと言う事ではありません。

でも、読み返してみて心苦しく思えた所などありましたら訂正させて頂きます。

私は今まで十七条憲法の存在は知っていましたが読んだのは初めての経験でした。

よくぞここまで記述して下さいました。

私は日本人にこのような方がおられた事を誇りに思います。

ありがとうございます。



以下「気高く、強く、美しくあれ」より抜粋

高い位の者、人の上に立つ者には、他の者よりも大きな責任があることを教えています。

日本人は、人の上に立つ者の責任を重視し、ノーブレスオブリージェ(高貴なる者の義務)

と西洋の人々が叫ぶ価値観を、彼らに言われるまでもなくはるか昔に国家の基盤の憲法に

入れてしっかりと実現しようとした人々なのである。

 現在の世の中にも立派に通ずる真理を含み、また、人々が和み、

どの人をも教え導いていくことの重要さを説き、

上に立つ者の責任を重視した秀れた憲法を1400年以上も前から持っていた日本を、

私達は心底誇りにしてよいのである。





参考資料

金治勇   「聖徳太子のこころ」   大蔵出版 1986年

櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館  2006年




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古の日本から学ぶ(2)

2020年12月25日 17時38分41秒 | 日記

本日は十七条憲法の第七条から第十二条について書いていきます。

例によって金治勇様の「聖徳太子のこころ」から引用します。



第七条

七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、

権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。

よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。

世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、

よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、

適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、

賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。

これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。

だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、

人のために官職をもうけたりはしなかった。



第八条

八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。

公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。

したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、

はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。



第九条

九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。

事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。

官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。

群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。









我が住む街の近くの「白鳥の里」より




























第七条から見ていきましょう。人にはそれぞれの任務があり、権限の乱用を戒めています。

私は「責任のある対応」と言う事を思いました。

昔の日本人は今日と違ってもっと物事に真剣であり教育的であり、祖国を思う心根が強かった

ように思います。

いつからこのような無責任な世の中というものが目立つようになってしまったのでしょう。

しかし、こう思うのは私の偏見でしょうか?

無料の相談所などは話は良く聞いてくれるのですが、ではどうしたらいいのか?

はっきり言って貰えない事も多かった。

ですから、有料で弁護士に相談せざるを得ないこともありました。

この話は私が無料の「困り事相談」に行った時の事です。

官吏と言っているのは厳密には今日の国家公務員の事だと辞書に載っていますが、私は現在

の地方公務員等の職員にまで広義に解釈しても良いと考えましたのでそうします。

もっとその任務に対して責任ある行動をとって頂きたいと考えます。(但し自分の健康には

留意して下さい。)



第八条 公務員の方々は朝早くから遅くまでお疲れ様です。その頑張りが、

ひいては国民の幸福の源泉になると信じます。どうぞ頑張って下さい。

(但しくれぐれも健康が第一です。)



第九条 真心の重要性が書いてあります。人の道の根本は真心だったのですね。
     







休憩しましょう。この映画のポスターは朧気ながら覚えがあります。しかし、

この曲の旋律は聴いた事はなかったと思います。

先達はこのようなタイトルや絵の中に素朴で郷愁を誘う、日本の美を旋律に残して下さいました。

カルメン故郷に帰る(そばの花咲く)






第十条

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、

ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。

人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。

相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、

自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。

自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。

皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、

だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。

それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、

むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。

自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。




第十一条

十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。

近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。

指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、

賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。



第十二条

十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。

国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。

国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。

役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。

どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。








第十条は「思いやりの心を持って人に接する」と言う事でしょうか。

そして、「自分はこれだと思っても、最後にはみんなの意見に従って行動しなさい。」と

ここでも「人の和」を尊重しています。



第十一条では適正な賞罰をおこなうことを定めています。褒賞の厳正さを挙げています。

私個人は褒章と言う物には無縁の存在ですので、ここでは一般の賞状について触れます。

賞状など本日では功績等をコンピューターのプリンターで印刷した物が一般的になってしま

っていますが、賞状そのものが与える方も受け取る方も稀薄になってしまっている感があり

ます。
        
これで思い出すのですが昔の卒業式や入学式の厳粛さを。

世界に誇って良い程のものであったことを。
やはり、この点でも昔に学ぶべきこと大だと思います。



休憩しましょう。
敗戦で故国にかえる舟の中でこの曲が流れたのだそうです。
かえり船 田端義夫.








第十二条 現在では国民から私的な税金を徴収される事はほとんどないでしょう。

ただ気になるのは私たちの税金の使い道です。

ちょっと脇道にそれますがこの税金について思うことがあります。

ある会社では職員が労働時間中に仕事とはいえ、将棋、囲碁、カラオケ等をしながら収入

を得ている会社もあります。

もし、その収入の大半が税金だったら?  いい気持ちはしないですよね。

世の中様々ですが、もし、ある人が何らかの原因で病気したとします。

薬を飲んでいても、社会復帰できる状態にあるのなら、

国はなんらかのセーフティネットを張ってその人の未来を希望のあるものとして

頂きたく思います。特に40、50代はお金がかかる時代です。

この時代を職が無く暮らすのは如何なものかと?

しかも男性だったら?

(勿論、懲罰の適用の無い方です。)


50代になると一般の正社員になるには年齢的に難しいのでアルバイトも考えるでしょう

が、その労働条件や待遇を考えると、どうしてもなにか腑に落ちないものを感じます。

しかし、こういう現状におかれた人物は数少ないでしょう。

運が悪いといえばそうなのですが。
     
しかし、なにかこの現状を打開する政策はないのでしょうか?

人生に生き甲斐や働き甲斐を求めるのは行き過ぎでしょうか?

勿論、人生の目的はお金ではありませんが、お金のない人生もまた悲惨だと感じます。

お金を稼ぐ働き口まで閉ざされてはどうしたらよいのか?

定職に9年も10年もつけないとしたら?

もしあなただったら?  どう思いますか?

40代の方でさえ希望する職につけないと臆する現状を?

でも、もし本人に問題があるのなら、気遣ってあげましょう。教えてあげましょう。

本人が悪い場合もあるのですから。

しかし、本人に問題がないなら、私はこう言う時の為に税金の一部を使うべきだと

思います。

労働力が需要としてあるのですから何らかの仕事を国で与えてさえいれば就職で困ることは

無いと思うのです。(この雇用の求人は当然民間ではなく公務員しか考えられません。)

たとえその労働期間が短かろうがその間に民間に再就職できるシステムが出来ていれば随分

と生き甲斐のあるものになると考えるのであります。

人生の途中で病気やけがで再チャレンジの必要な人に、

公平なチャンスを与え得る社会の実現に期待する事多しです。




これに付随しまして、「再チャレンジ可能な社会」について

以下、安倍前総理の「再チャレンジ可能な社会」ついてより抜粋



わたしたちが進めている改革は、頑張った人、汗を流した人、

一生懸命知恵を出した人が報われる社会をつくることである。

そのためには公平公正、フェアーな競争が行われるように

担保しなければならない。

競争の結果、ときには勝つこともあれば負けることもあるが、

それを負け組、勝ち組として固定化、あるいは階級化してはならない。

誰もが意欲さえあれば、何度でもチャレンジできる社会である。

そういう「再チャレンジ可能な社会」には、

人生の各段階で多様な選択肢が用意されていなければならない、

再チャレンジを可能にする柔軟で多様な社会の仕組みを構築する必要がある。

たとえば、十八歳のとき受験に失敗した人が、

二十七歳のとき、もう一度勉強して人生を変えたいと思い立てば、

働きながら大学や大学院で、社会で役に立つ実践的な講座を受講することができる。

そしてそれは社会から評価され、キャリアアップにもつながる、

そういう社会をつくっていくのである。


 一回の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、

暮らし方が複線化された社会に変えていきたいと思う。

私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。

そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。

この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。

日本人であることを卑下するより、誇りに思い、

未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。

日本の欠点を語ることに生き甲斐を求めるのではなく、

日本の明日のために何をすべきかを語り合おうではないか?

(「美しい国へ」より)



病棟の 朝の光や 雪柳


枯れ葦の 漣寄する 夕陽かな



休憩① 
昭和の頃、小学6年生の頃、グループサウンズが流行りだしました。
ブルー・シャトウ



休憩②
秋に卒業式をする方へのプレゼント
【仰げば尊し】




参考資料 及び出典

 安倍晋三  「美しい国へ」      文春新書 2006年

 金治勇   「聖徳太子のこころ」   大蔵出版 1986年

 櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館  2006年


 


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古の日本から学ぶ(1)

2020年05月06日 21時46分31秒 | 日記

私は古の日本を学びたいと思いました。そして何年か前の本から気になった箇所


や記憶をもとに聖徳太子の教えや五箇条の御誓文、教育勅語など戦後生まれの私


が未だ学んでなかったことを調べてみたいと思いました。


 


一に曰く、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。


で始まる有名な「十七条憲法」を読むと、現地球上の多くの国家が未だに達して得て


いない価値観があの古代日本に既にあったと先達は教えています。


 また、現行憲法は、敗戦により、それ以前に日本人が持っていた悠久の歴史や日


本人の心のありようが消し去られている事や日本国は日本人のものであり、日本国


憲法は、日本人の原点、日本の真髄が反映されたものでなくてはならないとの観点


から歴史の振り返りが必要であることをも教えられました。 その作業の第一歩は


「十七条憲法」であるとの事でした。


私はひとりの日本人として聖徳太子 がどういう志を持っていた人物なのか?


知りたいと思いました。


 このような理由から以後三回は聖徳太子の十七条憲法の現代語訳を載せたいと考


えました。


さいわい、先達はこの条文を現代語訳にしてまで準備して下さいましたので、これを


引用させて頂きます。


 以下の聖徳太子の「十七条憲法」の現代訳は金治勇様の「聖徳太子のこころ」   



大蔵出版 1986年を出典としています。


十七条憲法(聖徳太子)・・・現代語訳


第一条


一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。


人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親


のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も


下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの


道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。


 第二条


二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。三つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。


それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範


である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。


人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、


それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。



 第三条


三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。


君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。


かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をお


おうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がい


うことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに


王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたが


わなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。



少し休憩してください。十七才は一度だけ 高田美和 Takada Miwa




第一条から見ていきましょう。何よりも人の和が大事だと諭しています。


戦後の教育を受けた私は、昔の映画や本を読むと祖父母、親や子供のあり方と


言うのか生き方が違うことに気がつきます。


先祖の列と言いましょうか、祖父母があって親がいる、そして子供がいる。


当たり前のことですが、自分の親がいなかったら自分はこの世に産まれてこなかっ


たのです。昔の人は親に逆らうことなどもってのほかだと自制していました。


家の長は祖父母でした。次に父母。ですから、大事なことは祖父母や父母が相談し


て決めていました。そしてその決断の責任は祖父、すなわちおじいさんにありました。


ですから、おじいさんの責任は大きかったのです。祖父無き後は父がその責任


を受け継いだものと考えます。


また、同じ年の男女の間にも責任の重さの違いによって男が上下の上にきたものです。



こうした、先祖の列=祖父母から父母、子供そして孫と言う上から下への列と、


一方男女の列があったように思われます。こうした家族の責任の重さで家族の上下


関係が保たれていたように感じます。つまり縦の列が秩序を保っていました。


横の関係が世間であり社会であったと推測されます。何をするにも、おじいさんが長


老であり次が父親であった。


このような家族が我々の先祖ではなかったではないでしょうか?


その長老が集まって協議し村や町を形成していたと考えます。


ですので、昔から、何よりも人の和が大事だったのではないでしょうか?


「上和らぎ、下睦びて、論うにかなうときは、事理おのずから通ず。何事か成らざら


ん。」


治世をする側もされる側も、上下の隔てなく、物事について論じ合えば、必ず現実の


問題は理想や真理に重なる形で解決されていく、達成出来ないことはないのだと説


いています。日本列島に住む先人たちが、遙か昔の大和朝廷の時代から、和を大


切にし、上下を隔てることなく、皆が一致してこころを合わせて行く大切さを強調し


て、国民への配慮を国家の柱と位置づけているのです。


 


第二条では三宝(仏、その教え、僧侶)を敬えと諭しています。昔の人は学問をした


い人は自ら僧侶になって地域住民に寄与貢献したことは周知の事実です。


 


第三条では王の命令に従うことを諭しています。王は君主であり絶えず国民の為


に政治の中枢にあった方ですから、その命令に従わなければ国家の和は乱れ立ち


ゆかなくなるでしょう。




 


休憩しましょう。


私は昭和の生まれで、知っている曲も古いのですが、この曲の詩ははかなく悲しく思


われます。何故にメロディは美しく感ぜられるのでしょう?


この世の花_島倉千代子


 



 


 


第四条


四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさ


める基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、


下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、


群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼


があれば国全体として自然におさまるものだ。


第五条


五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶


民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。この


ごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わい


ろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中にな


げこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむよう


なもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわ


からずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。


 第六条


六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで


人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、


国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。また


こびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者


の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対


する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。


 



少し休みましょう。姿勢を正して、ひと呼吸しましょう。
三橋美智也さんで古城です。
古城/三橋美智也




第四条では礼の精神を根本に持ちなさいと諭しています。


国を治める根本は礼にある。


礼儀正しい世の中は美しいです。


 


第五条では公平な裁きをしなさいと諭しています。正しければ貧乏な人の訴えでさえ


聞き入れられる裁判でなくてはなりません。


 


第六条 この心得は国を守るべき人に課せられた義務だと思います。


 


 


私は日本の名曲のひとつがこの「すみだ川」だと思います。
島倉さんと今は故人、東海林太郎さんのこの曲を聴いて下さい。


すみだ川/東海林太郎・島倉千代子


 


参考資料 及び出典


 安倍晋三  「美しい国へ」       文春新書 2006年


 金治勇   「聖徳太子のこころ」   大蔵出版 1986年


 櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館 2006年


 


 このタイトルのブログを書こうと思った経緯は安倍晋三様、櫻井よしこ様の書かれ


た本にとても感銘しましたので、ひとりの日本人として後世にその意志の一粒でも伝


えたい願望からです。


 尚、健やかに、直く、朗らかに生きたいことがブログの主旨ですが、私は、今、この


日本で生まれ育った事が何か有り難い気持ちがしてならないのです。ですので先達


の志を受け継ぎたい趣旨から「気高く、強く、美しく」を引用させて頂いたことも明記し


て置きます。


 


 


 


 


 


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