この日記は私が幼い頃、とある基督(キリスト)教の団体に所属していた時、その生活や境遇(きょうぐう)を基にその後の心情を描いたものです。めまぐるしく変わる精神状態、気持ちの動揺の中で掴(つか)んだ信仰をどう生かすかが常に問われていました。幼少の頃や少年時代の心に芽生えたものや情熱は明るく朗らかなものでした。が、
伝道者の家族
早いもので今年も9月の中旬、今日は敬老の日です。
今やchatGPTに人気が有るのは解っていますが、
不慣れな自分は活用方法を知らないのでそのままを入力してしまうきらいがあります。
随筆(ずいひつ)なので思うがままに書いてみたいと想います。
私は昭和28年の生まれです。
6、7歳の頃、私はとある基督(キリスト)教の伝道者の家族と一緒に育ちました。
アメリカ人が殆(ほとん)どでいっぱいいたと記憶しています。
5,6世帯の米国人の家族、支那(しな)人の家族が1、2、
他5、6世帯程の日本人の家族だったのではと想うのです。
宗教は基督教。信者はクリスチャンと呼ばれています。
米国のクリスチャンが日本に伝道(でんどう)に来た目的は
イエス・キリストによる布教(ふきょう)により,
日本国民を謂わば三悪道=飢餓道(きがどう)、
畜生(ちくしょう)道、地獄(じごく)道から救うためであった、と。
伝道者の生活
伝道者の生活は国民の模範(もはん)に
ならなければならなかったので質実剛健(しちじつごうけん)、
信仰心を養うために各自、切磋琢磨(せっさたくま)していたのです。
昭和20年代、後半に私が生まれました。
布教は國全体に広がりを見せていたと想うのですが、
日本国民は國の宗教として認める人は殆どいませんでした。
布教で信者になった人々へは聖書に基づく基督の愛の実践(じっせん)がなされた。
やがて戦後の混乱(こんらん)期が落ち着き高度成長期に差し掛かるのですが、
30年代、日本国民は未(ま)だ貧困な生活環境(せいかつかんきょう)の中にいました。
米国の婦人達は信者になったばかりの人に心からの愛情を持って接(せっ)してくれた。
その中に自分もいました。
米国民の家庭生活は一様に日本国民のそれよりも恵まれていたと思います。
しかし、一転して伝道は朝早くから遅くまで、厳(きび)しい規律(きりつ)、
戒律(かいりつ)の中におかれた。
日曜日の食後の集会には讃美歌(さんびか)と
聖書(せいしょ)の朗読(ろうどく)があり御説教(おせっきょう)があった。
子供心(こどもごころ)
私は聖書に精通(せいつう)しようと基礎(きそ)から学んだ。
子供心にも、日本を打ち破(やぶ)った西欧や米国に負けない様に、
しっかりと勉強して見返してやりたいと思うこころが有りました。
高校卒業後も密接な交際がありクリスチャンとして生きる事に何の躊躇(ためら)いもなかった。
私は40歳になった時に、二人の米国人から洗礼(せんれい)を受けた。
基督を信じる信仰心も段々に強くなっていった。·
そう、40歳の前般まで私は基督教一辺倒(きりすときょういっぺんとう)であった。
或(あ)る事件
或る事件があるまでは聖書を拠(よ)り所として生活していて何の不自由も不満も無かった。
その頃は日本のことは殆ど知らなかった。
何故、日本が真珠湾(しんじゅわん)を攻撃(こうげき)して
大東亜戦争を起こしたのか解らなかったし、
その原因を支那(しな)の盧溝橋(ろきょうきょう)事件まで
遡(さかのぼ)って考えなければならない事などまったく無知(むち)でした。
1941年12月8日に日本はアメリカ、イギリス、
オランダに宣戦布告(せんせんふこく)し戦いは始まったが、
当時、支那の蒋介石(しょうかいせき)、イギリスのウィンストン・チャーチル、
ロシアのヨシフ・スターリンも
アメリカのフランクリン・ルーズベルトと懇意(こんい)な関係であった。
彼等は米国が早く日本と交戦してくれるのを待ちわびていたと記(しる)されていました。
しかも米大統領であるルーズベルトは日本に戦いを挑(いど)むことに
賛同(さんどう)していた人物であることも解(わか)って来ました。
当時を偲(しの)び、私は靖国(やすくに)に眠る英霊たちのこと、
あの敵艦(てきかん)めがけ、爆弾抱(ばくだんかか)えて突撃(とつげき)した姿、
その光景(こうけい)、情景(じょうけい)を思い描きますと
涙がこぼれ落ちてくるのをどうしょうもありません。
(休憩)
昔の日本を思い出します。こういう平和な旋律(せんりつ)の歌は
日本の曲以外では見つけるのは難(むずか)しいでしょう。
高原の旅愁 伊藤久男
この歌は映画になっています。
高原の旅愁
全財産
同じ基督信者のなか、比較的に、生活に困っていた人達がいたので
その人たちを助けてあげたいと云う気持ちで、
持っていた私個人の全財産をこの団体に預けてしまったことがありました。
その時から3年後に会社を辞(や)めなくてはならなくなりました。
その当時、鹿島プラント工業に努めていましたが
業績不振(ぎょうせきふしん)と云う事で
関連会社に出向(しゅっこう)を余儀(よぎ)なくされました。
出向先には鹿島技術サービスと鹿島典礼の二つありました。
出向元にて私は鹿島典礼ではなく、鹿島技術サービスへの出向を命じられていました。
ですから仏教で御葬式をする鹿島典礼の仕事は本当ならばしなくても済(す)むはずの事でした。
しかしいざ出向先に転勤になったら、話は異(こと)なり、
仏教での御葬式も手伝うことを指示(しじ)されたのでした。
私は悩みましたがお金を稼ぐと云う事はこう云う事なのだ、としばし思案(しあん)しました。
鹿島技術サービスでの仕事のかたわら、鹿島典礼と云う仏教で御葬式をする会社でも働きました。
何ケ月かを経(へ)て、御葬式の内容を知るにしたがって上司(じょうし)から頼まれた事、
指示されたことがありました。
具体的にあの時、何と言われたのかはっきり覚えていませんが、
基督信者として信仰上とてもできないことなのは明白でした。
基督信者の誇り、矜持(きょうじ)を私も持っていましたので、
「仏教の教えには相手の気持ちを考えてやるという
こころの余裕(よゆう)は無いのだ。」と、想っていました。
それは私が上司に向かって、
「僕は○○次長の指示に従うよりも全知全能の神、その教えに
順(したが)わなければならないのです。」
と云(い)ってしまったのでした。
この事は聖書を本当に正しい書物だと信じている
クリスチャンにとっては至極(しごく)、当たり前の事で、
特に異常(いじょう)な事でもなんでもないことでしたが、聖書を読んだことはなく、
日本の風土に育って来た日本人、しかも会社の上司でしたから心に抱(いだ)いた
不愉快(ふゆかい)な気持ちを隠(かく)し切れなかったのでしょう。
彼は驚(おどろ)いて顔を赤くして「上司の指示に順えないのなら、
一週間の内に3日間だけ会社に出てくれば良い。
後は来なくていい。」と云われてしまいました。
基督を信じるようになると人間関係の付き合いは、ことのほか難しくなります。
それは当たり前の事でした。
聖書の内容など一度も読んだ事の無い人間が
どうして全知全能(ぜんちぜんのう)の神を信じることが出来るでしょう?
日本人にとってはその95%(パーセント)の方々は知らないのが普通でした。
全知全能の神ってどういう神ですか?
それは日本人だったら当たり前の疑問で知らなくて良い事だったのです。
一番恐れていた事
信者だった時、一番恐れていた事それは、
「日本人の95%は永遠の地獄に行く。」と本当に信じていた事です。
僭越(せんえつ)ながら聖書の中に次の言葉(ヨハネ伝3章16節)があります。
皆さんはこれをどのように解釈しますか?
「神はその独(ひと)り子を賜(たまわ)ったほどにこの世を愛された。
それは御子(みこ)を信ずる者が一人も滅びず永遠の命を得るためである。」
私はこの様に受け止めていました。
「神を信じない者は皆地獄に行ってしまう」「それも永遠に!」
国民ひとりひとりが皆、それも日本国民の95%の人は永遠の地獄に行ってしまう。
こう思うと日常が暗くなってしまい、やるせない日々が毎日毎日続いたのです。
私はかつて、地獄の苦しみを実感した時があります。
時間にしてたったの2秒くらいだったと想います。
私は「地獄の苦しみから救わなければならない。」
それができるのはクリスチャンしかいないのだ。何度もこころに刻(きざ)みました
無間地獄(むけんじごく)というものの苦しみがあるならば、きっとこのようなものなんだろう。
と過ぎ去った昔を想います。
これらのことは聖書を真面目(まじめ)に取り組んだ人は皆、思う事では無いでしょうか?
クリスチャンは世の光である・・・当たり前に想っていた事でした。
ここまで昔と今では考えが異なっていたことに気が付くのです。
西洋の基督信者が真の日本人に遭(あ)い日本の歴史、
や伝統、文化を知るのは何と稀(まれ)な事で難しいことでしょう。
また日本人が西洋の文化を理解するのには、
聖書を理解していないと本当には出来ないと想います。
そのくらい聖書は独自性(どくじせい)のある書物で、
何世紀にも渡(わた)って西洋人のこころを虜(とりこ)にして来たのでした。
聖書の解釈(かいしゃく)について
聖書をどのように解釈すべきか?
様々(さまざま)な解釈があるでしょう。
沈黙
私は40年位だったけれど伝道の度(たび)に想ったのは、
私の想いに声をかけてくれない“全知全能者の沈黙(ちんもく)”が
とても虚(むな)しく感じました。
今では新約聖書はナザレのイエスが亡(な)くなっておよそ100年後にできたものと知って、
自分の半生(はんせい)をしみじみ振り返りました。
色々な思いが頭をよぎります。
・・・ ・・・ ・・・ 列車の中で見ず知らずの親御(おやご)さんに声をかけ、
パンフレットを渡し、「これは本当の神様の言葉です。家に帰ったら読んでください。」
私は恥ずかしさは、とうの昔に、忘れ、
その親子を地獄から救えるのはこの書物だけだと心から思って渡していたのでした。・・・ ・・・ ・・・
伝道は鎌倉(かまくら)市、船橋(ふなばし)市、
鎌ヶ谷(かまがや)市、成田市、水戸市・・・関東だけでなく、
新潟市や佐渡島(さどがしま)にも行った事、
伝道は正直、辛(つら)かった、精神的にも肉体的にも。
・・・ ・・・ ・・・
それらは一体、何のためだったのか?
真実の言葉であったのなら“意味”があった。
でも、それが、ある国のように捏造(ねつぞう)したものや、されたものだとしたら?
私は彼ら、この団体がとったこの一連の行動を鑑(かんが)み、
静かに聖書から身を引(ひ)いたのでした。
基督教を辞(や)めたのでした。
自然と伝道からも遠ざかっていました。
〝和”の文化
聖徳太子(しょうとくたいし)の十七条憲法を読んだことのない日本人でも、
日本に住んでいるだけで、その国民は“和”という文化を肌(はだ)で感じることが出来ます。
習慣や環境(かんきょう)に人間は左右(さゆう)されがちです。
当時はこのように上司(じょうし)に話をして彼の怒(いか)りを買ってしまいました。
その後を考えると、謝(あやま)り、会社に残っていた方がどんなにか幸せだったと想いました。
会社を辞める決断をした時に、最後まで私の将来を考えてくれた、
〇野取締役には申し訳なく想っています。
(「後悔先(こうかいさき)に立たず」・・・無念(むねん)。)
別れの、あの喫茶店(きっさてん)でコーヒーを注文しました、
〇野取締役は将来を案(あん)じてくださって、
辞表を取りやめる事を必死になってかばってくださいました。
そのこと、一生忘れません。
私は週に3回だけ出勤して、一ケ月の給金(きゅうきん)を貰(もら)うことに耐(たえ)られず、
二ケ月目の最初の日に辞表(じひょう)を出して会社を辞めてしまったのでした。
(九年間在職していました。後一年以上、勤務したら円満退職(えんまんたいしょく)で、
壱千万円以上の退職金が貰えることになっていました。)
私は会社を辞めて仕舞(しまい)、丸、一年間必至で正社員の仕事を探しましたが
徒労(とろう)に終わって仕舞いました。
音信不通(おんしんふつう)
事件と云うのは、
仕事が無かったので金銭に事欠(ことか)くようになり預けた全財産のお金の中から
500万円だけ返金してくれる様に手紙を出しました。
数日後「お金は使って仕舞いありません。」の返事を最後に,
音信不通にされてしまった事、そのことなのです。
電話は途中(とちゅう)で切られ、手紙の返事は無く、
メールも遅くしか来ませんでしたから役に立ちませんでした。
それからが毎日、大変な日々が続いたのです。
一文無(いちもんな)しの生活は3日ほどで食べるものもなくなってしまったのです。
その後、どうやって生き延(の)びてこられたのか自分でも不思議に想います。が、
皮肉(ひにく)にも病気になって、障害年金を受けていた事が救いに繋(つな)がったのです。
全財産を失う事は恐(おそ)ろしいことです。
人生の分岐点(ぶんきてん)がいっぱいで
何処(どこ)を行ったらよいのか解(わか)らなくなるからです。
彼等(かれら)からの援助(えんじょ)は全くありませんでした。
お金を預ける時に有限会社3つ作って、出来上がった会社の利益の一部を
月々返済してくれれば良いと云う条件で貸(か)したのでしたが。
先方(せんぽう)ではお金は寄付(きふ)されたもの、
貰ったものとして処理(しょり)したようですが、
私は一介(いっかい)のサラリーマンでしたから寄付をするような身分(みぶん)ではなかった。
その時は頭が真っ白になり解らなかったのですが、彼らは無断でお金を使ったのでした。
持ち主に何の話もなくお金を使う行為など、いままでのクリスチャンとしての信仰から考えると
予想もしない行動に私はしばらく呆然(ぼうぜん)とした期間が有り、
悩みの絶頂(ぜっちょう)にありました。
この事があってから弁護士(べんごし)や警察に相談しましたが、
借用書(しゃくようしょ)を取っておかなかった事を理由に
お金を取り返せなく、今日に至(いた)っています。
(基督教を信じる人にとっては全知全能の神が証人(しょうにん)なので
借用書を取る必要が無い事を言い忘れていました。)
俗(ぞく)っぽい慣習(かんしゅう)
今では西洋風な、いわば俗っぽい慣習も日本に入って来ました。
不倫、セクハラ、パワハラ・・など。
これらのものは戦前、以前の日本人は経験しなかったことだと云ってよいほど、
日本は道徳も治安(ちあん)も良かったのでした。
別に西欧や米国の文化を知らなくても
日本国民は立派(りっぱ)に生きてこられる堂々とした民族でした。
しかし今や西洋の文化が蔓延(まんえん)して日本古来の文化が失われるのではないかと
危惧(きぐ)するするくらい日本人は昔の文化を捨て去って来ました。
(休憩)
「太陽がいっぱい」をピアノ曲で聴いてください。
この曲は高2だった時、宇都宮に居た時に作新学院の学生が下宿先で
そのレコードを聞かせてくれたのが初めてで、
その後の映画も観、度々、聴いた思い出の曲です。
イタリヤやドイツは昔から友好国だったことが偲ばれて来ます。
【太陽がいっぱい ピアノ】#will_iams Plein Soleil /ニーノ・ロータ 1960年
けれど私は脈々(みゃくみゃく)と日本の伝統や文化は伝えられていると想うのです。
マスコミにはがっかりさせられることが多いですが、
政府自民党、書物もそれぞれ最近は有志(ゆうし)ある人材、
希望ある文面を見る機会が多くなり、
祖国日本を想う心根(こころね)のメリハリがついてきたと想います。
SNSは世代にも、媒体(ばいたい)にもよりますが、
おおむね反日(はんにち)は嫌われる傾向(けいこう)にあると感じます。
私は最近、仏教に目覚(めざ)めました。
またマインドフルネス、瞑想(めいそう)や
医学的には東洋医学の和漢薬にも興味が湧(わ)きました。
有難い日
常日頃なんでもないこと、普段(ふだん)見逃していること、
目立たない事の中に実は大事な事がいっぱいあるのに気が付きました。
そうたいしたことでは無いのです。
当たり前のことですが、ふむ、やはり気になった。
大気としての空気、水、風、光や土、生物としての植物、動物など
再確認する必要があると想ったのです。
このことは以前どこかに書いて置いたと想うのですが、
たとえば水、日本では国のどこにいってもただで飲めます。
しかし外国ではそうはいきません。
しかしながら水と云うものは自然界にいっぱいあるし本来無料、ただなのです。
空気、風、光もそうですが人間に絶対必要なものは
ただで提供(ていきょう)されていると云う事実です。
これら生きる為に必須(ひっす)なものは自由に皆さんに満たされています。
私達人間が幸せに生きる為に必要なものは大体、満たされているのがこの地球です。
果てしない宇宙の、この地球の、日本の地に、しかも人間に生まれたこと、
それは不思議と云う他(ほか)ありません。
釈尊(しゃくそん)はその目出度(めでた)さを、
【人身(じんしん)受け難(がた)し、今已(すで)に受く】と教えられたことは有名です。
人間の体の組織を分解して見ると、
たとえばその内、目、これがあるだけでどんな風(ふう)なのか色別できます。
またその構造を理解するだけで立派な眼科医になれます。
ただで親から受け継(つ)いでいます。
目、鼻、口、耳等・・・ ・・・
数え上げたら無数にあります。それぞれに感謝です。有難い存在です。
だから親を敬(うやま)うのは当たり前です。
親子喧嘩(おやこげんか)は出来なくなりますね。
お彼岸(ひがん)にはお墓に行こうと想うのは特別な感情では無いのが判(わか)ります。
私は何でもない事、普通の事の大事さに再度、気が付かされた思いです。
何も無かったと云う日は訃報(ふほう)が無かったと云う意味でも有難い日なのです。
植物や動物も同じ事です。桜は春に散って仕舞いましたが、
花にしても、どんなにか、自分に幸せの種を撒(ま)いてくれた事でしょう。
想い出になってこころに残ってくれています。犬や猫も同じですね。
(休憩)
私事(わたくしごと)で恐縮(きょうしゅく)ですが、
アルバイトの仕事や板前さんにお会いした時、
この演歌を残したい気持ちに駆(か)られました。
私の推薦(すいせん)したい曲は殆ど、昭和時代の曲です。
昔の曲なので笑われてしまうかもしれませんが。
月の法善寺横丁 藤島 桓夫
お金について
満たされていないのはお金です。このお金を得るために
私達は日夜奮闘(にちやふんとう)している訳(わけ)です。
この世で起こる、特に悲哀(ひあい)な物語はおおむねこのお金にまつわる話だと想います。
中国共産党員の金銭問題が浮上(ふじょう)していますが、
1000億円とか何兆円と云うお金を個人で持っている人がいるというのですから、
政治、政策を蔑(ないがし)ろにしたら国民は幸せになれません。
皆平等と云う筈(はず)なのに、国民の信用を裏切る様な、
一党独裁政治は長く続きはしないでしょう。
共産党と云うのは口で言う言葉と、行いが異なる嘘つきと云うレッテルが貼(は)られました。
事実は確かめようがありませんが、
「地球上のおよそ5%の富裕層(ふゆうそう)の人が持っているお金は、
後の95%の主に労働者階級の人の持つお金に匹敵(ひってき)する。」
ということを書いていた人がいました。
私はこの記事を見て自分がこの富裕層の人の中に入っているならば
・・・想像(そうぞう)を膨(ふく)らまして・・・
あくせく汗水たらし働いている人と自分を対比(たいひ)して見ました。
私は何とかこの不公平を糺(ただ)して、
不釣り合いな金銭問題を解決したい想いに駆られました。
どれだけ多くの人、95%の人は何とかして生活を良くしようと毎日、働いているのです。
どれだけの労苦(ろうく)がある事か、日々のニュースを観て見ると、
この金銭問題が原因な事は明白です。
中には飢餓(きが)で苦しんで今日とも明日とも云えない命があります。
だからこの富裕層の方々に質問し云ってやりたい、
「貴方の命はいったい誰のものですか?」、と。
お金と云うもの、この95%の社会を形成している人達の共通の信用、
信頼関係の下に運営されている手段(しゅだん)だと想います。
釈尊は偉大な指導者でしたが王様の子供でしたので金銭的に裕福(ゆうふく)だったためなのか、
金銭的に貧しい人の本当の姿に対しての教えは、
無残(むざん)にも精神的満足に終始(しゅうし)しています。
本当にお金が無くても幸せですか?
お金で買える幸せはいっぱいあります。
というよりもお金では買えない物の方が少ないでしょう。
お金では買えないもの、いや、いっぱいあって良いのです。
しかし「精神的なお金」と云うものがあったら、
その価値で可哀想(かわいそう)な人っていなくなるでしょうね。
生きる希望
お金を持っている人、裕福な人は精神的な何か別のものを持っていると私は想います。
それはお金を持っている人は持っていない人と違ってこころに余裕があるから判るのです。
「お金が無くても幸せは得られる。」と云う言葉は、
お金を有している人、お金持ちからしか聞いたことが有りません。
貧しい人はその言葉は欺瞞(ぎまん)だと云うでしょう。
早くこの不公平を是正(ぜせい)してくれる人が出てくれることを願ってやみません。
しかし私達には他の希望があります。
私達の子供や孫たちを観ていると其(そ)れが解ります。
彼等は今日を明日を未来をも望んで生きています。
登下校(とうげこう)のなにやら、わからぬ話し声を聞いて私はそれを彼らに見るのです。
彼等は“明るい”のです。しかも純真無垢(じゅんしんむく)です。
この明るい希望ある子供たちの明日を担(にな)っているのは私達大人です。
この日本を輝く未来にしてくれるのはこの子供達です。
子供達を元気に、そして生き生きさせてくれるものに感謝の念を持ちましょう!
最後に自衛隊の皆さんへ
お疲れ様です。今日も無事だった事、感謝です。
健康には留意ください。お元気に。
この軍歌は時間が有った時に聴いてください。
海の進軍
そうだその意気
ここからは広告の欄になります。明朗会計です。
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