月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

思い出を交えて!

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俳句、音楽を添えて

「幸福」について思うこと

2015年04月12日 00時25分12秒 | 日記
人間は誰しも幸福になりたいと思っています。
人間は何が大切なのか? 何の為に?  等、

人生について様々思いを巡らす時、幸福とは何か?
これは一番大事な目標なのでは・・・と思います。

古今東西、様々な文壇の大御所が表題として挙げています故、
私の様な者が記述するのも大袈裟で恥ずかしいのですが、
一つには書いて置く事で将来、日記として見る機会に、
「この時にはこう思っていた。」事を知る為には良いと思いました。
ですので正直に思う所や願望を書いて行きたいと思っています。

本日は「幸せ」、「幸福」について考えて見ましょう。

落ちないリンゴ 1991年の秋、台風が上陸して、
青森県の林檎のおよそ90%が落ちてしまった事がありました。
九割も落ちてしまった為、
作った林檎の九割が売れないと林檎農家の人は肩を落として悲しみました。
しかし、嘆き悲しまなかった人がいたそうです。 「大丈夫」。「大丈夫」と。
しかし、なんで、大丈夫なんでしょうか?
その人は、落ちなかった林檎を「落ちないリンゴ」の名前で
一個千円で売り出したのだそうです。受験生に。
すると高いけど、飛ぶように売れたそうです。

受験生は縁起がいいと喜んで買ってくれたのです。
こう言う事で、農家の人も助かり、買う人の喜びも生まれたのでした。
プラスとマイナス どんな出来事にもプラスに見える部分と
マイナスに見える部分があります。
どっちを見た方が人生、プラスになるのか?
問題は自分がどちらをどう見るかに掛かっているのです。
この人は下に落ちた九割の林檎に意識を向けないで、
上に残っていた落ちなかった一割の林檎に意識を傾けたのです。
マイナスに見える局面にも必ずプラスはあります。
この人の様に、今のこの状態を肯定的によりよい状態にしよう
とする心の動きを プラス思考と言っています。

例を挙げます。 私は未だカナダはおろかアメリカにも行った事が
ありません。
が、 カナダでは、雨の中、傘をささずに歩く人が大勢いるのだそうです。
アメリカでもそういう傾向があるのだそうですが、
外国の方はなぜ傘をささないのかというインタビューがあり、
その中に、 「雨に当たるって気持ちいいから」と答えた方が
いたそうです。
だから雨を憂鬱(ゆううつ)だと捉(とら)える事もできれば、
雨を楽しむことだってできるんですね。
実際、雨の音に意識を向けて、
雨の音が音楽を奏でていることに気付き、
以来、雨が大好きになった人もいます。
これも逆境とも言えるものにめげないプラス思考の例です。
もう一つプラス思考の例を上げましょう。有名な句です。
「鳴かぬなら 殺してしまえ  ホトトギス」 織田信長
「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」 豊臣秀吉
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」 徳川家康
これは肥前の国の平戸藩主である松浦静山の甲子夜話に
出て来る句が元になって居ます。
これに対して芸人の萩原欽一さんは、
「鳴かぬなら 静かでいいよ ホトトギス」と言っていたそうです。
これらの例から鳴かない事にも幸せを見出せる事が解ります。
ですので幸せを感じるかどうかは、
起きる出来事が決めるわけでは無いと言う事が解ります。
環境が決めるわけでもない。 では、何が決めるのでしょうか?
あなたの心が決めるのです。幸せはあなたの捉え方が決めます。
幸せとは気づくものと言えるでしょう。
ここで休憩しましょう。 この曲は30年も前、友人から紹介されたもの
ですが高校時代を偲ばせてくれる曲です。
十七才は一度だけ 高田美和 Takada Miwa
ドイツの哲学者、ショーペンハウアーは言いました。
「幸せを数えたら、あなたはすぐに幸せになれる」
本当にそうでしょうか?
(あなたはいくつ幸せを数えられますか?)
(本当に幸せを感じましたか?)
ところで、不幸な人と、幸せな人の違いはどこなのでしょう?
不幸な人は不幸を見つけるのが上手い。
幸せな人は幸せを見つけるのが上手いと言われています。
違いはこれだけだそうです。
だとすると幸せになるのはそう難しい事では無く簡単なハズですね。
観念的ではありますが、 人生を慶びで生きるには
まず心の部分から幸せを感じる事が必要です。
前の例から幸せとはしあわせであると感じる事、
気付くものだと言う事が解っています。
実はこの観念的と言う心の状態が大事なのです。
ところで、 「人間が不幸なのは、自分が幸福である事を知らないからだ。
ただそれだけの理由なのだ。」とあのドストエフスキーは言っています。
本当にそうなのでしょうか? 
日常の事で考えて見ましょう。
ご飯が食べられる事。歩ける事、話が出来る事、 会社がある事、
友人が居る事、好きな人が居る事、こうしてブログが読める事、
呼吸出来る事、指が動く事、見える事、味覚を感じる事、
聞こえる事、 香りを嗅ぐ事が出来る事、
戦争状態の中でない事、その他・・・。
どれもこれも当たり前の様に私達は思います。
でも良く考えて見て下さい。
これらは見る人によって違いがあるのでしょうが、
私には偶然では無いように思え、
与えられた恵みを感じないわけには行きません。
そして全部が全部、有難い事なのです。
幸せと言うものは私達が満ち足りた中に居る事に
気付けば実現しているのが解ります。
ここで音楽を聞いて下さい。

西郷輝彦★チャペルに続く道★


それで私達は逆の事、つまり大事なものが無い状態や
大事なものを失った時の事も考えてみる必要があります。
あなたにとって今失う事になったら、
とても悲しくなってしまう人やものを考えて見ましょう。
それらを出来るだけ多く考えて見て下さい。
(少なくとも3つ考えて見て下さいね。)
大事なものが多ければ多いほど失った時の事を想像すると、
大きな悲しみや痛みを感じますね。
同時に、そのかけがえの無いものが、目の前に有り存在する事が有難く、
愛(いと)しく、大切に大事にしようと思えたのではないでしょうか?
私達を囲んでいる幸せに気付いて下さい!
小さな幸せを感じる感情が、(連続的に継続し時空を超えて)
未来の幸せを呼び寄せるのです!!
人生を慶びで生きる秘訣はここにも有る事が解ります。
幸せは心で感じ言い表す事で成れる!
しかしそれも心の状態が健全ならばです。
心の健全・・・罪や穢(けが)れの無い状態に
自分をおく必要があります。
どう言う状態、存在かと言うと天使のような存在だというのです。
作家であり漢字セラピストでもある、ひすい こたろうさんは
著者の中で私達は何時の日か天使になる と書いています。
興味深いので見て見ましょう。
<・・・あらゆる瞬間が勉強なんです。勉強とは知らないことを知ること。
習うこと。では、何のために習うのか? 天使になるためです。
僕らは「真っ白」な状態で生まれてきます。辛いこと、
悲しいこと、 嬉しいこと、いろんな経験を重ねることで、
「羽」が生えてきます。「真っ白」な状態から「羽」が生える。
それが「習う」と言う字です。
これから先どんなちっぽけなことでも、
体験したことのすべては、
あなたの羽の一部になる

たとえ飛ぼうとして失敗しても、
飛ぶのが恐くて止めてしまってもそれは羽の一部になる。
悔いる体験を通してしか生えない羽もあるんだから。
悔いた分だけ、人は他人に優しくなれる。
すべては、
あなたがさらにあなたらしくなるための体験
なんです。
そして、多くの人とたくさん出会う事で、
その羽は少しずつ少しずつ変化していきます。
自分とは「年齢」も異なる人と出会い
自分とは「環境」の異なる人と出会い、
自分とは「経験」も異なる人と出会い、
自分とは「夢」の異なる人と出会い、
自分とは「価値観」も異なる人と出会い、
あなたの「羽」はたくさんの「異」なる人と
出会う事で「翼」に変わります。
そしていつの日か、その翼で誰かを守る日が来ます。
その時、僕らは天使になるんです。・・・>
出典 「面白いほど幸せになる漢字の本」
(中経の文庫)ひすいこたろう&はるねむ著
私達には勿論その羽は見えませんので精神的なものなのでしょう。
「いつの日か、その翼で誰かを守る日が来ます。」・・・自分の子供や妻なのか?
・・・あるいは他人様なのか?  何か、じーんとしました。
また幸せを感じるにはいくらかのお金、配偶者や時間も必要でしょう。
心の健全な人にはこれらに不自由しない世の中が必要だと思う。
もし心の健全な人がこれらに不自由する事が有れば、
それは社会が求めている人物像と相違する何か未熟なものがあると言う事です。
日本の社会が健全かどうか? これについてですが、戦前までは少なくとも健全でした。
戦後、反日感情をもつ米国主導による朝鮮人や中国人が、
左翼団体を援護した為、政界、財界共に
その影響を色濃く及ぼす事になった。
特に日教組、日弁連、労働組合、電気事業やマスコミなどに、
大きな影響力を持っていました。
戦後70年を経て今日、これらの影響力が失われつつあります。
それは国民が自分の国は自分で守らなければいけない事を、
多方面で、 意識し認識して来たからだと思う。
例えば、
● 教育を日教組にまかせてはおけない。
● 新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌などのマスコミの言う事をまともに受け取れない。
● 弁護士が保守派の国民のための弁護を喜んで引き受けない。 等、
国民の間に愛国心を抱くものと反日感情を持つ者がはっきりして来ました。
愛国心を抱く保守派の日本人こそ心の健全な人と言えるだろう。
ですので現在は全き心を養って、育んでいる時代ですので健全な社会と言えるでしょう。
ところで歴史上、社会が求める人物像に合致した、
理想の人物に権現(ごんげん)様、徳川家康公がいました。
徳川家康を権現様と呼びますが、
彼の言葉に「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくがごとしいそぐべからず」 があります。
彼が日本の神々を仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹説
(ほんじすいじゃくせつ)を根拠にする御仁である事も頷(うなず)けますね。
日本人は立派な人になる為に勉学や体を鍛え精進しますが、
それは自分自身の為と同時に他人様を幸せにする為です。
その道を極めた方だったので社会(封建時代でしたが)に受け入れられたのです。
家康公がこの日本でしかも封建時代と言う、社会に受け入れられる、
類(たぐい)まれな偉人であった事は、
その後十五代、265年間に渡る江戸時代が庶民にとって、
武士にとっても、否、士農工商、
全てにおいて満ち足りた文化を育んできた事で解ります。
私達は時代劇を通してこの時代を観ますが武士道をはじめとする
この道徳は、 柔道、剣道、弓道、華道、茶道、書道、等、様々な「道」を極めて行きます。
これは凄い事です。
日本人が世界の人々から絶賛され、 親日国が多い理由はここにもあります。
今日、私達が先祖を敬い歴史、文化、伝統を守るに必要な道徳とは、
忠誠、犠牲、信義、廉恥、礼儀、潔白、質素、倹約、尚武、名誉、情愛などで
まさしくこの武士道だと感じます。
戦前の日本は教育がしっかりしていましたので
これらは特別なことではなく、 日常の教育そのものでした。
戦後になって米国流の民主主義が跋扈(ばっこ)し、
この武士道と言う道徳が過去のものとされてしまいましたが、
これこそ日本民族の大きな所産であるのですから、
再び光を当てて欲しいと思っています。
これに付随しまして「教育勅語」の復活も視野に入れて欲しいと思っています。
「衣食足りて礼節を知る」と言う諺・・・衣食住に足る術(すべ)も、
日本では健全な心を持つ事であることを私達は知っています。
私達が幸せになる為に色々書いて参りましたが、
さらに人様は言います。「偉い人より立派な人になって欲しい!」と。
少なくもそれは自分の翼で人を守る事が出来る人物に成る事でしょう。
立派な天使に成る事! に違いありません。
「幸せ」、「幸福」とは自分で感じるものですが他人にこれを分け与える事で
益々自分が豊かに「幸せ」を感じるようになるのです。
不思議ですね。 与えれば自分に与えられるもの・・・本来それが人の「幸せ」です。


(但し これは普段の人の世に見られる善い行いですが、
数学に虚数があるように善行が無効や場合によって悪行に働く時があります。
この世には夷狄(いてき)が居る事を知らねばなりません。
夷狄による悪行を出来るだけ無にする必要があります。)





万精を 裾野に配し 萌ゆる富士


瑞雲を かざしに虹の 炗かな



最後までお読み下さいまして有難う御座いました。


参考文献 PHP「心が喜ぶ生き方」25年7月号より「幸せになる作法」 ひすい こたろう著



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