還暦を過ぎてしみじみ人生を考える事が多くなってきた。
若い時、コンピューターのオペレーターをしてた時が有った。
後にプログラミングなどに興味があったのでまずフローチャートを学んだ。
これは面白かった!
ものは上から下に流れて行く。
或る時には右にそして左に、或る時は三つの方向へすなわち、右に、中央に、左に。
或いは上下に進む時もあるだろう。
しかし、ものは何時(いつ)も前進するとばかり限らない。
勿論、元に戻る時もあるし、或る道までしか戻らない時もある。
縦横無尽に流れて行くことができるのがフローである。
フローチャートはそれを図示化したものである。
ではなぜ当たり前のことをわざわざ学ばなければいけないのか?
それは【速さ】が問題なのである。
電子の伝わる速さに関係するからである。
コンピューターの特徴のひとつに計算が速いことがある。
どの位速いのかが問題なのである。
今やパソコンを学ぶ上では必須だろう。
フローチャートの通りに1秒、1ミリの狂いもなく、
実直にコンピューターは動くからだ。
少し休憩しましょう。中島みゆきさんで【糸】をどうぞ!
糸/中島みゆき(歌詞付き)
昔、写真や動画が今の様に満ち溢れてなく、
記憶容量であるメモリーが高価だった頃、
それは、インターネットが未だ普及してなくネット回線が不通で、
電話回線を介して遣って居た頃、今からザ~と30~40年前、
想い出すがPC自体が高価でまだ一般の個人が
購入できなかった時代が有った。
一台、ナショナルのビジコンが当時のお金で、
1000万円以上もしていた頃が有った。
それから10年くらいしてからだと思うが、
ソード株式会社が8インチや5インチのフロッピーを
開発して今の様な小型のパソコンが出始める様になった。
当初は600万円位したパソコンであったが直ぐ、
300万円とか急激に安価になってきた。
でも、一般的には車の次に高価だった。
ましてやインターネットなどは出来なかったのである。
Windows95が出来てからだと想うけれど、
日本でも電話回線ではなくグラスファイバーで出来た回線、
ネット回線が普及してきた。
いまや24時間いつでも、可能であるが、
初めの頃は一か月に4時間位しか使えなかった事を思い出す。
それでも、インターネットは魅力に溢れていた。
見慣れない情報で満ちた世界であったからである。
メモリーの記憶媒体がK(キロ)=1000、M(メガ)=1,000,000、
G(ギガ)=1,000,000,000、T(テラ)=1,000,000,000,000と容量が
飛躍的に拡大してきた。
バイトとは情報量の単位で1バイト=1B=8bit=8ビット、
の事であると学んできたが最近は定義が難しくなって来たそうだ。
昔の人間だから1メガビット=1,000,000ビット=125KB=125キロバイト。
(125×8=1000)だからと教えて貰ったのだが。
兎に角、忙しい時代になって来た。
私達の周りは速い事が当たり前になって来ている。
新幹線は光、200キロ/時だったが、”のぞみ”になると300キロ/時、
リニアーモーターになると500キロ/時だそうだ。
何を言いたいのかと云うと
人はこの速さの為に一々、逐次、時間を取って、
ものを考える余裕がなくなって来ている、
と云う事である。
また、本や雑誌などに広告がいっぱいあって、
私達は日常的に広告に対しては飽和状態になって見飽きている。
1秒や2秒と云う時間に私達は非常に多くの情報量に晒(さら)される。
感覚的にその情報に対しては満ち足りているので記事などが
びっちり書いてある書物は読むのに抵抗が有る様になって来ています。
抵抗と云うよりも読む気が起きないと言ったほうがよいかもしれません。
だから一度で解る写真や時間的に動きのある動画が馴染みになって来ています。
人がものをじっくりと考えることがなくなって来ているのは確かな事です。
そのことは私達にとって良い事ばかりではありません。
どのくらい今日の私達が情報を受け取っているのか?
奈良や平安の昔と比べるとその当時の人たちが一年間で得る情報量を
私達は確か1日で消費するというのを聞いたことが有りました。
この様に時代が時間的に密になって来ているので、
その結果、私達は他人様の思いなどに気を配っている心の余裕が
なくなってしまったのです。
交通機関が発達するとそうなればなるほど
私達の身辺は多忙を極めるのは皮肉ですが、現在の実情ですね。
休憩しましょう。レーモン・ルフェーブルで【シバの女王】をどうぞ。
シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba Raymond Lefevre
詩人の谷川俊太郎さんの詩、「急ぐ」ですが、次の様に
書かれています。
こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通りすぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない
(だから手にも心にも形容詞がつかない)
この速度は速すぎて間が抜けている
苦しみも怒りも不公平も絶望も
すべて流れてゆく風景
こんなに急いでいいのだろうか
私の体は速達小包
私の心は消印された切手
しかもなお間にあわない
急いでも急いでも間にあわない
この詩で描かれている通り私達は周囲の人たちの
悲しみや喜びや苦しみ等を考えてあげるひまが無いのです。
【無関心】・・・現代人の特徴なのかもしれないのですが、
時代がその様になって来ている事を自覚したいものです。
こんなにも「速い事が良い事と歓迎される」と「間」が
なくなって急ぎすぎるとついには車と車との距離、
間が無くなり事故を起しやすくなります。
人と人の間もギスギスしてトラブル起こしやすくなりますし、
また一人一人はイライラしてくるのです。
この詩のように、
一生を多忙のうちに終わってしまうのは何と言っても
残念で惜しいものだと想いました。
だから、この【多忙のなせる技】から身を守り、
大切なこころを取り戻す必要があると想いました。
続く・・・。
コロナ過に 一喜一憂 時の声
鶯(うぐいす)や 若草萌える 城の址
皆さん達は青春の真っただ中にいる人が多いと想います。道がどんなものか解らなくてもいいのです。でも、この歌のように幼い頃の思い出を大切にして行ける人は幸せな人だと思います。
三田明 「美しい十代」( 歌詞入り)
最期に、私はこの國の将来を想う日本人の一人です。聖徳太子が大好きな人に教えて上げたい講座が有ります。
真面目な人が好きな人、志を持っている人に伝えたいです。
こういう講座がある事を。
興味がありましたらクリックしてください。⇒ https://realin.org/l/m/Bs3LeUF5EdFDj8
ご清聴ありがとう御座いました。
ここからは有料のカタログ販売です。興味がありましたら、ご覧ください。もし希望の商品が御座いましたらご購入下さい。
若い時、コンピューターのオペレーターをしてた時が有った。
後にプログラミングなどに興味があったのでまずフローチャートを学んだ。
これは面白かった!
ものは上から下に流れて行く。
或る時には右にそして左に、或る時は三つの方向へすなわち、右に、中央に、左に。
或いは上下に進む時もあるだろう。
しかし、ものは何時(いつ)も前進するとばかり限らない。
勿論、元に戻る時もあるし、或る道までしか戻らない時もある。
縦横無尽に流れて行くことができるのがフローである。
フローチャートはそれを図示化したものである。
ではなぜ当たり前のことをわざわざ学ばなければいけないのか?
それは【速さ】が問題なのである。
電子の伝わる速さに関係するからである。
コンピューターの特徴のひとつに計算が速いことがある。
どの位速いのかが問題なのである。
今やパソコンを学ぶ上では必須だろう。
フローチャートの通りに1秒、1ミリの狂いもなく、
実直にコンピューターは動くからだ。
少し休憩しましょう。中島みゆきさんで【糸】をどうぞ!
糸/中島みゆき(歌詞付き)
昔、写真や動画が今の様に満ち溢れてなく、
記憶容量であるメモリーが高価だった頃、
それは、インターネットが未だ普及してなくネット回線が不通で、
電話回線を介して遣って居た頃、今からザ~と30~40年前、
想い出すがPC自体が高価でまだ一般の個人が
購入できなかった時代が有った。
一台、ナショナルのビジコンが当時のお金で、
1000万円以上もしていた頃が有った。
それから10年くらいしてからだと思うが、
ソード株式会社が8インチや5インチのフロッピーを
開発して今の様な小型のパソコンが出始める様になった。
当初は600万円位したパソコンであったが直ぐ、
300万円とか急激に安価になってきた。
でも、一般的には車の次に高価だった。
ましてやインターネットなどは出来なかったのである。
Windows95が出来てからだと想うけれど、
日本でも電話回線ではなくグラスファイバーで出来た回線、
ネット回線が普及してきた。
いまや24時間いつでも、可能であるが、
初めの頃は一か月に4時間位しか使えなかった事を思い出す。
それでも、インターネットは魅力に溢れていた。
見慣れない情報で満ちた世界であったからである。
メモリーの記憶媒体がK(キロ)=1000、M(メガ)=1,000,000、
G(ギガ)=1,000,000,000、T(テラ)=1,000,000,000,000と容量が
飛躍的に拡大してきた。
バイトとは情報量の単位で1バイト=1B=8bit=8ビット、
の事であると学んできたが最近は定義が難しくなって来たそうだ。
昔の人間だから1メガビット=1,000,000ビット=125KB=125キロバイト。
(125×8=1000)だからと教えて貰ったのだが。
兎に角、忙しい時代になって来た。
私達の周りは速い事が当たり前になって来ている。
新幹線は光、200キロ/時だったが、”のぞみ”になると300キロ/時、
リニアーモーターになると500キロ/時だそうだ。
何を言いたいのかと云うと
人はこの速さの為に一々、逐次、時間を取って、
ものを考える余裕がなくなって来ている、
と云う事である。
また、本や雑誌などに広告がいっぱいあって、
私達は日常的に広告に対しては飽和状態になって見飽きている。
1秒や2秒と云う時間に私達は非常に多くの情報量に晒(さら)される。
感覚的にその情報に対しては満ち足りているので記事などが
びっちり書いてある書物は読むのに抵抗が有る様になって来ています。
抵抗と云うよりも読む気が起きないと言ったほうがよいかもしれません。
だから一度で解る写真や時間的に動きのある動画が馴染みになって来ています。
人がものをじっくりと考えることがなくなって来ているのは確かな事です。
そのことは私達にとって良い事ばかりではありません。
どのくらい今日の私達が情報を受け取っているのか?
奈良や平安の昔と比べるとその当時の人たちが一年間で得る情報量を
私達は確か1日で消費するというのを聞いたことが有りました。
この様に時代が時間的に密になって来ているので、
その結果、私達は他人様の思いなどに気を配っている心の余裕が
なくなってしまったのです。
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私達の身辺は多忙を極めるのは皮肉ですが、現在の実情ですね。
休憩しましょう。レーモン・ルフェーブルで【シバの女王】をどうぞ。
シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba Raymond Lefevre
詩人の谷川俊太郎さんの詩、「急ぐ」ですが、次の様に
書かれています。
こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通りすぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない
(だから手にも心にも形容詞がつかない)
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苦しみも怒りも不公平も絶望も
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こんなに急いでいいのだろうか
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急いでも急いでも間にあわない
この詩で描かれている通り私達は周囲の人たちの
悲しみや喜びや苦しみ等を考えてあげるひまが無いのです。
【無関心】・・・現代人の特徴なのかもしれないのですが、
時代がその様になって来ている事を自覚したいものです。
こんなにも「速い事が良い事と歓迎される」と「間」が
なくなって急ぎすぎるとついには車と車との距離、
間が無くなり事故を起しやすくなります。
人と人の間もギスギスしてトラブル起こしやすくなりますし、
また一人一人はイライラしてくるのです。
この詩のように、
一生を多忙のうちに終わってしまうのは何と言っても
残念で惜しいものだと想いました。
だから、この【多忙のなせる技】から身を守り、
大切なこころを取り戻す必要があると想いました。
続く・・・。
コロナ過に 一喜一憂 時の声
鶯(うぐいす)や 若草萌える 城の址
皆さん達は青春の真っただ中にいる人が多いと想います。道がどんなものか解らなくてもいいのです。でも、この歌のように幼い頃の思い出を大切にして行ける人は幸せな人だと思います。
三田明 「美しい十代」( 歌詞入り)
最期に、私はこの國の将来を想う日本人の一人です。聖徳太子が大好きな人に教えて上げたい講座が有ります。
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