月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

思い出を交えて!

徒然なるも未来に希望を託し随筆を嗜む

俳句、音楽を添えて

鹿島神宮(3)

2010年01月31日 21時45分33秒 | 日記
本日は鹿島神宮(その3)です。




要石(かなめいし)、さざれ石、鹿園、境内の樹叢について書きます。

大鯰の碑

     奥宮から要石に至る途中、路が五つに分かれた処に碑があります。

     「大鯰の碑」と呼ばれている碑が在ります。この碑には記されて

     いませんが写真中央の人物が鹿島神宮の大神=武甕槌大神

     (たけみかずちのみこと)と考えられます。
        





要石・・・奥宮から南におよそ300m行くと在ります。鹿島神宮の大神が降臨した御座と

     も、地震を起こす大鯰の頭をおさえている鎮石ともいわれる。

     徳川光圀の『水戸黄門仁徳録』には、家来に掘らせてみたがあまりに巨大で

     「七日七夜掘っても掘りきれず」との記述がある。

     『万葉集』に記述があり、「ゆるげども、よもや抜けじの要石、鹿島の神のあら

     ん限りは」と詠まれています。

     「鹿島の神さえいれば、要石は緩むことはあっても抜けてしまって、大鯰が暴れ

     る(大地震が起こる)ことはないだろう」という意味です。

     過去において「神無月」(旧暦十月)に起きた大地震の幾つかは、

     鹿島の神が出雲に出向いて留守だったために起きたと言い伝えられています。









中を覗いて見ましょう。幣(ぬさ)の下に丸く見える石があるでしょう。









この中央にある中心が少し凹んだ石が要石です。




この要石の近くに

      芭蕉の句碑「枯枝に鴉(あ)(=カラス)のとまれけり穐(秋)の暮」

      が在ります。




芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)
松尾 芭蕉,萩原 恭男
岩波書店

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さざれ石



『君が代』は受け止め方により「あなたの世、国民ひとりひとりの世」とも取れます。

ここで「君が代」を聴いて下さい。

日本国国歌 君が代 Japanese National Anthem Kimigayo (HD)


君が代
渡辺暁雄,日本フィルハーモニー交響楽団,コロムビア吹奏楽団,鵜飼敏夫
コロムビアミュージックエンタテインメント

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鹿園・・・昔、鹿島神宮周辺の森には多くの鹿が棲息していた。その歴史を伝える

     ニホンジカが飼育されています。

     神の使いとしての日本鹿が飼われている。

     鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)が天照大神の命令を
     
     武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来し、鹿島神宮では鹿が使

     いとされている。

     藤原氏による春日大社の創建に際して、767年に、白い神鹿の背に

     分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行ったと案内

     板に記されている。









鹿の枝角を英語でアントラー (antler) と言い、鹿島アントラーズの

チーム名の由来になっています。



















境内の樹叢・・・20万坪におよぶ神宮の森は植物の宝庫。

          800種を越える草木が繁茂し、

          照葉樹林(主に常緑広葉樹林)の北限としても貴重です。

































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鹿島神宮(2)

2010年01月02日 12時15分27秒 | 日記
本日は鹿島神宮(その2)です。




久しぶりに元朝参りをして来ました。

まず、鹿島鳥居(神明鳥居の一)の中に入りました。

時間は大晦日の23時40分頃、中天に望月が懸かっていました。しばらく、

この周りの露店を見物していました。やがて、新年を迎える時になりました。

年迎ふ 月天心の 鳥居かな    年迎ふ=としむかう


楼門・・・寛永11年(1634)、水戸藩主徳川頼房公が奉納したこの門は「日本三大楼
     門」の一つ。


大勢の初詣の人達が楼門の方に歩いて進む頃、

私は裏に廻って、稲荷様の前に出て夜の楼門を撮りました。

お正月なので露店が出ていました。




本殿・・・この本殿はその昔、伊勢の神宮のように20年ごとに造営が行われていたが、現
     在の本殿は元和5年(1619)二代将軍徳川秀忠公により奉納された。
     朱塗りに極彩色の鮮やかな意匠である。



流石に寒いと実感。

元旦の夜は更けて・・・本殿の南から。









本殿を右に見て、奥宮(おくのみや)に向かう。









元旦の夜の奥宮

ここで御神籤を引きました・・・吉と出ました。





奥宮・・・慶長10年(1605)、将軍徳川家康公が本殿として奉納されたものを元和の
     造営の際に引き移したもの。総白木作りの意匠である。

普段の奥宮

御手洗池(みたらしのいけ)の方から登って来ると、

曲がりくねった急な坂道を登り終えた処に奥宮が佇んでいます。

途中の山肌は歯朶でいっぱいです。


奥宮の 歯朶の山肌 つづら折り









夜の奥宮から引き返し、本殿を左に見て楼門を出た所です。

露店が楼門南側の石畳の両側をびっしり鳥居の向こう側まで・・・



久しぶりの元朝参りでした。家に帰ってぐっすり休みました。







元日の夕方、また出かけました。元朝の所と同じ場所(本殿の南)から。









元日の奥宮の夕方







御手洗池・・・古くからの禊の場、一日400kl以上の清水が湧き出しています。
        周辺は神宮の園地になっています。


御手洗池(みたらしのいけ)にて。

御手洗池は初めて鹿島神宮に詣でた人は奥宮からの

路を北に向かう坂道を下りた処に二軒の茶店が有り、

そこから見える池です。禊の場所です。清水が滾々と涌き出ています。

一方の茶店に、赤い毛氈を敷いた縁台を見かけました。

初手水 緋毛氈敷く 茶店かな

 (初手水=はつちょうず) (非毛氈=ひもうせん)


ここで詩吟を聴いて見ましょう。今は聴く機会が少なくなってしまいましたが、
こう言う伝統的なものは後世にはっきりと残して欲しいと思います。
寒梅/桂林荘雑詠 木村岳尚さんです。







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