本日は十七条憲法の第十三条から最後の第十七条、最後までです。
例によって金治勇様の「聖徳太子のこころ」より引用します。
第十三条
十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、
前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。
病気や出張などで職務にいない場合もあろう。
しかし政務をとれるときにはなじんで、
前々より熟知していたかのようにしなさい。
前のことなどは自分は知らないといって、
公務を停滞させてはならない。
第十四条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。
自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。
嫉妬の憂いははてしない。
それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、
才能がまさっていると思えば嫉妬する。
それでは500年たっても賢者にあうことはできず、
1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。
聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。
第十五条
十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。
およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。
恨みがあれば、かならず不和が生じる。
不和になれば私心で公務をとることとなり、
結果としては公務の妨げをなす。
恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。
第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、
こういう心情からである。
休憩しましょう。
今から7年前、伊達氏六十二万石の城下町、仙台市の中心地を歩いていた時、偶然に、あの
土井晩翠先生の出身校と書かれた看板を見ました。
それで土井晩翠先生の作詞、荒城の月を思い出しました。
先生がこの仙台市出身とは夢にも思いませんでした。
同じようにこの曲は作曲者の滝廉太郎先生が1901年(明治三十四年)に発表した曲だ
ったとは考えてもいませんでした。
古く、平安、奈良以前の昔からある曲だと思っていました。
作詞といい作曲もですが、遠い、いにしえからの桜散る城址にお月様が
煌々としている情景が浮かびます。
李 香蘭さん、そしてタロー(?)さんの歌を聞き比べて見ましょう。
荒城の月 李 香蘭
荒城の月, 日本の歌 ,TaRO
第十三条から見ていきましょう。
公務に就くとは実に大変なことですね。
前任者と同じように職掌を熟知しているにはその道の専門家でなくてはならないでしょう。
私のように広く浅くと考える者ではなくその道のプロと成りなさいと言う事でしょうか。
そして前任者の事など知らないと言って公務を停滞させてはならないと教えています。
自分は考えを改めなくてはならないような気持ちになりました。
第十四条 嫉妬とはやきもちやねたみということでしょう。
嫉妬の憂いははてしない、とあります。
謙虚に、直く、嫉妬心を抱かないようにしましょう。
聖人・賢者と言われる方は孤独で孤高な精神の持ち主のように感じます。
悩みや苦しみも敏感に感じる方だと思います。
私は聖人・賢者とはいかないまでも優しい方にお会いしたら何かをして
上げたい気持ちになりました。
聖人・賢者と呼ばれる方をこの日本から多く輩出出来たら嬉しいですね。
第十五条では「私心をすてて公務にむかうのは臣たるものの道である。」と明言しています。
ここでは私心=利己心だと感じます。
利己心を抱いていては相手は不愉快になり恨みが生じ、不和になりますね。
一方、人を恨む気持ちから制度や法律をやぶる者が出てくると有ります。
ですので私心が行きつく果ては公務の妨げとなる、と言うことですね。
自分だけの利益を考えないで相手の利益、その他の人の利益にもなる事を心がけましょう。
ひいてはそのことが国益になります。
国益になることは間接的ではありますが自分の利益となるのですから。
第十六条
十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。
だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。
春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。
人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。
養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。
第十七条
十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。
かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、
かならずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。
そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。
この最初の文言は名文です。次に示します。
【それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)う
べし】
幼い頃からテレビで聴いていた曲に、この旅の夜風があります。
歌詞の意味など考えずにいました。花も嵐も 踏み越えて~
旋律もいいですね。
月の比叡を独り行く・・・この言葉はなかなか浮かびません。
では旅の夜風をどうぞ。
旅の夜風
第十六条では人民を使役させるのは冬が良いと書かれています。
人民の忙しい農繁期には使役させないと言う配慮ですね。
このことに付随して私は福利厚生と言うことを考えました。
私の青年時代には職と言えばアルバイトやパートを除く社員は正社員が当然でした。
今の派遣というものはありませんでした。
会社には寮があり、大きな会社には家族寮があった事や保養所が箱根などにあった事など、
それはごく普通の日常の事でした。
バブル崩壊後、徐々に保養所や寮が無くなって来てしまったように感じます。
現在では寮のある会社や保養所のある会社は稀になっています。
いまの若い人達はその意味では不幸せなのかもしれません。
流石に50代になりますと正社員の道は縁遠く感じます。が、
是非、近い将来再チャレンジ可能な社会になる様に期待しています。
最近は福利厚生が充実した会社も見受けられるようになりました。嬉しい事です。
第十七条では重要な事柄は自分一人で決めるなと教えています。
国事行為ですから当然と言えばそうですが、個人的にも意味のある条文です。
私はこの文面を知っていたなら大きな間違いはしなかったに違い有りません。
昔は重要なことも自分一人で決心し行動してきました。
それが大きな失敗として今も心に残っています。
皆さんはこの第十七条の条文を思い出して複数の人と話し合って事を決めましょう。
検討して決めれば道理にかなう結論を得られるでしょう。
この事は重要な事です!!
最後になりますが。
私は日本人であり日本に住んでいる者です。
正直にこういう事はこうあって欲しいという願望があります。
それは日本が好きだからです。もっと良くなって欲しいからです。
決して欠点を暴こうなどと言う事ではありません。
でも、読み返してみて心苦しく思えた所などありましたら訂正させて頂きます。
私は今まで十七条憲法の存在は知っていましたが読んだのは初めての経験でした。
よくぞここまで記述して下さいました。
私は日本人にこのような方がおられた事を誇りに思います。
ありがとうございます。
以下「気高く、強く、美しくあれ」より抜粋
高い位の者、人の上に立つ者には、他の者よりも大きな責任があることを教えています。
日本人は、人の上に立つ者の責任を重視し、ノーブレスオブリージェ(高貴なる者の義務)
と西洋の人々が叫ぶ価値観を、彼らに言われるまでもなくはるか昔に国家の基盤の憲法に
入れてしっかりと実現しようとした人々なのである。
現在の世の中にも立派に通ずる真理を含み、また、人々が和み、
どの人をも教え導いていくことの重要さを説き、
上に立つ者の責任を重視した秀れた憲法を1400年以上も前から持っていた日本を、
私達は心底誇りにしてよいのである。
参考資料
金治勇 「聖徳太子のこころ」 大蔵出版 1986年
櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館 2006年
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例によって金治勇様の「聖徳太子のこころ」より引用します。
第十三条
十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、
前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。
病気や出張などで職務にいない場合もあろう。
しかし政務をとれるときにはなじんで、
前々より熟知していたかのようにしなさい。
前のことなどは自分は知らないといって、
公務を停滞させてはならない。
第十四条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。
自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。
嫉妬の憂いははてしない。
それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、
才能がまさっていると思えば嫉妬する。
それでは500年たっても賢者にあうことはできず、
1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。
聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。
第十五条
十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。
およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。
恨みがあれば、かならず不和が生じる。
不和になれば私心で公務をとることとなり、
結果としては公務の妨げをなす。
恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。
第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、
こういう心情からである。
休憩しましょう。
今から7年前、伊達氏六十二万石の城下町、仙台市の中心地を歩いていた時、偶然に、あの
土井晩翠先生の出身校と書かれた看板を見ました。
それで土井晩翠先生の作詞、荒城の月を思い出しました。
先生がこの仙台市出身とは夢にも思いませんでした。
同じようにこの曲は作曲者の滝廉太郎先生が1901年(明治三十四年)に発表した曲だ
ったとは考えてもいませんでした。
古く、平安、奈良以前の昔からある曲だと思っていました。
作詞といい作曲もですが、遠い、いにしえからの桜散る城址にお月様が
煌々としている情景が浮かびます。
李 香蘭さん、そしてタロー(?)さんの歌を聞き比べて見ましょう。
荒城の月 李 香蘭
荒城の月, 日本の歌 ,TaRO
第十三条から見ていきましょう。
公務に就くとは実に大変なことですね。
前任者と同じように職掌を熟知しているにはその道の専門家でなくてはならないでしょう。
私のように広く浅くと考える者ではなくその道のプロと成りなさいと言う事でしょうか。
そして前任者の事など知らないと言って公務を停滞させてはならないと教えています。
自分は考えを改めなくてはならないような気持ちになりました。
第十四条 嫉妬とはやきもちやねたみということでしょう。
嫉妬の憂いははてしない、とあります。
謙虚に、直く、嫉妬心を抱かないようにしましょう。
聖人・賢者と言われる方は孤独で孤高な精神の持ち主のように感じます。
悩みや苦しみも敏感に感じる方だと思います。
私は聖人・賢者とはいかないまでも優しい方にお会いしたら何かをして
上げたい気持ちになりました。
聖人・賢者と呼ばれる方をこの日本から多く輩出出来たら嬉しいですね。
第十五条では「私心をすてて公務にむかうのは臣たるものの道である。」と明言しています。
ここでは私心=利己心だと感じます。
利己心を抱いていては相手は不愉快になり恨みが生じ、不和になりますね。
一方、人を恨む気持ちから制度や法律をやぶる者が出てくると有ります。
ですので私心が行きつく果ては公務の妨げとなる、と言うことですね。
自分だけの利益を考えないで相手の利益、その他の人の利益にもなる事を心がけましょう。
ひいてはそのことが国益になります。
国益になることは間接的ではありますが自分の利益となるのですから。
第十六条
十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。
だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。
春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。
人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。
養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。
第十七条
十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。
かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、
かならずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。
そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。
この最初の文言は名文です。次に示します。
【それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)う
べし】
幼い頃からテレビで聴いていた曲に、この旅の夜風があります。
歌詞の意味など考えずにいました。花も嵐も 踏み越えて~
旋律もいいですね。
月の比叡を独り行く・・・この言葉はなかなか浮かびません。
では旅の夜風をどうぞ。
旅の夜風
第十六条では人民を使役させるのは冬が良いと書かれています。
人民の忙しい農繁期には使役させないと言う配慮ですね。
このことに付随して私は福利厚生と言うことを考えました。
私の青年時代には職と言えばアルバイトやパートを除く社員は正社員が当然でした。
今の派遣というものはありませんでした。
会社には寮があり、大きな会社には家族寮があった事や保養所が箱根などにあった事など、
それはごく普通の日常の事でした。
バブル崩壊後、徐々に保養所や寮が無くなって来てしまったように感じます。
現在では寮のある会社や保養所のある会社は稀になっています。
いまの若い人達はその意味では不幸せなのかもしれません。
流石に50代になりますと正社員の道は縁遠く感じます。が、
是非、近い将来再チャレンジ可能な社会になる様に期待しています。
最近は福利厚生が充実した会社も見受けられるようになりました。嬉しい事です。
第十七条では重要な事柄は自分一人で決めるなと教えています。
国事行為ですから当然と言えばそうですが、個人的にも意味のある条文です。
私はこの文面を知っていたなら大きな間違いはしなかったに違い有りません。
昔は重要なことも自分一人で決心し行動してきました。
それが大きな失敗として今も心に残っています。
皆さんはこの第十七条の条文を思い出して複数の人と話し合って事を決めましょう。
検討して決めれば道理にかなう結論を得られるでしょう。
この事は重要な事です!!
最後になりますが。
私は日本人であり日本に住んでいる者です。
正直にこういう事はこうあって欲しいという願望があります。
それは日本が好きだからです。もっと良くなって欲しいからです。
決して欠点を暴こうなどと言う事ではありません。
でも、読み返してみて心苦しく思えた所などありましたら訂正させて頂きます。
私は今まで十七条憲法の存在は知っていましたが読んだのは初めての経験でした。
よくぞここまで記述して下さいました。
私は日本人にこのような方がおられた事を誇りに思います。
ありがとうございます。
以下「気高く、強く、美しくあれ」より抜粋
高い位の者、人の上に立つ者には、他の者よりも大きな責任があることを教えています。
日本人は、人の上に立つ者の責任を重視し、ノーブレスオブリージェ(高貴なる者の義務)
と西洋の人々が叫ぶ価値観を、彼らに言われるまでもなくはるか昔に国家の基盤の憲法に
入れてしっかりと実現しようとした人々なのである。
現在の世の中にも立派に通ずる真理を含み、また、人々が和み、
どの人をも教え導いていくことの重要さを説き、
上に立つ者の責任を重視した秀れた憲法を1400年以上も前から持っていた日本を、
私達は心底誇りにしてよいのである。
参考資料
金治勇 「聖徳太子のこころ」 大蔵出版 1986年
櫻井よしこ 「気高く、強く、美しくあれ」 小学館 2006年
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