人生と言うことを考えますと・・・そう言う歳になりましたが。・・・(失敗が多かったです。)
しかし、決して人生を諦めてはいません。ですので私の轍(てつ)を踏まないで頂きたいのです。
私も悲しみの中に居た時がありました。
ですが、この日本には悲しみの胸に食入る、希望の唄、
四季折々の自然のものが重なって出来た美しい旋律が多くあり、
それらに励まされ生きて来ました。・・・何か恥ずかしい気持ちですが。
クラッシック音楽も良いですが、
日本には良い曲が沢山あります。具体的に申しませんが、音楽だけではなく、
美術、文学など芸術一般において、日本の文化人の優れた表現は随所に見られます。
魚や野菜の自然の持ち味を生かした料理法など日本だけしかない食文化も同様です。
若かった時はそれが解りませんでした。歳をとる程に日本が愛(いと)おしく感じられて来ます。
・・・・・ ・・・・・。
そう。あれは私が19,20才の頃だった。私は当時バスの中でこの場所と同じ処を眺めて居た。
乗合バスは北から南へと移動していました。
黄昏時だったので千波湖に生えていた葦が湖に紫が勝って黒っぽく映っていました。
湖は太陽で青白く輝き黒っぽい葦がその面(おもて)を劈(つんざ)いて居る様に感じられた。
これは現在の湖畔ですが当時(季節は冬)は白鳥の面影は無く荒涼とした湖だったと記憶しています。
「もうだめだ、これで二度目だ。」心底そう思っていました。
当時、私は米国から日本に入って来た新しいビジネスに夢中でした。
宣伝も実績のある信用の出来る雑誌に掲載されているしその内にテレビ宣伝も始まると言う。
私は今は違うが幼い頃から米国や西欧のいわゆる西欧贔屓(せいおうびいき)な人格の持主であり、
在来の日本型の営業に無頓着な性格でした。
当時、私にとって米国は最も信頼できる国でした。だから商品が化粧品でしたがなんでも良かった。
商品については日本人に安心して使用出来ると宣伝されていました。
商品とはお客様に買って頂く物であり売るものではないと言う商いの考え方も、私自身、
聖書を信じる者でしたので、そのビジネスの虜(とりこ)になっていました。
もう内容は忘れましたが「巨富を築く十三の条件」と言う本も読みました。
このビジネスの特徴は在庫品を持たなくてよい事。問屋、大問屋にはお金を出せば成れる事。
やる気を出して販売実績を出せば日本式ではないが重役や社長にも成れる事でした。
第一、商品は自分で製造するわけではなく会社が提供して呉れます。だから販売すれば利益になる事。
しかも平社員から社長に成る為にも約200万円で成れる事は魅力でした。
ですが、学歴を重要視しないことは驚くと共に一抹の不安が過(よぎ)った。
休憩しましょう。暗い話なので明るい旋律をどうぞ。
三田明★美しい恋人たち★
「神の前には誰であろうと独りの罪人としか認められない。」と言う聖書の思いがあったから、
学歴とは人間を評価する上で神の前では無きに等しいものと感じていました。
とにかく理屈はどうであれ「好きな米国人が日本に運んで来たビジネスだ。」
「米国はキリスト教国であるから嘘などあり得ない。」とそう信じていました。
私はこのビジネスの形態と商売と言う事について熱い想いを抱いていました。
だから偉い人に会っても落ち着いてこのビジネスについて論じる事が出来ました。
ですが、実績は上がらなかった。商品も粗悪品ではなかったのでしたが。(自分も試供していました。)
製品に自信がありましたがなかなか商品は売れなかったのでした。
実際に月にどれほどの売り上げがあったか今は知る由もないですが良く見積もっても二,三万円だったろう。
だから交通費(当時はバスや電車が主流だった。)程の利益という事に気が付いた。
その頃、父が湯治場に泊りがけで行っていたことがあり、
そこで知り合ったと言う当時、理容院経営の笠間(現、笠間市)のIさんに巡り合った。
私も真剣だった。Iさんは話をよく聞いて下さった。
質問や疑問の無いように注意して細かく商法について話をした。
功を奏して、Iさんは私が一番上のクラスの大問屋(ゼネラル)に成ることを助け、
また自分の利益の為にも問屋(マスター)の販売権利金(当時のお金で八十万円)を
会社に支払ったのだった。
私はこの為に大問屋(ゼネラル)と言うトップクラス迄登りつめた。
そのため、後任のマスター(問屋)を父の弟に継がせる為の交渉に私は大阪へ行って商法を説明した。
遠くは大阪、東京、そして水戸市や笠間迄商談で出かけることも少なくなかった。
私がゼネラルの最高位に就いたので会社から100万円位の報奨金が出る事になりました。
だが、そのお金はもともと親が資金を出したものであり、また、当時、
二男(私は長男)が交通事故を起こした為、
現金は父が受け取り私が実際に見る事はなかった。
自分には入ってこない無縁なお金でした。
(が、家の為に働いた報酬金だと思った。)
そうだ。
当時、この会社が恐れていたのは「ねずみ講」と誤解される事でした。
実際に「ねずみ講」の被害に遭ったと謂う雑誌の記事もありました。
だから会社側は決して「ねずみ講」では無い事を強調していました。
ねずみ講とは無限連鎖講のことですが、
当時マルチ商法については国の規定がはっきりとしていなかったように思います。
だからこのビジネス、商法に商工会の方や踊りの先生も参加していたのです。
自分が懸命になって活動していたのはこのマルチ商法だったことが分かったのは、
この会社が独占禁止法に触れたからと聞かされ、会社が倒産して大分月日が経ってからでした。
ねずみ講の無限連鎖講とは、
江戸時代の吉田光由(よしだみつよし)の塵劫記(じんこうき)に、
出てくるねずみ算がもとになっています。
今や中学校の教科書に紹介されていますが数の解き方は高校の等比数列で習います。
参考にここに書き記します。
吉田光由の著した塵劫記(寛永8年、1631年)によれば、
ねずみ算は以下の様に記されています。
正月にねずみ、父母いでて、子を十二ひきうむ、親ともに十四ひきに成也。
此ねずみ二月には子も又子を十二匹ずつうむゆえに、
親ともに九十八ひきに成。かくのごとく、月に一度ずつ、親も子も、
まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき、
十二月の間になにほどに成ぞといふときに、二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき。
現代語訳
正月に、ネズミのつがいがあらわれ、子を12匹産む。そして親と合わせて14匹になる。
このネズミは、二月に子ネズミがまた子を12匹ずつ産むため、親と合わせて98匹になる。
この様に、月に一度ずつ、親も子も孫もひ孫も月々に12匹ずつ産む時、
12ヶ月でどれくらいになるかというと、276億8257万4402匹となる。
ただ、この計算が成り立つためには、生まれた子がおす、めす同数であることが前提です。
問題の正月をn=1、二月をn=2、三月をn=3という様に歳月が過ぎn=Kヶ月後、総数S(K) は
S(K)=14×7^(K-1) となり、この問題はK=12のときでS(12)=14×7^11です。
これを計算すると先の数になります。
これから解るように社員二人がこの問題の様にそれぞれ毎月12人の社員を増やすと、
12ケ月後には276億8257万4402人の社員が誕生することになる。
二年後、三年後と経過するとまさに無限連鎖です。
昭和五十年頃、このマルチ商法は未だ公に禁止されていませんでした。
マルチと言う言葉さえ知らずにいた私は新しい商法として受け止め、その拡充に努めていたのでした。
米国人はビジネスでは、販売実績、売上実績、如何に会社に利益を還元出来たかを重要視し、
金銭がベストである様に考える慣習があると思います。
実際、年金制度の無い国柄故に、齢をとったら金銭だけが頼りになってしまうという思いがあるのでしょう。
休憩しましょう。明るい詩はいいですね。希望のある詩は・・・。
緑の故郷 石川さゆり
米国はプロテスタントの国です。
一体全体、聖書を信じる人、全知全能の神を信じる人にとっては、
極めて矛盾した生き甲斐の無い国だろうと思うのですが実際はどうなのだろう?
耶蘇教を奉ずる人にとってはビジネスに生きる人は、
すなわちサタンの奴隷であり嘘、偽りを言うこの世の人です。
この世の人とは神を信じようとはせずキリストの再臨後は地獄に定められた希望の無い人であり、
光よりも闇を愛する邪悪で高慢な人をいいます。
聖書では人は神を信じる人か信じない人かどちらかである事が書かれています。
信じない人の代表がビジネスマンと言ってもいいでしょう。
なぜならば金銭を愛するものは信者ではないからです。
極端に言えば耶蘇教を信じる者にとってはビジネスマンは罪人です。
その罪人と一緒に日曜日には教会に行って聖書を読み説教を聞き、
その神を賛美し礼拝し讃美歌を歌って献金し生活をともにしています。
ですが、そのビジネスマンが一生の間、未信者であって死んだとしても、
永遠の地獄に行ったことなど決して話題にしません。
*(聖書には「キリストを信じない者は永遠の地獄に行く。」と記されています。)
ビジネスマンの方がキリストを信じて生きている人より明るく快活そうに見える。
「何か可笑しい!」と思った。
私はお金を稼ぐためにどれだけの人達に声を掛けただろう?
知人、友人と大勢の人に声を掛けたが売り上げは伸びずに只時間だけが通り過ぎて行きました。
私の組織下で順調に商品を販売し成績を伸ばして呉れた人にIさんがいました。
Iさんはある日、私にこう話かけた事が有りました。「テレビ宣伝は何時やるのでしょう?」
私も気にしていたことだったので集会が有った時に会社側に質問をしましたが、
残念にも、何月何日から放映するとの明確な返事はありませんでした。
やがて、会社に対する不信感が募って来ました。
それはこのビジネスに携わって来た人の多くが経験した事でしょうが、
働きに見合ったお金にならない事であったと感じます。
このビジネスを日本で開始する以前に、
米国の担当者達は十分に日本市場について検討して来た事は聞かされていました。
そしてこのビジネスに参加した私達は十分に会社側の意向を消費者たちに伝えて来たのでした。
だが、結果として消費者達を満足させるだけの信頼、信用性を与える事は出来なかった。
理由は様々考えられますが、会社の内部から湧き出た不信感が大きいと後になって思った。
私は思った。
「おカネとは?」
「おカネを得るとは?」
「会社とは?」
「商品とは?」
「おカネで出来ること?」
「おカネで出来ないこと?」
そもそも
「勉強とは?」
様々なことが浮かんできた。
会社の信用、信頼性に問題があるらしいが、
「だが、会社が信頼出来るなら成功するか?」
「本当にそうだろうか?」
(会社自体はよそ目には立派に見えた。)
(私はマスコミの情報操作がおカネで行われる危険性をその頃全く予想していなかった。)
様々な思いが交錯する中、私はそのビジネスから遠ざかったのだった。
それは父からの要望でもあり進学の方が大事だったという理由からだった。
ビジネスを中断して、また、予備校に通う事になった。
でも、心中、このビジネスを成功させるに至らなかった事は後々までも、
劣等感を抱かせる要因になった。
(学歴など気にしない方々が世に出て成功している事を知っていました。)
「・・・・・。」
「途中で辞めるなんて。」・・・(いつも何かに道を遮られる様な気がしていましたが。)
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「これで二度目だ。」
「否、あぁ!」・・・思わず溜息が漏れた。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
この暑さの中で、青くしなやかに柳の葉が風にゆれている。
ふと我に返った。あの時、黄昏の千波湖を見つめていると、葦の枯れ葉が重たそうに垂れていた。
そればかりかゴミとも言える白い枯れ枝で水面は荒れていた。
そして今、夏だが、何かが異なっている。
昔、耶蘇教に走っていた時と。
・・・・・。
私の周りは欺瞞(ぎまん)に満ちていた。・・・・・。
思えば遠い昔の話ですがあれからマルチ商法の被害に遭った人は大勢いると思います。
商品の生産者から消費者への流通の革命とか言って、人から人へその勧誘の手を伸ばしていく。
昭和50年代は巷にいっぱい広がっていました。
この商法について詳細に述べる事が出来ませんが、
私も解ったのは友達や親戚などとの絆を壊されてしまう事があると言う事だった。
何のためにか? お金の為に。
お金は生きる為に必要なものです。生きるために皆、働いています。しかし、ともすると、
「お金がすべて」と云う価値観が社会の主流を形成する傾向があります。すると社会に混乱を招く。
混乱が混乱を産む。絆が破壊されることがある。危惧するのはこの事です。
「お金は手段であり、間違ってもそれが人生の目的であってはならない。」事を。
現在、コンビニやスーパー、それに対応すべく小売業までタイムイズマネーで凌ぎを削っています。
一般の企業も同様だと感じます。
落ち着く時間さへ無い様に見える。行き着く先が、米国や西欧とは違う、
日本式の社会の在り方を形成して欲しいと願っています。
明日に続く各社それぞれの戦いの中で。
備考
戦後のGHQがした行いは正しくない。知れば知るほど虚しい思いをさせられる。
私が現日本国憲法の早期改正を求める理由もここにあります。
青春の光を放つ天の川
しかし、決して人生を諦めてはいません。ですので私の轍(てつ)を踏まないで頂きたいのです。
私も悲しみの中に居た時がありました。
ですが、この日本には悲しみの胸に食入る、希望の唄、
四季折々の自然のものが重なって出来た美しい旋律が多くあり、
それらに励まされ生きて来ました。・・・何か恥ずかしい気持ちですが。
クラッシック音楽も良いですが、
日本には良い曲が沢山あります。具体的に申しませんが、音楽だけではなく、
美術、文学など芸術一般において、日本の文化人の優れた表現は随所に見られます。
魚や野菜の自然の持ち味を生かした料理法など日本だけしかない食文化も同様です。
若かった時はそれが解りませんでした。歳をとる程に日本が愛(いと)おしく感じられて来ます。
・・・・・ ・・・・・。
そう。あれは私が19,20才の頃だった。私は当時バスの中でこの場所と同じ処を眺めて居た。
乗合バスは北から南へと移動していました。
黄昏時だったので千波湖に生えていた葦が湖に紫が勝って黒っぽく映っていました。
湖は太陽で青白く輝き黒っぽい葦がその面(おもて)を劈(つんざ)いて居る様に感じられた。
これは現在の湖畔ですが当時(季節は冬)は白鳥の面影は無く荒涼とした湖だったと記憶しています。
「もうだめだ、これで二度目だ。」心底そう思っていました。
当時、私は米国から日本に入って来た新しいビジネスに夢中でした。
宣伝も実績のある信用の出来る雑誌に掲載されているしその内にテレビ宣伝も始まると言う。
私は今は違うが幼い頃から米国や西欧のいわゆる西欧贔屓(せいおうびいき)な人格の持主であり、
在来の日本型の営業に無頓着な性格でした。
当時、私にとって米国は最も信頼できる国でした。だから商品が化粧品でしたがなんでも良かった。
商品については日本人に安心して使用出来ると宣伝されていました。
商品とはお客様に買って頂く物であり売るものではないと言う商いの考え方も、私自身、
聖書を信じる者でしたので、そのビジネスの虜(とりこ)になっていました。
もう内容は忘れましたが「巨富を築く十三の条件」と言う本も読みました。
このビジネスの特徴は在庫品を持たなくてよい事。問屋、大問屋にはお金を出せば成れる事。
やる気を出して販売実績を出せば日本式ではないが重役や社長にも成れる事でした。
第一、商品は自分で製造するわけではなく会社が提供して呉れます。だから販売すれば利益になる事。
しかも平社員から社長に成る為にも約200万円で成れる事は魅力でした。
ですが、学歴を重要視しないことは驚くと共に一抹の不安が過(よぎ)った。
休憩しましょう。暗い話なので明るい旋律をどうぞ。
三田明★美しい恋人たち★
「神の前には誰であろうと独りの罪人としか認められない。」と言う聖書の思いがあったから、
学歴とは人間を評価する上で神の前では無きに等しいものと感じていました。
とにかく理屈はどうであれ「好きな米国人が日本に運んで来たビジネスだ。」
「米国はキリスト教国であるから嘘などあり得ない。」とそう信じていました。
私はこのビジネスの形態と商売と言う事について熱い想いを抱いていました。
だから偉い人に会っても落ち着いてこのビジネスについて論じる事が出来ました。
ですが、実績は上がらなかった。商品も粗悪品ではなかったのでしたが。(自分も試供していました。)
製品に自信がありましたがなかなか商品は売れなかったのでした。
実際に月にどれほどの売り上げがあったか今は知る由もないですが良く見積もっても二,三万円だったろう。
だから交通費(当時はバスや電車が主流だった。)程の利益という事に気が付いた。
その頃、父が湯治場に泊りがけで行っていたことがあり、
そこで知り合ったと言う当時、理容院経営の笠間(現、笠間市)のIさんに巡り合った。
私も真剣だった。Iさんは話をよく聞いて下さった。
質問や疑問の無いように注意して細かく商法について話をした。
功を奏して、Iさんは私が一番上のクラスの大問屋(ゼネラル)に成ることを助け、
また自分の利益の為にも問屋(マスター)の販売権利金(当時のお金で八十万円)を
会社に支払ったのだった。
私はこの為に大問屋(ゼネラル)と言うトップクラス迄登りつめた。
そのため、後任のマスター(問屋)を父の弟に継がせる為の交渉に私は大阪へ行って商法を説明した。
遠くは大阪、東京、そして水戸市や笠間迄商談で出かけることも少なくなかった。
私がゼネラルの最高位に就いたので会社から100万円位の報奨金が出る事になりました。
だが、そのお金はもともと親が資金を出したものであり、また、当時、
二男(私は長男)が交通事故を起こした為、
現金は父が受け取り私が実際に見る事はなかった。
自分には入ってこない無縁なお金でした。
(が、家の為に働いた報酬金だと思った。)
そうだ。
当時、この会社が恐れていたのは「ねずみ講」と誤解される事でした。
実際に「ねずみ講」の被害に遭ったと謂う雑誌の記事もありました。
だから会社側は決して「ねずみ講」では無い事を強調していました。
ねずみ講とは無限連鎖講のことですが、
当時マルチ商法については国の規定がはっきりとしていなかったように思います。
だからこのビジネス、商法に商工会の方や踊りの先生も参加していたのです。
自分が懸命になって活動していたのはこのマルチ商法だったことが分かったのは、
この会社が独占禁止法に触れたからと聞かされ、会社が倒産して大分月日が経ってからでした。
ねずみ講の無限連鎖講とは、
江戸時代の吉田光由(よしだみつよし)の塵劫記(じんこうき)に、
出てくるねずみ算がもとになっています。
今や中学校の教科書に紹介されていますが数の解き方は高校の等比数列で習います。
参考にここに書き記します。
吉田光由の著した塵劫記(寛永8年、1631年)によれば、
ねずみ算は以下の様に記されています。
正月にねずみ、父母いでて、子を十二ひきうむ、親ともに十四ひきに成也。
此ねずみ二月には子も又子を十二匹ずつうむゆえに、
親ともに九十八ひきに成。かくのごとく、月に一度ずつ、親も子も、
まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき、
十二月の間になにほどに成ぞといふときに、二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき。
現代語訳
正月に、ネズミのつがいがあらわれ、子を12匹産む。そして親と合わせて14匹になる。
このネズミは、二月に子ネズミがまた子を12匹ずつ産むため、親と合わせて98匹になる。
この様に、月に一度ずつ、親も子も孫もひ孫も月々に12匹ずつ産む時、
12ヶ月でどれくらいになるかというと、276億8257万4402匹となる。
ただ、この計算が成り立つためには、生まれた子がおす、めす同数であることが前提です。
問題の正月をn=1、二月をn=2、三月をn=3という様に歳月が過ぎn=Kヶ月後、総数S(K) は
S(K)=14×7^(K-1) となり、この問題はK=12のときでS(12)=14×7^11です。
これを計算すると先の数になります。
これから解るように社員二人がこの問題の様にそれぞれ毎月12人の社員を増やすと、
12ケ月後には276億8257万4402人の社員が誕生することになる。
二年後、三年後と経過するとまさに無限連鎖です。
昭和五十年頃、このマルチ商法は未だ公に禁止されていませんでした。
マルチと言う言葉さえ知らずにいた私は新しい商法として受け止め、その拡充に努めていたのでした。
米国人はビジネスでは、販売実績、売上実績、如何に会社に利益を還元出来たかを重要視し、
金銭がベストである様に考える慣習があると思います。
実際、年金制度の無い国柄故に、齢をとったら金銭だけが頼りになってしまうという思いがあるのでしょう。
休憩しましょう。明るい詩はいいですね。希望のある詩は・・・。
緑の故郷 石川さゆり
米国はプロテスタントの国です。
一体全体、聖書を信じる人、全知全能の神を信じる人にとっては、
極めて矛盾した生き甲斐の無い国だろうと思うのですが実際はどうなのだろう?
耶蘇教を奉ずる人にとってはビジネスに生きる人は、
すなわちサタンの奴隷であり嘘、偽りを言うこの世の人です。
この世の人とは神を信じようとはせずキリストの再臨後は地獄に定められた希望の無い人であり、
光よりも闇を愛する邪悪で高慢な人をいいます。
聖書では人は神を信じる人か信じない人かどちらかである事が書かれています。
信じない人の代表がビジネスマンと言ってもいいでしょう。
なぜならば金銭を愛するものは信者ではないからです。
極端に言えば耶蘇教を信じる者にとってはビジネスマンは罪人です。
その罪人と一緒に日曜日には教会に行って聖書を読み説教を聞き、
その神を賛美し礼拝し讃美歌を歌って献金し生活をともにしています。
ですが、そのビジネスマンが一生の間、未信者であって死んだとしても、
永遠の地獄に行ったことなど決して話題にしません。
*(聖書には「キリストを信じない者は永遠の地獄に行く。」と記されています。)
ビジネスマンの方がキリストを信じて生きている人より明るく快活そうに見える。
「何か可笑しい!」と思った。
私はお金を稼ぐためにどれだけの人達に声を掛けただろう?
知人、友人と大勢の人に声を掛けたが売り上げは伸びずに只時間だけが通り過ぎて行きました。
私の組織下で順調に商品を販売し成績を伸ばして呉れた人にIさんがいました。
Iさんはある日、私にこう話かけた事が有りました。「テレビ宣伝は何時やるのでしょう?」
私も気にしていたことだったので集会が有った時に会社側に質問をしましたが、
残念にも、何月何日から放映するとの明確な返事はありませんでした。
やがて、会社に対する不信感が募って来ました。
それはこのビジネスに携わって来た人の多くが経験した事でしょうが、
働きに見合ったお金にならない事であったと感じます。
このビジネスを日本で開始する以前に、
米国の担当者達は十分に日本市場について検討して来た事は聞かされていました。
そしてこのビジネスに参加した私達は十分に会社側の意向を消費者たちに伝えて来たのでした。
だが、結果として消費者達を満足させるだけの信頼、信用性を与える事は出来なかった。
理由は様々考えられますが、会社の内部から湧き出た不信感が大きいと後になって思った。
私は思った。
「おカネとは?」
「おカネを得るとは?」
「会社とは?」
「商品とは?」
「おカネで出来ること?」
「おカネで出来ないこと?」
そもそも
「勉強とは?」
様々なことが浮かんできた。
会社の信用、信頼性に問題があるらしいが、
「だが、会社が信頼出来るなら成功するか?」
「本当にそうだろうか?」
(会社自体はよそ目には立派に見えた。)
(私はマスコミの情報操作がおカネで行われる危険性をその頃全く予想していなかった。)
様々な思いが交錯する中、私はそのビジネスから遠ざかったのだった。
それは父からの要望でもあり進学の方が大事だったという理由からだった。
ビジネスを中断して、また、予備校に通う事になった。
でも、心中、このビジネスを成功させるに至らなかった事は後々までも、
劣等感を抱かせる要因になった。
(学歴など気にしない方々が世に出て成功している事を知っていました。)
「・・・・・。」
「途中で辞めるなんて。」・・・(いつも何かに道を遮られる様な気がしていましたが。)
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「これで二度目だ。」
「否、あぁ!」・・・思わず溜息が漏れた。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
この暑さの中で、青くしなやかに柳の葉が風にゆれている。
ふと我に返った。あの時、黄昏の千波湖を見つめていると、葦の枯れ葉が重たそうに垂れていた。
そればかりかゴミとも言える白い枯れ枝で水面は荒れていた。
そして今、夏だが、何かが異なっている。
昔、耶蘇教に走っていた時と。
・・・・・。
私の周りは欺瞞(ぎまん)に満ちていた。・・・・・。
思えば遠い昔の話ですがあれからマルチ商法の被害に遭った人は大勢いると思います。
商品の生産者から消費者への流通の革命とか言って、人から人へその勧誘の手を伸ばしていく。
昭和50年代は巷にいっぱい広がっていました。
この商法について詳細に述べる事が出来ませんが、
私も解ったのは友達や親戚などとの絆を壊されてしまう事があると言う事だった。
何のためにか? お金の為に。
お金は生きる為に必要なものです。生きるために皆、働いています。しかし、ともすると、
「お金がすべて」と云う価値観が社会の主流を形成する傾向があります。すると社会に混乱を招く。
混乱が混乱を産む。絆が破壊されることがある。危惧するのはこの事です。
「お金は手段であり、間違ってもそれが人生の目的であってはならない。」事を。
現在、コンビニやスーパー、それに対応すべく小売業までタイムイズマネーで凌ぎを削っています。
一般の企業も同様だと感じます。
落ち着く時間さへ無い様に見える。行き着く先が、米国や西欧とは違う、
日本式の社会の在り方を形成して欲しいと願っています。
明日に続く各社それぞれの戦いの中で。
備考
戦後のGHQがした行いは正しくない。知れば知るほど虚しい思いをさせられる。
私が現日本国憲法の早期改正を求める理由もここにあります。
青春の光を放つ天の川