月風のプロフィール・・・気高く、強く、美しく生きる

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俳句、音楽を添えて

プラス思考とその対極について

2011年10月28日 10時39分48秒 | 日記
本日10月25日(火)は晴天でした。記念すべき一日でした。

尊敬する方からメールが届いたからです。

二週間程前にその方の時事問題についての本の感想を書いてメールを送っていましたがそのお返しの返事でした。

私はしばらくじっとディスプレイを眺めていましたが実際、紛れも無くその方からの便りでした。

「幸せ」を感じました。

一閃の光のように。




「人生」と云う(大きなタイトルは顔に似合わないのですが)苗木から大木になる節目には、

忘れ得ぬ人々との出逢いがあり、また貴重な本に遭遇する時があります。

本日は「プラス思考」について書こうと思います。



プラス思考・・・何故か気になる言葉です。温かみを感じますね。

良い朝の迎え方で朝食の時に「パンがいいですか?ごはんがいいですか?」の問いに、

「パンいいです」と応えるのと「パンいいです」と応える事。

同様に「コーヒー?、紅茶?、お茶?、麦茶?どれがいいですか?」の問いに、

「麦茶いいです」と応えるのと「麦茶いいです」と応える事。

自分の目的はどちらでも達成しています。

しかしものに対する考え方が違います。

いいです」と応える人はパンや麦茶を粗末に扱っていませんか?(笑)

朝ごはんや朝の飲み物たちに対して幸せを感じるか否かです。

」ばかりを日常の生活習慣にしている人と、

」ばかりを使いながら人生を進んでいる人の差は雲泥です。と有りました。


一休みしましょう。
洋楽より「汚れなき戯れ」をどうぞ。
マルセリーノの歌(日本語版) La Cancion de Marcelino (in Japanese)


愛と青春のシネマ年鑑(2)哀愁のヨーロッパ映画ベスト
ソニー・ミュージックハウス



思い出すと私は前者でした。

何故なのか? 

「聖書」の教えが閃(ひらめ)いて来ますが、それには,

このものの考え方もマイナス思考と云う事も書いてありません。

「聖書」ではどんな事も耐え忍ぶ事を説いています。

それは、キリストが全人類の罪を一身に背負って、

あの十字架に架かって息を引き取った事が書いてあるからです。

ですが人間はそんなに強く、賢く、美しく生きられないと思います。

生きている間には様々なことがあります。

耐えられるだけ耐えていくと次第に服従する様になってしまうと思います。

ほとんど諦(あきらめ)の心境になってきてしまうのでは。

自分はこれがしたい、あれが欲しいと思っても、

それが肉による欲なのかどうかを吟味(ぎんみ)するようになります。

信仰を持つとは、肉の欲を避(さ)ける事であるからです。

「欲との戦い」

この「欲との戦い」の結果から、自分を否定した人間が出来上がる。

こういう人は一般の人から見ると異質で変わった人間性の持ち主とみなされます。

社会的には「主」というよりも「従」のような立場におかれる人達になる思います。

かつて、宗教革命以前の修道院にはこのような男女が大勢いたと思われます。

彼らの中には年頃になって「結婚」したくても出来ない人たちがほとんどと言う程いたのです。

その人達の気持ち、解る気がします。

勿論、「聖書」では表向き「結婚」を認めています。

しかし修道院の中では男女の交際は認められていませんでした。

ですから、マルチン・ルターの宗教改革は必然的に起こったと思うのです。


昔、遠藤周作さんが狐狸庵(こりあん)先生と呼ばれていた頃、先生がそのお父さんによって、

カトリックの洗礼を受けた事を、後のち、

思い出しては後悔の念を抱いていたと語っていました。それをテレビで見ました。

先生はあるいは私とは違った面でその意思を表明していたのかもしれません。

当時、私は著書「沈黙」をよく理解していませんでした。沈黙とは何かは?でした。

これに反して、キリスト者として、終生、その信仰を貫いた為に、

死ななければらなかった女性の一人に細川ガラシァがいました。

彼女は明智光秀の娘で細川忠興(三斎)の妻でした。

NHKのドラマで見ましたが、彼女の最期は壮絶でした。



史実を知ることによって日本では吉利支丹は排斥されたことを知りました。

それは「聖書」が純然たる宗教の場を超えて政治と関わり合って、

アフリカ、印度、東南アジアの人々を奴隷にし植民地化する要因を持っていたのを、

歴代の日本の為政者達、武士達は数々の事件を通して知ることになった為でした。

その為に日本では切支丹は売国奴(ばいこくど)とされ、キリストを信じる人は、

困難の続く果てが悲惨な結果になりました。

これをキリスト信者は迫害と呼ぶけれど、

売国を目的にする者を排斥するのは当然の事だと考えます。


私は47歳頃になって、或る事件がきっかけで聖書から離れました。

それ故、こうして、この文を書いていますが、

もう聖書と共に歩こうという気持ちにはなれなくなりました。

生きていくのに、変に自分を卑(いや)しめ、

堂々と胸を張って生きていく自信が持てなくなってしまう危険性を有しているからです。

また学校で教えられるのは大東亜戦争でさえ日本が先に米国に戦争を仕掛けたと言う事ですから

簡単に自虐史観(じぎゃくしかん)に陥(おちい)ってしまったのです。

ここからは大東亜戦争の真実を知っている人は読み飛ばして⇒ A に進んで下さい。





※1)ここで少し、第二次大戦について書きます。

1939年(昭和14年)9月、ドイツがポーランドに侵攻したところから第二次大戦が始まりました。

この時点では日本も米国も開戦していません。ところが40年、ドイツはパリを占領、

フランスを降伏させ8月からはイギリスを空爆開始、41年6月にはソビエトに侵攻。

41年中頃にはドイツ軍はヨーロッパの大半と北アフリカの一部を占領するなど

圧倒的な優勢を保っていました。


もう一つ重要なのは中華民国です。日本軍の攻撃で首都南京は37年12月に陥落、

どんどん中華民国政府は四川省の重慶への疎開を余儀なくされていました。

イギリスのチャーチルも、ソ連のスターリンも中華民国の蒋介石(しょうかいせき)もみな

兎に角、早く米国に参戦して貰いたかったのです。当時米国はすでに世界最大の工業国

になっていましたので、米国の兵隊を送ってくれなければ彼らは各個撃破(かっこげきは)

でやられてしまうというところまで来ていました。ですからみなルーズベルト政権に対して

第二次大戦に参戦してくれるよう働きかけていたのです。

スターリン、チャーチル、蒋介石にはルーズベルトとの深い関係があった、

ことは是非覚えていて下さい。

ルーズベルトは米国の大統領ですが冷酷な独裁者スターリンには特別の親しみを持っていました。

彼の側近やブレーンにもソ連のスパイやシンパ(共鳴者)が山のようにいました。

彼は社会主義こそが新しい時代のトレンドであると考えていましたので、

スターリンと世界観が一致していました。

忘れてはいけないのは蒋介石は夫人である宋美麗(そうびれい)を

米国に送り込んだということです。

彼女は浙江財閥(せっこうざいばつ)の当主(宋嘉樹(そうかじゅ))の三女でした。

その財閥の金を米国のあちらこちらにばらまきコネクションを作り、

ルーズベルト大統領の妻エレニアと親密な関係になったことや

アメリカ全土をまわって英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けました。

このとき、蒋介石は米国内のキリスト教会を煽(あお)って、

「日本は悪者であり、チャイナはその可哀想な犠牲者である。」という

プロパガンダを米国中に広めています。

こうして戦中反日になった教会関係者は多くいました。

地方にはグッド・クリスチャンの信者が多くいます。

その人たちが、聖職者から「日本人は悪い奴らだ」「チャイニーズはかわいそうだ」

という話を聞かされるとそんな嘘の話でも当時は疑いを持たれること無く

米国社会に浸透していきました。

もうひとつ重要なのはフランクリン・デラノ・ルーズベルトの

母親サラ・デラノの家系であるデラノ一族は、

19世紀からチャイナ貿易で財を成したファミリーだったことです。

彼らは米国で大陸横断鉄道建設の労働者をチャイナから苦力(くーりー)と

呼ばれる労働者をいっぱい連れて来て酷使しました。

奴隷同然の過酷な労働をさせるために阿片(アヘン)が売られていたと言われています。

阿片とチャイニーズ労働者に関わっていたのが

ウォーレン・デラノというフランクリンの祖父でした。

彼の家にはチャイナの古い美術品がいっぱい有ったそうですから

チャイナ贔屓(びいき)になるのは当然だったと言えるでしょう。




※2)私はここで言いたいのは。大東亜戦争を引き起こしたのは、

米国大統領、ルーズベルトの「戦争を始めたいという狂人(マッドマン)の欲望」であった。

と言う事が明らかになったことです。今になって解ったことですが、

戦前の我が国の中枢を占める主要な人物がことごとく悲劇にあったと言う事です。

戦前の平和な日本の様子は70年程を経た今日、ようやく日の出を迎え、

史実が次々に甦(よみがえ)って来るのです。

先祖を敬ってきた日本人の歴史、文化、伝統が再び甦った思いです。






⇒A

私はそれらに対し「プラス思考」という考え方があるように思いました。

今日では「プラス思考」が具体的に良い結果を得ることが出来ることを

多くの知識人によって明らかになっています。

私もこの「プラス思考」で行きたいと思っています。


一休みしましょう。
レーモン・ルフェーブルから「シバの女王」をどうぞ




人生は一度だけです。私は「プラス思考」と言うことを考えて見ました。

プラス思考とは何事においても、きっとうまくいくさ、

何とかなるものだなと良い方向に考えが向くこと。

特に、悪い状況の中でも前向きに考えること。物事を肯定的にとらえる考え方。とある。



ではどうしたら現状を原点として今後を前向きにプラスに持っていくか?

私はどうしても帰らぬ昔を引きずってしまう。(これがマイナス思考だなぁ)

このままでは駄目だ。



私も幸せになりたい!

その為に、

次のⅠ、Ⅱを実践しようと思いました。



Ⅰ.夢を叶える事が幸せの一つだとしますと


  悔いのない一生を過ごすために、自分に正直になる

  夢が叶えられたらと心に描く    (最初は小さな夢を)(発心)

  小さな夢を実現しやがて大きな夢を (自分だけでなく多くの人が幸せになる夢を持つ)

  実現に向けて行動する



夢が叶う法則は次の3つとある。

①毎日夢を確認し続ける

②具体的にイメージ、想像する(胸が高鳴るくらい)

③具体的に動いて進んで行く






Ⅱ.好きなもので自分の周りを囲むことが幸せの一つだとすると


  身の周りのすべてをよく観察する

  (ごはんからおかず、茶碗からお箸、時計から服装等一切合切を観察する)

  良く観察するとそれがいとしく感じる

  (好きなものとはその対象物から愛されているものだと思った)

  ものを大事にすることがそれらから愛されることになる

  好きなことや好きなものをいっぱい身の周りにつくる

  人生を楽しむ




嫌いなことだけしている程人生は長くない!

人生を楽しむ事が出来るのは素晴らしいがその基礎を築くのは容易ではない

こう考えるのは何か偉い人物になりたいと思っているからだろうか?

そうかもしれない

でも私は貧しくても幸せになることが出来るような気がします

この日本なら。

否、否、清貧に生きればきっとお金にも恵まれるのが、

日本だと思えて来た

しかし、どんな仕事に就こうとも楽しくないと続かないだろう

楽しくないものを楽しく出来るのはプラス思考が身に付いている人だろう

とにかくプラス思考の出来る人は羨ましい

「バラ色の人生」かくの如し

自分にも出来そうなのは「楽しさ」を感じる事かな

毎日を楽しくする為に「楽しさ」をいっぱい発見しようと思いました。



山河や 緑の風の サイクリング


備考
ここで2曲の洋楽をYOUTUBEより聴いて頂きましたが私は現在キリスト教には無関係の者です。
音楽として、その旋律或いは歌詞その物を知ることは人生の励みになることと思いました。
あしからず。








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