写真をいっぱいいただいていました。
今頃かい?と、叱られそうですが…
写真についてのご説明は、バトンタッチします。よろしくお願いいたします。
まずは、イタリアに行かれたツトム君から3枚だけ。10日間も行かれたのに~~
「ふ」さんからはとってもきれいな紅葉と、プラス~は?いいでしょ。
最後になりましたが、住真君の写真いただきました。なつかしいですね。
それぞれのご感想はそれぞれにお任せしますので、いっぱいご感想お寄せ下さいね。
わたしの感想からは、管理者として見守る側にならせていただきまぁす。(*^_^*)
今頃かい?と、叱られそうですが…
写真についてのご説明は、バトンタッチします。よろしくお願いいたします。
まずは、イタリアに行かれたツトム君から3枚だけ。10日間も行かれたのに~~
「ふ」さんからはとってもきれいな紅葉と、プラス~は?いいでしょ。
最後になりましたが、住真君の写真いただきました。なつかしいですね。
それぞれのご感想はそれぞれにお任せしますので、いっぱいご感想お寄せ下さいね。
わたしの感想からは、管理者として見守る側にならせていただきまぁす。(*^_^*)
手が、抜けなくなった時は、焦りましたよ♪
2枚目は、フィレンツェのドォーモ。
今回の3つの目的の、ひとつ!!
年老いた身体で、階段登るの、必死でした。ヤッサンや、住田見たいに、日々身体を、鍛えてる訳じゃねぇーし。大変デシタワ~
ほんで3枚目が、ヴェネチアのドォーモ広場で、面をつけて、ハシャギ回るーバカな日本人二人!!不思議なことに、殆どのお店で、お面が、売ってあるのに、誰一人被ってなくて…面をつけるのは、マナー違反???
ふじもん♪最後の写真はー
タヌキの、入浴シーン??かな?
最近のご婦人や、若い世代の方々は、ご自身のポーズ を、持っておられて 非常に美しく 出来上がりますよね。
いまだに、写真撮られルと。魂が~ というタイプなもんで、
わたしさん!このへんで、お許し下さいませ♪!!でした。
この4人が、職場の仲間から続いている、40年近くの遊び仲間です。悪乗り大好きなおバカな仲間です。
この、神社のようなコテージに2泊しました。中は中2階で見た目よりは広いです。雨に閉じ込められて、誰かが「牢屋にいれられたみたい」といっていました。食事と大露天風呂は広い本館に行くのですが、大半の時間は、ここで花札トランプをやっていました。ベランダの奥に露天風呂がありました。ちょうど建物の奥になっているので戸や窓を全開にして、自然と一体になってきました。それは、心地よかったです。といいたいところですが、本当は、覗く3人に「あっち、行け」と怒っているところ。
毎年犬に干支の着ぐるみを編んでいたのですが・・今年は・・・いない・・・
寂しさがここで、またまたぐ~~んと。(・_・;)
フィレンツェのドゥオモに登られたのですね。永遠の愛を誓う場所と、もてはやされえていますね。
きれいな娘さんが、面で見えない・・・・残念!!
「写真撮られルと。魂が~ 」(^◇^)ツトム君の魂をすいとると、遊び人になっちゃうのかな?真面目なわたしにはすこしその魂いただきたいかも~~
え??写真もう終わりなん??
「ふ」さん 気心知れた方たちとフィーバーな様子が写真からも読み取れますね。さすが、台風をけちらかしただけのことありますね。黄色い山、きれいですぅ・・。雨の後だから余計に色が鮮明だったのでしょうか。
関西はこれからですね。紅いもみじ見に行きましょうか?ふじもん♪
住田君 写真早々にありがとうございました。街で、おみかけしても、きっとお声掛けできそうです。あ、関東におられるのですね、だったら・・無理か・・・
三連休ですね。さあ、どこに家出をしようかな??
「十二月の平日に、大宮に行くので僕の会議が終わったら逢おう」と伝えたら、間髪を容れずに、「予定がないから、逢おう」とサラリといってくれた。
これこそ、親友やな。自分の時間を犠牲にしてくれる。まるで、河島英五の「時代遅れ」の世界だな。心が熱くなってくる。
今回の還暦の祝いに駆けつけてくれた人たちも、僕にとって大切な親友で、一生の宝だと思う。こんなヤツですけど末永くよろしくお願いします。少し友情に酔ってしまったかな……。
先週の金曜日に高尾山、昨日甲府・昇仙峡、紅葉には少々早過ぎました(紅葉狩りが目的ではありませんがーー)。本日は甲府から超遠回りをして長野・善光寺経由で帰宅。「ふ」さんの長野・上高地は今頃真っ赤でしょう!お風呂の写真最高です。
善光寺の本堂の地下(お戒壇)は真っ暗で何も見えない闇の世界。楽しみました。目を開けて見る闇の世界、チャンスあれば是非訪問して下さい。
私の写真は筒井台中学同窓会の一週間前の高校の同窓会@六甲山荘での写真です。卒業以来初めての再開でした。懐かし!
中学はさらに懐かし&懐かし!筒井台中学ブログ発見以来、いろいろな方々からメール等を頂き感激しております。昨日はasaさんと電話でお話、高校等は異なり幼馴染とのコンタクトは又格別なものがありますね。ブログ担当”わたし”さんには感謝です。
楽天優勝か!?
小学校三年生の頃、巷では、三波春夫の「五輪音頭」が流れていた。オリンピックを楽しみにした僕らは、この時から「立ちション便は国の恥」と、溝に放水している大人たちの後ろを、通りすがりを装って突然の大声で嫌がらせを言ったものだ。もちろん殴られてはたまらないから、おしっこが止められないタイミングを見切って声を張り上げるのだ。でも、天に唾を吐くというか、僕らもいつの間にか恥ずかしくなって、日頃の立ちションができなくなっていった。国家も僕らも窮屈ながらも世界に恥じない常識ある日本人になろうと努力していたのだ。
この時期、このクラスには川戸がいた。彼は宮本通一丁目の一番山側に在る県の職員住宅に住んでいた。当時、持ち家に住んでいても庭など持てないご時世だったのに、社宅といってもバカにはできず広縁も在り垣根に囲まれた庭を持ち、その平屋の家はちょいと古いが風格のあるモノだった。だから彼は、お坊ちゃまのような受け答えが板に付いていた。三年生の初めての委員長選挙で彼に僅差で負けた。おまけに担任の独善的な義務教育の理屈のために、3位で得票数の少ない田畑女史が男女雇用均等法の恩恵を受けて副委員長になってしまったのだ。僕は、決選投票も投票数に応じての役割分担にも明確な説明もなく、義務教育のせいにしてしまうこの担任にはなじめなかった。ふてくされた僕はというと、良い子の生き方を捨て、タダの少年としての裏街道人生を歩むのだった。ほんまか!?
ガマグチもいた。放課後遅く教室にランドセルを取りに帰る途中、擦れ違いざまに川戸が「一人残っているヤツがいるから、アホ、ゆうてみ。面白いことが起こるぞ」と、ニヤリと笑った。言われるとおりにすると、ゴリラのように怒りだし、椅子を幾つも投げてきた。よく見ると、川戸たちも投げられたのか、机と椅子が散乱していた。「アホ」といわれると爆発して荒れるヤツはそんなにいないので、どこかで利用できると思った。が、この場合、逃げるが勝ちだった。こんなヤツと四年間も同じクラスとは……トホホ……。
宮山サヨ子もいた。初めは目立たない女の子だったが、スポーツも勉強も良くできて瞬く間に頭角を現した。彼女にはあることで世話になった。改めて礼を言いたかったのだが、今回の「青春復活会」には欠席していたので残念で仕方がない。来られることを期待する。
山吹の誕生パーティもした。彼の近所には、玉利・宮下もいた。
3年生の時に、勝間が奄美大島から転校してきた。ひどい訛りで大和言葉が話せなかった。良い子の川戸は、担任に「委員長だから、転校生に仲良くしてあげなさい」と押しつけられたが、意思疎通がはかれず2週間でギブアップした。勝間は恥ずかしがり屋なので、みんなと一緒に給食が食べられず、その時間になると忍者のように教室から消える。毎日、僕がトイレや校舎の裏などを探し回って諦めて帰る頃には、昼休みも残りわずかしか無かった。校庭にある体育用具倉庫のマットの隙間に、彼を見つけ出すのには何日もかかった。でも一緒になって遊び始めると親友になり、島の言葉を暗号代わりにして、いけ好かないヤツラの目の前で悪口を言って笑い合った。いわれたヤツラは、きょとんとしていたが。
4年生になると、宮内が転校してきた。勝間より大和言葉がしゃべれたが、アクセントとか言葉尻に島の言葉を匂わせた。一年の間に標準語教育が進んだのだろうか、臆せずペラペラと喋る。島の遊びだというので王子児童文化会館のソテツの葉を二人で引き落とす競争をしていると、館長に見つかって注意を受けた。「初代のこの木なんの木、気になる木は、島の小学校に植えられているガジュマルの木だ」と、校庭の真ん中に鎮座した傘のような大木の写真を見せられた。神戸に来て、チキンライスが気に入ったのか、「ケチャップご飯、ケチャップご飯、食べたいな」と歌うようにいっていた。ある時、赤いソテツの実をくれた。振るとコロコロ鳴った。「実は毒だけど、晒して粉にして味噌を造るんや。こくがあって豚肉やミカンをつけたりもするんや」と、島の風習や食文化を教えてくれた。
桐山もいた。彼は幼稚園の同級生で、幼稚園の備え付けの粘土のほとんど全部を独り占めしてゴリラをつくった。幼稚園児が褒めそやすので得意になっていたが、所詮、出来の良い幼稚園児の作品だと心で笑っていた。その僕はというと、残りの少量の粘土を転がして蛇をつくっていた。あまりにも粘土が少なすぎて、蛇以外造りようがなかったからだ。ボロ家に住んでいるくせに僕の家をボロ家だと言いふらすので絶交した。三年生になってまた友だちになって欲しいというのでなってやった。算数の問題をどちらが先に解いて先生に褒めて貰えるか競争をしようというので挑戦を受けたが、僕が勝つようになると、「算数は回答までの道筋が幾つもあるから、できるだけ沢山見付けて先生に診て貰おう」といってきた。僕らだけがはしゃぐので、担任は厭な顔をしてきた。彼は空気が読めない。僕はばかばかしくなってきた。道筋のいくつかは、数式の順番を入れ替えることだけで、革新的な発見ではないからだ。彼は頭が良いのだが、空回りしている自分に気が付かないので、傍にいる僕にとばっちりが来る。困ったヤツだ。こんなヤツだが、僕に読書のおもしろさを教えてくれた。「昨日、ドラキュラを読んで怖かったので、夜トイレに一人で行けなかった。お前も読め。感想を聞かせてくれ」といって本を押しつけてきた。「牡丹灯籠の方が怖いわ」と感想を述べると、今度は「坊ちゃんを読め。感想を聞かせてくれ」といってくる。彼は対人関係に距離感がない。自分の感動したことは、親友なら同じ価値観を共有するものだと勘違いしている。そのほかに戦艦大和の話しやプラモデルの話しやで、ずかずかと僕の精神世界の中に土足で乗り込んでくる。面倒くさいので、捨てた。六年生になった頃、ローラースケートが流行った。桐山は八幡さんの石畳で、独りで滑っていた。懐かしそうに僕を見るけど、彼には、独り遊びが似合っていた。
ふじもとさん、これ位で桐山の話はよいかな。まだまだあるけど知らない方が、君の思い出を壊さないでよいと思う。
この頃から少年マンガ誌は忍者特集をしていて、忍者遊びは僕らのブームになっていた。それ以前は、忍者が九字を切って蝦蟇になったり巨大ムカデになったりする変身モノで、グロテスクすぎるのと仰々しい物語が時代遅れで面白味がなかった。そんな時、伊賀の影丸と天野邪鬼に人気が集まった。僕らは、影丸になって枯れ葉の塊を両手で空に放って、「木の葉隠れや」と得意になっていた。降りそそぐ枯れ葉の中にはヤスデやダンゴムシや砂粒が紛れ込んで髪の毛や下着に忍び込むので気持ちが悪くなって「木の葉隠れ」は止めた。集団で遊ぶには、影丸と天野邪鬼の取り合いになって、その他大勢の子どもたちは脇役にさせられるため面白くなくて、口喧嘩になり嫌けが差して遊びが止まることもあった。愛読書としての「伊賀の影丸」は息が長かったが、忍者装束が用意できないので、ハリマオほど、その気になれず遊びの寿命は短かった。
そんな時、「忍者部隊月光」のテレビドラマが始まった。4年生も終盤の時だった。月光とその仲間は、ヘルメットを被っていて関東鳶のオッサンのズボンをはいて自衛隊もどきの格好をしていた。この遊びは取り残されるヤツがいなくて、集まったみんなに配役ができるメリットがあった。それにヘルメットを被るだけでその気になれたので楽だった。それでヘルメット収集家の川戸の家にみんなが集まった。ひとなっこい彼は、その笑顔で工事現場のおじさんにヘルメットをもらってくるらしい。
川戸の家に数人集まると、まず主役の月光は誰がするかで、子どもらしく揉めた。主役の水木襄はポッチャリしていて躯の大きい屋敷恒に似ていたので、ゴン太の屋敷に決まった。順番に月輪、名月、月影、新月、半月と決まっていった。一番格好いいヘルメットを川戸が被り、二番目のは屋敷で、と順番に決まっていった。最後に残ったヘルメットは、もちろん僕が被らされた。格好いいヘルメットとはドイツ軍かアメリカ軍ので、このヘルメットは、イタリア軍のヘルメットに似ていて、色は緑がかった灰色で、トイレの消毒液の入った洗面器に似ていて平たく、お洒落とはほど遠く被っているだけで笑い種になった。被ると気力が萎えて、勇者には程遠い姿が我ながら情けなかった。それだけではない。みんなに内緒にしていたのだが、幼児の時に見ていた、肥桶を天秤棒で担いだ汲み取り屋のおじさんの帽子に似ていたのがさらに情けない気持ちにさせた。だって、これから忍者走りをみんなでするのに、最後尾で僕だけが肥樽を担いでチャッポンチャッポンいわせてついていくのだぞ。こんな姿を女の子になんか見せられない。ご先祖様に合わせる顔もない。なんてこった。
ヘルメットを被り忍者になっても、傍のテニスコートの土手に上がり茂みに隠れ飛び降りるだけの単調な遊びは、30分もすると飽きてしまい、川戸の庭で群れあってボーッとするだけだ。次の遊びの斬新な発想もなく夕暮れを待つだけで、時間の無駄だった。ヘルメットを返して帰ろうとすると、「誰も被らないからプレゼントする」という。親切ごかしの嫌みだ。しかたなく家に持ち帰り軒の釘に引っかけておいた。風が弄ぶだけだった。
五年生になると忍者部隊月光ごっこも既に飽きていた。川戸ともクラスが違っていたので、それ以後、彼とは遊ぶことも言葉を交わすこともなかった。
宮山とはまた同じクラスになった。成績はダントツで、他の追従を許さなかった。「キューポラのある街」の吉永小百合に似ていると思った。ハイビスカスを思わせるキュートな原山と、放課後二人きりになるといつの間にか、心はときめいていた。中村孝二が新学期から鹿児島より転校してきた。目鼻立ちのシッカリした男前で勉強もできたので委員長になった。鹿児島訛りはなく標準語を意識して喋ろうとしていた。それが下町の僕らには嫌みであった。中学3年生の時は一緒に勉強したり、高校卒業してからも将来を語ったりした親友であったが、その時の中村は、虫酸が走るほど嫌いなタイプのヤツだった。
他に五年生の時、中須賀が、広島から転校してきた。夏の終わりの書道の時間だった。ゴミ箱の臭いというか動物が死んだ臭いというか銀杏の実の熟した臭いというか分けの分からぬ臭いが、谷間に広がる靄のように僕の鼻腔に侵入してきた。「あっ! 腐っている」という声が後ろから聞こえてきた。書道の時間にいちいち墨をするのは面倒くさいから、中須賀は広島で春先に墨を一本すって墨汁をマヨネーズの容器に入れてきたらしい。夏の間に、膠が腐っていたのだ。その時の僕らは初めて墨も腐るのだということを知った。まだ、墨汁が市販されてなかった頃に、墨汁を造る発想はすごいことだと秘かに思った。とりあえず、親友の一人に加えることにした。クラスでは、広島弁の田舎モンで愉快なヤツということで受け入れられた。
入れ替わるように、幼なじみの寺師敦子が転出していった。食の細い子で、「給食を美味しそうに食べる、ぼくちゃんがうらやましい」とお嬢さんぽくいうから、「嫌みか? 口をつけたモノは例え不味くても、作ってくれた人に失礼やから美味しくいただきなさい、といわれているから守っているだけや」とふてくされた。彼女の家の前には当時珍しいスクーターがあったので、いつでも少年ジェットになれた。彼女のお父さんは三菱自動車の社員で、当時はスクーターも造っていた。早稲田から学徒出陣した特攻隊の生き残りだった。「出撃したが、エンジン不調で墜落し、機体が木に引っかかり生き残ってしまった。出陣した戦友には申し訳ない……」といっていた。父親も「ベトナムでは、陸揚げした本土からの戦闘機は、そのままでは飛ぶことができなかったし、技術者のほとんどが兵隊に取られてしまったせいやから、しょうがない。今生きていることを感謝せなあかん」と慰めていた。青い目の日本兵とか武装解除した後の山のような兵器を中国軍から身を挺して守り、顔見知りのベトナムゲリラに引き渡し、独立に協力するため一部の者が現地に残ったという話しを父から聞いていた。中学生になるまで僕らの周りでは、ごく自然に戦争が語られていた。ところで、「あっちゃん」はというと、大人になったら綺麗になるだろうと予感させられたので、今頃はたぶん……。
6年生の春には森脇陽子が、岡山から転校してきた。少しポッチャリしていたが、お嬢様風で、下町の野菊の中ではバラの花を連想させた。類は友を呼ぶのか、宮山と原山とは直ぐに友だちになった。夏も近づく頃には、花壇に手入れされたバラが咲き乱れていた。
「岡山では、紙石けんの代わりに、バラの花びらを揉んで泡立てるの」
「ほんとだ! 泡立っている」
「香りも良いわ」
僕は真似した。この喜びを独り占めできなくて、友だちに話すと、瞬く間に花壇からバラの花は消えていった。形あるものはいつかは滅びるか……。
木枯らしが吹く頃、彼女たちはテレビの歌合戦に出るために、吉永小百合の「寒い朝」を練習していた。負けずに僕らも混乱合唱団を結成したのだが、夢のまた夢だった。
――小学5年生になると、巷では東京オリンピックの話題で持ちきりだった。
町並みは益々変貌していった。節穴の目立つ板壁で屋根がコールタール紙やセメント瓦で葺かれたバラックが、モルタル二階の一戸建に代わっていった。高度成長で屋根が高くなり、路地裏の僕らの青空は狭くなっていった。
勉強とは無縁の僕らだから、少年漫画に忍者屋敷の特集があったので「忍者屋敷を作ろう」と、新しいクラスのメンバーに声をかけた。
「そんなん無理や。子供にできへんわ」と、みんな諦め顔で答えた。
「出来るわ。空き家探してこいや」
忍者の上人のように偉そうに言うと、チビタが目を輝かせた。
「俺、空き家、知っとるわ。それも沢山あるんや」
王子公園の向かい、原田神社の西隣に住民が失踪したのような県営住宅があった。放課後に、金槌、鋸、斧、鉈、くぎ抜きを手に手に持って、空き家に集合した。平屋を囲んだ白塗りの板塀は白装束を纏った人のようで不気味な建物だった。ただ、白板は夕日の朱を反射していた。僕らの忍び込む家は、外部からの侵入者を阻止するように雨戸が閉まり玄関は板で打ちつけられて、光の侵入さえも拒んでいた。以前に誰かが侵入したのか、玄関のガラスは割られていた。くぎ抜きで一部を外し、僕たちだけが入れる空間を確保した。
本当かどうかは分からないが、ここは一人暮らしのお婆さんが自殺したという曰く付きの家なので、怯えながら忍び込んだ。勿論、一番臆病な僕は、みんなの尻について入った。一番先に逃げられるようにと、考えていたからだ。中は真っ暗だった。
しばらく暗闇の中にいると、雨戸の隙間や打ち付けられた板の節穴から光が洩れているのがハッキリわかるようになった。埃を浮かび上がらせるその光線を頼りに探検が始まった。節穴からの光芒が幻灯機さながらに戸外の風景を陽炎のように壁に写しだしていた。
「ギャー」と、坊主頭のチビタが、右手に掴んだ物を僕らに見せた。筋状の外光に眩しく浮き上がったのは、白木の位牌だった。僕は奥の部屋を指さした。影が揺れていた。
「婆さんがこっちを見ている」
僕は一番先に逃げ出したつもりだったが、こいつらは取り残されるのが怖くて、お互いの服をつかんでは自分だけが助かろうとする。勇気がないもの同士が狭い出口に団子状態になった。こんな時は、友情とか強い弱いとか関係なくなる。臆病者ほど、仲間意識を置き去りにして逃げるし、逃げ足は速い。チビタは腰が抜けたのか、一番最後だった。
「お前、右手に、なに持っとんや?」
「あっ!」
チビタは小さく叫ぶと、草むらに捨てようとした。
「位牌を粗末にすると、祟られるぞ」
というと、チビタは震えながら僕の手を引く。他のヤツに視線を移すと知らん顔だ。
「お前ら、冷たいヤツラやな。絶交するぞ」
「そんなことぐらいで、大層なこと言うな。びびりか? さっさと返してこい」
もうすぐ日も暮れる。枯れ野に埋まる無縁墓地の様相を示している住宅街の草っ原が、風に揺れるだけで肌が粟立つ。勇気を出して、チビタを先に歩かせて、あの暗闇に戻ることにした。チビタはしきりに振り向き僕が直ぐ傍にいることを確認する。声をかけるとピクリと肩が動く。自殺したお婆さんが待っている奥まで行けなかったが、二人で抱き合うようにして、位牌を元の場所に返し、跳んで逃げた。
僕たちは祟られるのが怖くて、この家を忍者屋敷に改造することができなかった。
五年生ともなれば、待ちに待った国家事業でもあるオリンピックが、僕らの全てであった。だからオリンピックが終わるまでは、忍者屋敷を作るのを忘れて、オリンピック関係の新聞記事を切り抜きノートに貼り付け感想文を書いていた。僕らが生きている間には二度と日本では開催されることもないといわれたオリンピックに、誰もが夢中になっていた。記憶に焼き付けようとしていた。
オリンピックも終わると、毎日が刺激的でなくなった。遊び好きといわれるチビタは、家に帰っても、母親が仕事から帰ってこないので、寂しいから、日没までブラブラしていた。僕の顔を見ると何かいって欲しいような表情をしていた。ある秋の放課後に提案した。
「もう一度、忍者屋敷を作らへんか」
「作りたいけど、原田神社の西隣の県営住宅は、お化け屋敷やから、あそこはあかん」
チビタは震えながら言った。
「他にも、まだ、空き家はあるから、探しに行こう」
と、ユキオは思い当たる節があるみたいだった。
「みんなで時代劇に出てくる吊天井を作ろう」
ユキオの努力の甲斐もあって、次の物件は宮本四丁目にあった。解体間近なのか、玄関扉も窓も取り外されていた。ガラーンとした狭い室内が夕日に黄色く染まると、古びた室内が更にみすぼらしく見えた。晩秋の日暮れは早い。日が沈むまでに、できるかぎりカラクリ屋敷にしようと、改造に取り掛かった。直ちにみんなで天井裏に潜り込んだ。
吊り天井といっても、時代劇で悪人が綱を引っ張るとガラガラと音を立てて下りてくるようなものは子どもにはできるわけがない。それで天上のベニヤを支えている角材を切って落下させることにした。もちろん悪い奴をペシャンコにするためだ。
天井を支えている「大三」という角材は子供にも切りやすい。4人が踵を踏み落して天井を落下させるのには、四方の面の中央の1か所だけを残して後は切断することが良いのに気が付いた。大切なのは、天上の重さを支えながら、足で軽く蹴っても落ちるような切れ目の入れ方だ。中央4か所の切れ目の入れ具合を確かめるために、鋸で少し切断しては、踵を踏み落す。何回も繰り返しながら2、3ミリ程度残して切れ目をいれると良いことが分かった。悪い奴よ、下敷きにしてやる、と決意した。それが励みになったが、子どもの力では思ったほどはかどらなかった。黄昏が迫ると中途半端で、今日は、帰ることにした。
何日も地味な作業が続いた。
その日、チビタは天井に乗って、丁寧に切れ目を入れていた。僕は斜めから見ていた。この数日、自分の持ち場だけではなく他人の持ち場まで鋸を入れていた。最後の仕上げで自分の持ち場に少し鋸をいれると釣り天井は出来上がる。天井はギイギイと泣き、チビタの体重を受け止めるのが精一杯だった。遅れてきたユキオが、僕に元気な声を掛けてきた。
「チビタも天井裏や、早よう上がって手伝え」と言うと、慌てて柱を登ってきた。
ユキオはその勢いで、天井をドタドタ踏んで奥のチビタに近づいた。その時、ミシミシという音がバキバキという音に変った。チビタは大きな目を剥いて振り返った。眼球がポロリと落ちて脳みそがはみ出しそうだ。笑いそうになった瞬間、天井は獅子舞の口のようにパカッとユキオの足元から開き、ユキオは井戸に落ちるように垂直に消えた。チビタは天井裏を転がりながら落ちて行った。ドスンと大きな音の後、この家の歴史を感じさせる埃りが舞い上がり、二人を消した。咳き込んだ僕は幸いにも屋根裏の梁につかまっていた。
無音が広がった……。
二人は死んだのか?! ぶら下がったナマケモノのような僕は、ヌーッと見回した。
「ウー、痛いよ、痛いよ」
チビタの弱々しい声が上がってきた。
「ユキオはどうなった? 生きてるか?」
声を掛け合うと、鴨居にぶら下がっているユキオが、すまなさそうな顔でチビタを見下ろしていた。幸いなことに身軽なチビタは、かすり傷ですんだ。下町の子どもは不死身だ。折角の釣り天井は、悪人を下敷きにする事も無く、最大の貢献者であるチビタを懲らしめて、台無しになってしまった。
別の日、別の物件では、知らない間にみんなで改造に着手していた。呼ばれた僕が何気なく壁にもたれると家が傾いたので驚いた。気のせいだと思い、両手で押すと、ギイギイと音をたてて家全体が揺れた。僕を驚かそうと計画性もなく銘々が身勝手に柱に鋸を入れたので、子供の力でも軋む危険な状態になっていた。中で作業をしている奴を呼び寄せた。
「このまま続けると、家が倒壊して生き埋めになって誰か死ぬぞ! それに、解体屋のオッサンにド突かれ
「このまま続けると、家が倒壊して生き埋めになって誰か死ぬぞ! それに、解体屋のオッサンにド突かれるぞ! ここには二度と近づくな。見つからんように、早く逃げろ」
僕が言うと、みんな脇目もふらずにその場から駈け出した。
幾つもの物件を忍者屋敷に変えたことで、僕らの解体改造の腕は格段に上がっていった。
6年生の春になっていた。
「あいつらに、また、脅された。どうしよう」
「我慢できへん。仕返しがしたい」
チビタやユキオや穏健なクラスメートが相談に来るが、相談を受ける僕が一番意気地無しなのだから、どうしようもない。
あいつらというのは、ガマガエルのような声の通称ガマグチとチンピラ小猿のソウメンだ。こいつらは学校に何をしに来ているのかと訝るほど、教育を受けているという意識がない。ガマグチは、テストでは零点以外取ったことがない。数少ない取り柄と言えば、漢字で名前が書ける事と陰湿なしつこさだろう。クラスの殆どの者がイジメに遭っていた。嫌われることが生きがいのような二人だ。声を殺して言うが、僕が一番怯えているのかもしれない。
朝礼が終わって、音楽に合わせて教室に向かう道すがらの、階段での出来事だった。無邪気な鼻歌で階段をガニ股で上るノーガードのガマグチの肛門を、隣クラスのヤクザ志願のショウジの狙い澄ました二本の人差し指が襲った。ショウジは忍者が九字を切る形に指を組み、人差し指の第二関節までガマグチの肛門に突き刺さしたのだ。
「うーっ」と短く唸ると、のけ反ったガマグチは、痛さに耐えきれずピョコピョコと右へ左へ踊り場を動き回り、ジグザグに階段を駆け降りると、ショウジに向かっていった。手負いの獅子はその拳で荒れ狂うのか。ガマグチはぴょこりぴょこりとショウジの周りを回って痛みに耐えるだけだ。少子抜けした。ガマグチは痛みが和らぐと、九字に指を組み合わせて、前かがみでショウジの肛門を執拗に狙い続けた。それを面白おかしく茶化すソウメンがいた。それを見ている僕がいた。くだらねぇー!
ショウジは肛門を窄めて両手を尻に当て、下っ腹を突き出し立ち小便をするような格好で、ガマグチに正対した。肛門を狙えない歯がゆさに焦れたガマグチは、ふと見た。股間がガラ空きになっている。軽い蹴りを入れた。爪先がしなるように見事に金玉にあたった。
「うーっ」と短く唸ると、ショウジは脚をハの字にした。
金玉を力任せに蹴ると痛みを通り越して無感覚になるのだが、スナップのきいた蹴りは脂汗が滲み出るくらい気分が悪くなり悶絶する。ショウジは金玉をおさえガマグチの周りをピョンピョン跳んで痛みに耐えた。さあー、ここから、可笑しくもクダラナイ果てし無い金玉の蹴りあいが始まった。
「エイ!」とか「ヤ―!」という勇ましい掛声を、僕は背中に聞きながら余りにも馬鹿馬鹿しくって、相手してられなくて階段を駆け上がって教室に急いだ。ソウメンは「もっとやれ」と囃し立てている。
「あいつら、どこいったんや?」
担任が、空いている席を指さして、遅れてきた僕に聞く。
「廊下でまじめに金玉の蹴りあいをしています」
僕がいうか言わないかのうちに、殆どの女の子からクスクスと笑い声があがった。
「あいつら早く連れてこい」
担任が呆れて言うので、渋々僕は迎えに行った。ガマグチとショウジは、飽きずにまだ金玉の蹴りあいをしていた。
後年、ショウジは念願のヤクザの使い走りになり、漢字が読めないと思われていたガマグチは、転校した中学を卒業すると、就職のため原付免許を僕らより早く取った。
みんなの訴えで僕は、幸か不幸かこんな奴らと戦争をする羽目になってしまった―。
もともとクラスの男子は三つに分かれていた。エリート意識を持った三人(義務教育とは、なぜ、こういった賢そうに演じるステレオタイプの良い子を創作してしまうのか、不思議だ)と、嫌われ者のガマグチにソウメンと、僕を含む特に取り柄のないその他大勢の弱虫グループだ。
弱虫の僕なのに意気地なしに背中を押されて、無謀にもガマグチとソウメンに「宣戦布告」をさせられてしまった。いつも脅されて苛められている弱虫グループも遂に堪忍袋の緒が切れたのだ。でも「尋常に、勝負! 勝負!」といったところで、弱虫グループは、すぐに負けることをイメージするために、勝負にならないことは分り切ったことで、知恵を使わないと勝てない。それで、勝つために、僕は当てにされ、親玉に祭り上げられてしまったのだ。
―はたと閃いた。空き家に仕掛けを作って誘い出して罠にはめ殲滅する。それが良い。
その為に選んだのが、昔探検した原田神社の西隣の県営住宅だ。現場に行って驚いた。いつの間にか更地になっていた。予定が狂った。ここ、市電道の南側、王子動物園の向かいには近代美術館ができるということで、殆どの家は立ち退きに同意して更地になっていた。西角の中村医院が頑固に立ち退き反対の立場で、一段低い南側の三軒長屋の傍には、立ち退き反対の立て看板が勇ましく立てられていた。僕らは見るからに無人らしい三軒長屋を忍者屋敷に改造しようと意気込んだ。僕らは西側の一軒に忍び込んだ。既に室内はガラーンとして畳も上げられて人の気配は微塵もなかった。
僕らは勇んでここを忍者屋敷の総仕上げにしようとやってきたのだ。家の周りには古い時代の生活用品が置き去りにされていた。ガラス瓶、梯子、角材、炭俵、タドン、瓦等々、宝の山があった。僕はここで戦争をしようと企んでいるのだった。
僕たちにとって小学校最後の大仕事だ。真っ先に吊り天井を考えた。ほかに仕掛けは幾つか思いついた。追い詰められた時に屋根と同じ高さの北側の土手に天井裏から逃げ出せるように、屋根瓦とその下に葺いている杉の薄板を剥がし、脱出口を2つ設けた。みんなが素早く逃げ出すためには複数必要だった。勿論、脱出口を見つけられないように瓦を葺き直した。弱虫は逃げることを真っ先に考えるものだ。
天井からは、鋸でひいた真新しい木の粉が床に散らばった。これを放置していると吊り天井に気付かれてしまう。床下に隠すことにした。床板をはがしていると、ふと気が付いた。床から地面までの深さは落とし穴にもってこいだ。落とし穴で身動きができなくて、もがいているところに天井を落とそう。それで全ての床板を慎重にはがすことにしたが、中央に誘い込むために一部を残した。中央部分は少し踏み込んだだけで板が落ちるようにと、のりしろを2ミリにした。これでいだろう。罠にはまったら、たぶん、生きて帰れないだろう。非常だが、それが戦争というものだ。
天井に鋸を入れるとき、チビタは慎重になった。あの時は本当に痛かったのだ。
春とはいえ肌寒かった日々も、いつの間にか暖かい陽射しに包まれて、誰もが血湧き肉躍る季節になっていた。いよいよ待ちに待った「戦争」が始まるのだ。
戦には戦術と戦略が必要だ。
手はずは、こうだ。屋根の上から、タドンや豆炭爆弾を敵に投げつける。敵は怒って、家の中に雪崩れ込む、誘い込んだ僕たちは、天井裏からバケツの水をブッカケて、驚いている隙に練炭の粉をバケツでぶちまける。目を開けられなくて真っ黒な塊になった奴らは、動き回ってかろうじて残っている床板に誘われるように中央に躍り出て落とし穴に落ちる。すかさず吊り天井が無情にも落ちてくるというシナリオだ。我ながらこの作戦はほれぼれする。「同情はするな。それが命取りになる。多少の怪我は眼を瞑れ」とみんなに言って、明日の土曜日を楽しみにした。非常でないと生きてはいけない。女性に優しくないと生きていく資格はない。ハードボイルドだ、ジョー。
土曜日の朝、授業前の担任が来る間際に、「宣戦布告状」をソウメンとガマグチに渡した。みんなソワソワして落ち着きをなくし、その日の授業はうつろに終わった。僕とその仲間は、一生で一番永い半日だった。
みんな家で昼食をとって、午後一時半に集合だ。二時に戦闘が始まる。僕は忍者屋敷が気になったので早く家を出た。チビタは見張り役だったため、心配で昼飯も食わずに早くから来ていた。僕を見つけると、悲鳴を上げて駆け寄ってきた。
「あいつら、もう来て、忍者屋敷をグチャグチャに破壊して、いま北側の土手の上で俺らを監視しとる。もうあかん」と、涙ぐんだ。
この日のために、毎日放課後にここに来て日が暮れるまで仕掛けを作っていた努力が、水の泡になってしまった。戦争なのに、真面目に約束の時間に戦闘を始めようという甘い考えで、後悔してももう遅い。奇襲攻撃が始まり、只今戦闘中なのだ。呑気な仲間はまだ来ない。
「ガマグチ! お前のカーチャン、新しいトーチャンと路上でキスしとったわ。スケベ―カーチャンやな。それで、お前は、アシタという名字になったんか」
心を攪乱するために僕とチビタは、口の立たない奴らを散々罵倒した。釣られてヤツラはエキサイトしてきた。
「悔しかったら、ここまで追いかけてこい。意気地なし。あほ、アホ、あほ」
「アホでけっこうや。俺ら、お前らの仕掛け、全部潰したったわ。ざまーみろ! そやけど、お前ら、怖いことするなあー。床板が外れて、もう少しで大怪我するところやったわ。落とし穴の底にガラス瓶の底を割り残して、剣山のようにして敷き詰めとったやろ。踏み外して、足刺すところやったわ。そんな危ない家なんか誘われても行くかい」
それでも追いかけてくるだろうと思って、「あほ、アホ、あほ」と、野次りながら中に入ると、床板は全部剥され仕掛けは暴露されていたが、吊り天井はまだ健在だった。まだ勝てると一分の望みを吊り天井に賭けた。僕らは天井裏で奴らが来るのを待ったが、いつまでたっても攻撃をかけてくる気配はなかった。暗い天井裏での我慢には限りがあった。
忍び込むような微かな物音が階下でしたので、思わず僕とチビタは足に力を入れて天井を蹴った。ドンと大きな音が階下に響いた。
「何すねん! 殺すきか! 俺や、俺や。ユキオや」
うろたえてていることが、声質で分かった。少し前の出来事を思い出したのか、怒り声だった。緊張のあまり、もう少しで仲間に天井を落とすところだった。お互いケガ人を出さずにすんだので、胸を撫で下ろした。
―このままでは時間がたつばかりで、戦争にならない。
7人集まったところで、思い切って打って出ることにした。僕が軍師で「三対一で戦えば勝てるはずだ」と説得した。勝てると思うがみんな弱虫なので、だれも自信がない。勇気を奮い起こさせて脱出口の瓦を外し、辺りの様子を窺うと奴らはどこにもいない。全員屋根の上に上がってガシャガシャと右往左往して草むらに隠れている奴らを探していると、居ないはずの東側の長屋の住人が出てきて、怒り出した。僕らは屋根の上に隠しておいた梯子の二つを、北側の土手に渡して橋のようにして逃げた。
梯子と角材を銘々持って北側の土手の縁に茫然と立ちすくんでいると、待ってましたとばかりに奴らは飛び出してきた。
「あいつら、鉄筋を持っとる。角材では負ける」
身長より短めの鉄筋を持っている二人を見ると、チビタはびくつき泣き出しそうだ。
「二人で梯子をもって、あいつらを壁に押し付けて、角材でどついたら勝ちや。時代劇で、梯子を使って捕物やってるやろ。同じようにしたらええねん」と、指示した。
「御用だ、御用だ」と、元気な掛け声で勢いづいて、うまいこと王子神社の壁に奴らを押し付けることができた。でも頑張れるのはそこまでで、後々仕返しされる恐怖が蘇ってきて、怯えてしまったチビタが角材でガマグチを殴ることができない。梯子で押さえつけている二人も、恐怖のあまり早く逃げ出したくて、次第に力が抜けていく。ガマグチは乱暴に鉄筋を振り回す。その内の一振りが軽くチビタの腕にあたった。チビタは驚いて角材を落とすと、梯子の二人も梯子を放り投げて逃げた。逃げ遅れたチビタは、怖くて背中を見せた。容赦なく鉄筋は振り下ろされた。
「ギャーアァー」
サイレンのような声が空気を引き裂いた。チビタは大声で泣きわめいた。手を緩めず尚も殴り続ける。その度に叫び声が打ち上げ花火のようにあがった。助けたい。しかし、鉄筋を振り回しているガマグチに怖気づいて誰も助けることができない。絶体絶命の窮地に追い込まれた。周りを見渡すと、ぼちぼち援軍も駆け付けて来ていたが、遠巻きにして加勢しようとしない。無条件降伏かと諦めた瞬間、突然に、その中から声が上がった。
「君たちは、バカか。大怪我をしたらどうするんだ。バカな事はやめなさい。喧嘩という暴力で物事を解決してはいけません。ここでは話し合いという手段で平和的に解決しようではありませんか。僕たちが仲裁に入りましょう」
エリート意識を持った三人となぜか水上が傍に立っていた。三人は体裁を取り繕いながら、中に割って入った。口の巧さではピカイチのカッパ顔と守銭奴で金を貸したら二度と戻ってこない踏み倒し屋の狸顔もその中にいた。戦争の噂を聞いたこのクラスきっての嫌われ者が、お人好しのコウジを誘って物見遊山に出かけてきたのだ。いつの間にか、戦っている僕らを中心にして同心円状に人が集まっていた。その輪も徐々に狭まっていった。
僕は助かったと思った。このままではチビタどころか僕まで鉄筋でヤラレルところだった。僕は、チビタには気の毒だが犠牲の少ないところで、反転して攻勢をかけることにした。勿論、暴力の塊の二人にではなく、ここでは空気の読めないエリート三人組に、力のベクトルを振り向けることが得策だと考えた。戦術から戦略に切り替えた。
すかさず、ショウジとガマグチに向かって叫んだ。
「こいつら、関東弁で生意気なことゆうとるぞ。お前ら、あほや、ゆうとるぞ。腹立たへんか。こいつらをみんなでヤッテしまわへんか」
喧嘩の鉾先を三人にむけた。ガマグチとソウメンは話の内容よりも「あほ」という言葉に異常に反応するタイプだ。誰が見ても「あほ」のくせに「あほ」という言葉を誰よりも憎んでいる。だったら少しでも勉強すればよいのにと思いながらも、話の内容よりも単語に異常反応する単細胞な二人の巨大な暴力をエリート三人組に向けるのは、このタイミングしかないと思った。
「俺らをアホあつかいするコイツラ三人、前から気に入らんかったんや。いてもろたろか」
考えたとおりの言葉が返ってきた。こいつらは単純で良かった。深く物事を考えることができないから、話を簡単にはぐらかせる。早速、ソウメンとガマグチと和睦を結んで、僕は叫んだ。
「こいつら三人とも、ヤッテまえ」
「オー、ヤッテまえ」
ソウメンとガマグチどころか全員が睨み付けた。一瞬、三人は戸惑いの顔を見せた。
「僕は学級委員長やぞ! 何するねん」
コウジから権威的な言葉が口をついて出た。学級委員長選挙でも委員選挙でもこいつらは僕たちを支持して得票を入れたではないか、尊敬されても憎まれることはないのに……なぜ仲直りさせる僕たちを、善人の僕たちを、攻撃するのだ、と複雑な顔でなじりながら後退りすると踵を返して猛ダッシュした。水上もそれにつられて同じ方角に逃げ出した。なんの関係もないのに、ただ好奇心で来ただけなのに一緒に逃げ出してしまった。なんと不幸なヤツだ。逃げる四人を僕たち全員が獲物を見つけた猟犬のように追う。追いかけながら、まるで喜劇王キートンの映画のワンシーンを見ているようで僕はワクワクしていた。どたばた喜劇のように僕ら大集団は、手に手に武器を持って追いかけた。この群集心理は、初めは、逃げる三人の仕種が面白くて追いかけ回していたが、追いかけるうちに凶暴になっていった。異常に興奮した暴徒の塊となって、コブを二三個作るだけではすまないほどエネルギーの爆発的な発散を求めていた。喘ぎ声が聞こえ、臨界点に達しようとしていた。
逃げ惑う四人が交番に逃げ込みそうになった。全体の足が止まった。
僕たちの「戦争」は、ここで終った。
僕たちは、数日間、「戦争」の興奮が、冷めなかった。三人組は気取らなくなったし、暴力二人組は何故だか穏やかになった。ここから水上とも親友になった。
それから、ガマグチとソウメンは僕らのグループの一員になった。その為に僕は、学級裁判で女子にコテンパンに叩かれる二人を、擁護しなくてはならなくなった。
擁護する度に、ソフィストになっていった。子供は騙しやすかった。「友情」とか「思いやり」とか「親切」を盛り込んで、彼女たちを説得すると、あれだけ攻撃的だったのに、口数も少なくなり、自分たちが叩かれて酷い目に逢っているのに、最後は「遊んであげなくて、ごめんなさい」と、気の毒なほど素直に謝るのだ。その甲斐もあって、ソウメンとガマグチはいつの間にかクラスに溶け込んで、少しはおとなしくなっていった。僕は、叩かれて泣かされた女の子のことを思うと、言論まで封じ込めてしまった自分を愚かしく思い、泣いている姿を思い出すたびに切なくなってしまうのだ。腕力のない僕は、どうしても口が先に立ってしまう。残念なことに、自分より弱いものに向かってだ。
後日、他のクラスのヤツが何人も僕の顔を見るたびに、好奇心いっぱいで尋ねる。
「戦争できてすごいな。クラスの男子全員でどうしたら戦争できるんや」
「僕は平和主義者やから、暴力を憎む。戦争は反対や」と、すまし顔ではぐらかした。
何故ならば、この話を聞いて三軒長屋の住人が学校に訴えてきたら大変なことになるからだ。小学生の僕は、犯罪者になることを恐れた。僕は、一連の出来事を心の隅っこに押し込んで都合よく忘れることにした。もちろん口止めもした。
間もなくして、長屋は取り壊されて、近代美術館の工事が始まった。僕たちの改造で三軒長屋は、雨漏りと隙間風で住むにはひどい状態になっていたのかもしれない。僕たちの意思とは関係なしに、立ち退きに協力してしまったみたいだ。跡地に立派な近代美術館が出来上がった。美術好きの僕には好ましいが、立ち退きに抵抗していた住人はどこへ行ってしまったのかと、ふと思い出すと胸が痛む。美術館を見る度に、あの時、時間どうりに戦闘が開始されていたならば、死人が出たかもしれないと思うと、神様に感謝する次第だ。
布引の高層ホテルから旧市電路の並木に沿って東の筒井台方面を眺めると、中低層ビル群が子どもたちから原っぱを奪い、摩耶の中腹までも宅地化が進み、木々の緑は王子公園に取り残されているだけで、今日も神戸の町並みは、僕らの思い出のように、取り残されたり変化したりして、アメーバのように生きている……。
星野監督のコメントなんだか(・∀・)ゲゲ
長島監督に、なってから、巨人ファンは、やめたんだけど・・・
パ・リーグの方が強い!と、言われていることは、悔しいのは、何故かなぁ。
asaさん 関東での再会ですか、あらあら、いいですね。
嬉しすぎて、飲みすぎないでや。
長文、お疲れ様でした。
住真くん
メールを教えてほしい!!コールに、事務局としては、簡単にお教えできないので、反対に住真くんから、連絡とっていただくことになり、それにしっかり対応してくださって、こちらこそ、ありがとうございます、です。賑やかになりすぎて?
善光寺といえば、「極楽のお錠前」巡りですね。漆黒の中で、しっかり鍵を触ってこられましたか?
願いが叶う、もしくは、極楽に行け?ると、言われてますね。
わたしは何度もさわっていますが、未だに叶いませんが(〃^ー^〃)。
あ、カップルでいくと、別れるとも、最近言われていますが、旦那とは、まだ一応戸籍上、名字は一緒だしね。後は極楽に行けると、信じるしかないか、と、思ってまぁす。
皆様、火曜日から寒くなるそうです。風邪には、好かれませんようにね。
明日、雨かなぁ。
2日夜、例によって我が”オッサンレーサー仕様者車”に4人乗り込み(ギュウギュウ)移動で3日 愛知瀬戸市で”第九”にのって~打ち上げで一夜を明かし・・・本日帰着です・・・我々が宿泊したホテルの支配人が偶然、聴きに来ていたそうで、翌朝・・・「皆さんだったのですか!」となってお土産までいただいて・・・たのしい旅でした。年内 あと2回の☆本番・・・
ツトム君は・・・「お~写真か!」と言ってレンズに寄るタイプだと思ってましたが・・・ホント? イタリアか・・・いいな・・・こっちは瀬戸だよ・・・
それと・・・”あの写真”・・・「惜しい・・・モウチョット!」なのか・・・「ワア~もうチョット・・・」なのか? ・・・ああいう団体と遭遇したら・・・”避けます”・・・かな? ナンテね~~ 「何~!?」と言われる前に・・・ハイ サヨナラ
・・・まあ今年は「楽天」で しょうがないか・・・
ちっこいオッサン 住真と、一番のり!って、喜んで、ハシャイデ いたであろう? だって、あの意味わかんない だらだらした長文 見りゃあー。相当気分良かったと、思われますよ♪
それをR君 何て事を!
さぞや 落ち込んでいる? あのように 陽気に振る舞う アイツ… 実は、 超 寂しがりや さんかも?
いっそ 12月は・・・asa君・住真君 & キーコさん・わたしさん、Y君・K15・・・と ”こちら関連” 「大忘年会」は・・・? どうだい?? ツトム君・カバチャンも来る?
・・・・「R」 じゃないよ 「K」だよ・・・!しかも -なしネ!
K君て、素直なんですね♪
申し訳ない。asaは、そんなに ちっこいヤツではありませんよ! 背はちっこいけどね!
是非とも 楽しんで来て下さい。
年末の大忘年会! いいですね~!!
亡くなる前に今一度会いたかったです。君とは、10歳ぐらいからの付き合いでした。我が母が教える小さな習字教室に、君がくるようになってから、週に一度顔を合わせていました。小学校は違えど同い年。すぐに、遊び友達になりました。それから、中学、高校と同じでした。お互いなぜか、男女を意識することなく付き合ってきました。というか、私に図解入りで性教育を施してくれたのも君でしたね。子宮はこんな形で、膣はここでと、聞いてもいないのに教えてくれました。果たしてあの絵は正しかったのかね?
高校になると、何を血迷ったのか、ボート部に入り、肉体改造に励んでいましたね。
きっと、片思いの彼女に振り向いてもらうためだったのでしょうね。
高校以後、会うこともなく、君がなくなったと知ったときは、悲しかったです。自分の幼いときも一緒になくなったような気持ちになりました。
asaに君の思い出を教えてと言ったのは、わたしです。ごめんね。でも、asaになんと言われようと、私の胸の中には今でも君の笑顔が残っています。それで、十分ですよね。私もそっちの世界に行ったときは、また冗談を言い合って、遊ぼうね。
U-15の大忘年会にあわせて、日程をずらすか?
迷っている。
「みんな集まってみようか!」なら・・・僕のところへ(ご存知ないかたは事務局に照会を)希望日程をお知らせください・・
うまくゆくかはわかりませんが・・・・やってみますよ・・・
集合は やはり 「東京駅」 もしくはその近郊・・・今月、住真君と”現場調査”してきますか?!
じゃ~12月 14(土)・21(土)・23(月・祝)で どう?
※夜間集合コースなら 6(金)・13(金)・20(金)・・・
もしそれ以外の日でまとまったら・・・K15のみ欠席・・・なんてありかも・・・ 各自調整のうえ今月15日くらいまでにお知らせください・・・連絡待ってま~す・・・!
結果発表は・・・11月18日頃の予定・・・
ふ さん ・ J さん はじめ 女性陣は大歓迎!!
「熱烈歓迎!! 料金割引?! 謝謝!!」ですので皆さん、機動力を活かしこの際、ぜひご参加を・・・わたし さん は ・・・”こちら関連”組でいいのかな・・・?
大歓迎していただけてうれしいです。
でも、ごめんね。
年末まで予定つまってて、動きがとれません。
今年は、本当に忙しい年だわ。
みんなで、盛り上がってきてくださいね。
楽しい報告を待っています。
誘っていただいて、ありがとう。
今さら何をおっしゃる、ー
同窓会の写真見てて…どうしても解らない人物が、~ー
事務局のわたしさん に 教えてもらって…asa!! なんかあったの? それとも お見合い!?
あんたは、必ず世相のリーダーデスヨ!!今流行りの偽装問題をモチーフにした、ビフォアーアフター!!
ホント 誰だか 判んなくて、
笑っちゃいますね♪!!
Kー15 関東忘年会?? まぁまぁ 知らぬ間に 大きくなっちゃったね! おぃらは、ヒマなもんで、 いつでも!! の、はずですが…
年末につき早期予約の”料金割引”及び”記念品”はご容赦を・・・
ようやく K になったけど・・・まだ - があるよ!
カバチャンにいたっては・・・U だってよ~ しかも - 付き・・・
ふ さん 残念!!「またのお越しを・・・」もしなんでしたら・・・・新年会にきりかえ、”日程 さし!!” も 勝負師らしくていいかもよ・・・・来年なら きっと暇でしょ?
ああ~~asa君のことか・・・・! わかった!!
違和感ないのが・・・”凄い!!” よね・・・
きっと心境の変化でしょ! ”何かがおこる☆本番”と同じで・・・”何かがおこる 「アラ還」だよ・・・おわかり?
「さし で 勝負」 などと いや~失礼 失礼・・・!!
ということは・・・ふ さん は 参加OK? でも・・・
ふ さん が 「勝負師」だって ばらしてしまったか!! 抗議集会にならなければいいが・・・
ボクって・・・今日は 月例検査受検で「ヒヤヒヤ・・・」、・・疲れているんですね・・・ オヤスミ!
東京支部長、R-15は、仕事とコンサートのドサ回りで大忙しなのに大忘年会の幹事役まで、、、。
この12月は師走並みの忙しさですね。でも、忙しいほうが、書き込みも絶好調ですよ。東京組だけではなく、神戸からも人を集めちゃうんだからその人徳もたいしたものです。成功を祈ってます。
ライトアップの情報もちらほらと~~さあ、皆様はどちらの紅葉に出会いに??
k15君 東京の取りまとめありがとうございます。
わたしにも呼びかけ、ありがとうございます。
今年はやっぱり東京行はちょっと無理なようです。母にも長い間来てない!と拗ねられています。めちゃ残念です。ごめんなさい。
皆様で楽しんでくださって、ご様子をご連絡くださいね。
来年には参りたいと思っています。その時にはよろしくお願いします。
14日住真君と、さあ、男性が集まると、どんなお話に?
ふさん やっぱり今年は無理ですか。では、来年ご一緒に参りましょう。
ツトム君 関東忘年会楽しんで来てくださいね。ご報告お待ちしています。
Jさん Jさんも・・・では、来年、ご一緒にまいりましょうね。
Y君 大忘年会にご参加、コメントにもごご参加、いいでぇす。
カバチャン 東京で楽しんできてください。お得意のキャバクラ??東京は上品ですからね。大阪感覚ではあきませんよね、K15君。
ドサ回り って・・・ 「地方公演」と言ってよ~!
ただ・・・今回は師匠に頼まれた”トラ”ですから・・・
いわば”渡世の義理” いや~義理堅いなあ・・・・K15は! 人徳 より 損得 さ!
カバチャン そら~あきません!!・・・”キャバクラ”(オプション)コース エントリー 承りました!! 本ツアーの最低開催人数 ○人?
まだまだ募集中 ですよ・・・! よいお席は、お早めに・・・
20代半ば頃、研修で東京に長くいってたとき、他社の人が銀座や六本木、渋谷に連れて行ってくれて、大騒ぎをしたことがある。
彼らは二度とその店に行けなくなったとボヤいていた。
U-15、いろいろお世話様です。いま調整中です。
K15君とは今週、asaとは来月!楽しみにしております。
大忘年会はK15君と相談です。ツトム、YM君、kさん来れるかな?
わたしさん、良い写真@伊丹空港取れましたか?いつも関西(京都、大阪、滋賀)へは車を羽田空港において、伊丹空港利用です。
一昨日は今年第一回目の忘年会を成田空港一泊で行いました。今年の忘年会は数もさることながら内容が濃そうです。
もう大丈夫?
”U”って ドイツの潜水艦みたいな・・・まあ ドイツ大好き人間的には・・・ U でも ・・・いい訳ない!! K しかも
- なし!! この際 カバチャンは、14日の住真君とK15君の決定事項に従ってもらいます!!
忘年会・・・飛行機で!?!? ちょっとステージが違いすぎるか・・・? 数ではこちらもそこそこ・・・だと思うけど・・・
暑気払いにつづき・・・身体はもっても資金面で問題多く・・・ヨメさんからの警告も いよいよ 「即 禁止!!」直前・・・うまく乗り切るには・・・?秘策なし 飲むだけ!!
関西の男は、たとえそう思ってはいても口にはだせないもの。そんな優しい言葉かけられたことないもん。
わたしもね、去年2週間ほど東京をぶらぶらしてたんだけど、山手線で席を譲ったら、「おそれいります」っていわれてびっくりした。おばあさんはまだわかるけど、若い妊婦さん、そしておじさんまで日は違うけど3人から言われたのよ。さすが、武士の国、商人の国大阪とは違うなあとしびれました。K15も関東が長くって、言葉遣いが素敵ですよ。
かばちゃんも、キャバクラだけでなく、「さぶい~」にも、反応してね。
それにしても「おそれいります」というのは、感じのいい言葉ですね。
そうそう、住金も完璧な関東弁になっとったわ。
※その昔・・・(大阪出張で・・・)心斎橋で飲んでた ら・・・「おにいちゃん!関西弁うまいやんか~!」と言われた・・・「あほか~神戸や!!なにゆうとんねん!!」・・・「ゆうとん?」・・・ボクは・・・”相模原の関西人”だったはずが・・・相模原人か?
関東≠神奈川 & 関西≠神戸 住真君は”つくば”らしい・・・はたして”関東弁”エリアか????
※強面の奥様が席をゆずってくれると・・・・ボクだって「おそれいります」と言うよね・・・・カナ?
ああ~また おこられそうなので・・・サヨナラ・・・
今日電車の中で咳き込んでおられる方がおられました。風邪には皆様好かれませんように。
住真君 お忙しくなられましたね。でも楽しそうなことなのでいいなぁ。
伊丹のスカイパークといって、飛行機が間近に見られる場所とそこから10分ぐらい離れた川べりで、飛行機の腹がめちゃ間近にみれる場所で撮影しました。
そこはデートコースになっているようで、ペアーがいっぱいでした。わたし達がしっかり邪魔しているようでした。(*^。^*)こんな場所はご存じないでしょうね。
K15君 (^_-)-☆ありがとう。うふふのお言葉で~~あったまりました。
いよいよ明日ですね。真っ最中の携帯の写真も受け付けておりますからね。
あ、記事を書く前に見つけられちゃった。いい笑顔いっぱいでしょ。
わたしは7年間関東にいましたが、関西弁が強調された気がします。だって関東に男性って関西弁の女性が可愛く感じるって~~じゃあなかったっけ??
「ふ」さん うんうん、いいよねぇ~~。
関東に一緒に行って、そんなお言葉いっぱいもらいましょう。(言ってくれそうもない時は無理にでも言わす??^m^アハ)
カバチャン 関西人の資質ってなに??関西の男たちは、キャバクラの若い方には言えるん?ツトム君とカバチャン。それが資質??かなし!!
「おそれいります。」。これって関東限定ですかね。浅草の近くの入谷(いりや)に鬼子母神がありますが、もじって「それはおそれ入谷の鬼子母神」。←小さい時流行りませんでしたか?12月asaとは浅草で会います。わざわざ東京・浅草までおそれいります。ご案内しまっせ。
かばちゃん、住金=住友金属、住銀=住友銀行、銀より金がいいですが、やっぱり住真でいきましょう。
「伊丹スカイパーク」との名前は知りませんでしたが、大阪市内方面から着陸する時に滑走路左側に見学者が目に入ります。多分あれですね?
今晩O157君と会います。楽しみですね。