エッセイ ゴメンね
朝、玉川上水を散歩する。土手の両岸が遊歩道でクヌギやコナラの林が続く。
向こう側は小学校の通学路になっている。
最近まで流行っていた、「ラッスンゴレライ」「ちょっと待って、ちょっと待ってお兄さん!」のフレーズ「チョット、ちょっと一寸待ってくださーい」と言いながらランドセルを揺らして駆けていく子供達もいて、つい笑ってしまう。
時々柵に手をついて、足や肩を延ばしながら休憩をする。
対岸で女の子の泣き声がする、大きな声だ。
見ていると、お母さんと中学生ぐらいの男の子がさっさと歩いてくる。
泣き声はそのままの所で泣き続けているので、別の親子だと思った。
と、急に二人の足が止まった。男の子が今来た方に駆けて行き、ピンクのリックを背負った女の子の手を引いて戻ってきた。
お母さんは黙ってその様子を見ている。
女の子の泣き声が大きくなった途端、
「だから言ったでしょ、歩けないのなら帰りなさい」と怒鳴っている。
お兄ちゃんらしい男の子はお母さんの様子をじっと見ている。
長男は二男と五歳離れている。
五歳と言う歳の差は余裕があるせいか、何かとよく二男の面倒を見てくれた。
ある時私は洋服の試着をしたいので、二男を見ているように言った。
試着に手間取っていると、歩き始めた二男はあちこち行きたがって困らせている。
二男の大泣きする声がする。
見ると、長男が眉間にしわを寄せ、とてもつまらなそうな顔をして、二男の上着を引っ張って、床に座らせようとしていた。
今思うと、二男の世話は当然だと甘えていた。
嫌だと言えないところで、命令はしなかっただろうか。
「お願い」とちゃんと頼んだろうか。お兄ちゃんと言ってもまだ小さな子供だった。
あの時、あの頃のことを思うと、「お兄ちゃんゴメンね」の言葉が、気持ちの底にたまっている。
課題 【問い・答え】 2016・4・22
先生の講評
他人の親子連れ→自分の子ども→とすんなりつながる構成に〇〇はない。
純なる者を傷つけてしまったのではないかと引きずる気持ちが純。
※ 〇〇達筆過ぎて読めません。
キンラン、4月末~5月始め、玉川上水の遊歩道わきに咲いていました。
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