エッセイ : 大皿
大皿の出番が少なくなった。茶箪笥の定位置にはあるが、肩身が狭そうだ。
ついこの間まで、と言っても10年も経つだろうか、男の子2人と私たち4人の食卓には、
いつも大皿に盛ったおかずがあった。
夏はい大皿にカツオのたたきやお刺身、白い皿にはカツや天ぷらの揚げ物など、寒
くなると赤い模様の深めの大皿に、肉じゃがなどの煮物を入れた。益子焼の無骨な皿
は出番が多く、野菜炒めや餃子がのった。
大皿には大盛りがいい、どっさりと盛り付けると、それだけでご馳走に見える。
今、夫と二人の食事が多い。長男が家を出、二男も時々しか一緒に食べなくなった。
その二男のために、おかずを小分けにする。その時、私たちも同じように盛り付ける。
夫には大目に、二男にはきれいに、私は多少崩れたものを少なめにとパターンが決ま
っている。出来上がったものを夫はテーブルに並べるが、自分のものは大きくてきれい
なものと決めている。
時々苦手なものが出ると「どっちにしようかな、うまそうなのを上げるね」と言いながら、
大きめのものを私の前に置く。
私も我儘になり、最近は「好きじゃない」と平気で言う事にしている。
時々長男の家族が加わると、大皿の出番になる。それぞれの小鉢はテーブルにはの
らないし、お互い苦手なものを押し付けてもと思う。あの頃と違うのは、取り皿を置いて、
自分の食べたいものを取り分ける。
成長期の孫は、好きなものだけを取ろうとするが、周りの大人たちの厳しい目にあうと
不満そうに箸を引っ込める。
あの頃、成長とともに食欲を増す子供達に、量も、中身も上手には分けられなかった。
何品も作った訳ではないが、大皿に盛り付けたおかずを、それぞれを思いやって箸を
つけた食事風景を思い返すと、私たちの団欒の中心は大皿だったのかもしれない。
十五夜夜さんのイラストより ツワブキ
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